ショボイ話し

2017年6月6日
最近は政治の話しをあまり書いていませんが、興味を引く話しがほとんどなく、ちょっとマスコミが本気を出せば、安倍チャンなぞはすぐに放逐できるのにと思っております。そんなんで(どんなんで?)、今日はとてもクダラナイ話しを・・・。(いつもクダラナイ?それは失礼しました。)

ワタシ、胡桃が好きでして、胡桃が入ったパンはすぐに買ってしまいます。先日「くるみいっぱい・・・」と書かれたパンがありまして即購入しましたら、いっぱいどころかホンのチョロチョロでして「なんじゃこりゃ!」と怒り心頭となりました。胡桃を大量に食するのは健康に宜しくないでしょうが、あまりにチョロチョロで・・・。でも世の中で、よく見られる食品などで、胡桃に限らずアンパンのアンコにしても、クリームにしても充分に入っていることはほとんどありません。

先日、池袋東口にあるパン屋さんで、このパン屋さんのパンが素朴で好きなのでよく買いますが、レーズン入りの小さなパンを買いました。これカブリついてビックリです。中身の8割がたがレーズンなのです。あまりにレーズンが多くて、少しばかり食傷ぎみとなってしまいました。レーズンも好きだけど、こんなに大量には・・・。でもこんな例はホントに稀です。

昔々、初めて大阪に行ったとき、まん丸のコロモに包まれた大きなエビ天の入ったウドンを食しましたら、エビにはホンの5mmほどしか身が無く、あとはすべてコロモだった事がありました。あまりに素晴らしく芸術的な”エビ天”だったので、怒りよりも”スゴイ”と感服してしまいました。でもこの国は、スケールの小さな「なんだこれ?」ばっかりですね。

これは要するに、売るためのネタがショボイということです。でも一時的にショボイのは許せるとしても、いつまでもショボイのは許せません。でもこと食品に関しては、いつまでもショボイが多いのではないでしょうか?ん?ショボイものばかり食べるオマエが悪い?そりゃそうですが、でも大手メーカーのものはショボイものが多いようで困ったものです。ショボイ話しで済みません。

HIGHWAY 61

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2017年6月4日
今回はCD発掘シリーズですが、今回のものは発掘するほどでなく年に数回は聴いていたもので、 Bob Dylan「 HIGHEAY 61 REVISITED 」です。Dylan はワタシが洋楽を聞き出したキッカケですし、私の好きなアーティスト達のいろんな場面で顔を出す、とても不思議な縁の深い存在です。

この「 HIGHEAY 61 REVISITED 」はとても象徴的なアルバムでして、ここにアメリカンロックの源泉があると言えるほどのアルバムです。アメリカンロックの源泉ってオーゲサですが、黒人音楽がベースのブルース、ウッディ・ガスリーの流れのフォーク、そして社会的には米国60年代の公民権運動による変革、こうした背景のなかで萌芽したアメリカンロック。源流に遡っていけば、このアルバムに突き当たるのです。

この「 HIGHEAY 61 REVISITED 」と前作「 Bringing It All Back Home 」ともに1965年のアルバムで、この2枚はときどき棚から出して聴くのですが、今回はちょっと違った動機がありました。マイケル・ブルームフィールドです。「 HIGHEAY 61 REVISITED 」のレコーディングとその後のコンサートでのギターはマイケルでして、最近たっぷりマイケルを聴いていましたので、この「 HIGHEAY ・・ 」の音も確かめたかったのです。

この「 HIGHEAY ・・ 」のマイケル、エレキギターの音はマイケルそのものですが、最後の曲「 DESOLATION ROW 」のアコースティックギターの音が素晴らしいです。この天才ギター少年(マイケル)と Dylanの組み合わせには、当時の大プロデューサーであるジョン・ハモンドが関係するのではないでしょうか?ハモンドは64年にマイケルの演奏を録音していますから・・。

あらためて聴き直して、マイケルの音はもちろんいいのですが、もっと驚くべきは50年以上前のこのアルバム、ちっとも古くないのです。そりゃアンタが古いものばかり聴いているからと言われそうですが、ジャケット写真で Dylan の後ろに立っている男が、NIKON SP(1957年製のニコンのカメラ)をブラ下げていなければ、充分にいまのモノで通用しますよ。

フタタビミタビ

2017年6月1日
今日の天気は曇りから始まり、ちょっとした豪雨となり、眩しいカンカン照りとなりました。まぁナンデモアリなのですが、外を出歩くヒトにしてみれば、どのタイミングでどこにいるのかが大問題で、降られるも、汗ビッショリも、普段の心がけ如何となるのです。

政府は天皇陛下の退位に関しての、今の天皇に限った特例法を衆院通過させました。二度も三度も、フタタビミタビも書きますが、なんで恒久法にしないのでしょう?今上陛下の次の天皇陛下が退位を望んだら、フタタビ特例法。その次の天皇が望んだら、ミタビ特例法。一度特例法を通せば、特例が前例となりやりやすくなる。そんな理屈もあるでしょうが、特例を重ねるのではなく、なぜちゃんと筋道の通った法律としないのか、不思議です。

ワタシ何度も書いていますが、今上陛下の退位の意思を尊重し、これからも続く天皇のための退位制度を決めるべきだと思っています。「死ぬまで公務」「死ぬまで祭祀」では、もっとも劣悪な職業環境じゃないですか?でもこの問題で明解な解決策が出てこないのは、基準というか、視点というか、天皇像といったものが定まっていないからです。これはこの国の構造そのものの問題で、何事もアイマイに済ます。白黒をつけない。そんな構造となっているからです。

鎌倉時代からの武士による支配社会になってからは、明らかに”政(まつりごと)”と”祭祀”は分離していましたが、明治時代に”政”と”祭祀”をゴッチャにしました。これが第二次世界大戦の敗戦により再び分離したのですが、これがアイマイだったのです。このアイマイを払拭できる機会なのに、払拭する気はないようです。

要するに、神からヒトへの転換が不充分、アイマイだったのです。それで”死ぬまで天皇”という職種ができてしまった。”祈っていればいい”と嘯(うそぶ)く輩もいますが、天皇をヒトとして処する新しい法改正が必要で、新しい天皇像の構築が必要なのじゃないでしょうか?それとも、いつまでもフタタビミタビを続けますか?

平和な日本人

2017年5月30日
偶に覗く FaceBook のページにこんな書き込みがありました。「なぜ北朝鮮がいつも同じ方角にしか撃たないかと言うと、日本以外の方角に撃つと、戦争になるからだよね。」これは、このところ連日に渡って発射される北朝鮮のミサイルを揶揄しているのですが、こうした”慣れてしまった”反応はよくないですね。

「なぜ同じ方向に~」には理由があります。それはロケット発射用の基地から発射するしかないからです。詳しい理論は説明できませんが、南東(かな?)に向けて発射するのがロケット発射の常識なようで、どうしても朝鮮半島からですと日本に向いてしまうのです。北朝鮮の場合、ロケット技術の応用か、いやミサイル技術の応用か、どっちにしろ日本に向けて発射させるしかできない・・・ためでしょう。

この書き込み、日本に撃ち込んでも戦争にならないとノーテンキですが、日々続く、日々強くなっている武力行使の可能性をどう考えているのでしょう?戦争や紛争の勃発、多くの場合は当事国どちらかの暴発です。この場合の暴発の意味をお分かりでしょうか?暴発=戦争被害の発生ですよ。平和な日本人は平気で北朝鮮のミサイルを揶揄しますが、武力行使の前提としてもっともあり得るのは被害の発生で、「やられたらやり返す」です。でも、あなたが被害者になるかも知れませんよ?

まぁどこの誰が被害者になるのか分かりませんが、武力行使の結果で明らかなことは、近隣諸国の被害と北朝鮮の崩壊で、2千万人の難民です。「北朝鮮は何も出来ない!」と思っているのでしょうが、そんな保障はどこにもありません。北朝鮮の先制なのか、反撃なのか、何万人もの日本人が被害に遭うかもしれません。「制裁を課す」なんて考えるのは、傲慢で危険な考えじゃないでしょうか?

米国はグラグラしていますが、それでも話し合いの可能性を出しています。それなのに我が政府は、我が安倍チャンは制裁の一点張り。北朝鮮の暴発を待っているのは安倍チャン?そんな邪推が湧いてきます。そんなんで、平和な日本人が平和なままでいられるのでしょうか?

持ち上げるな!

2017年5月25日
ちょっと昔のこと、ワタシ、メルマガを週一だったか、3年ほどやっていました。(ホント、ヒトはすぐ忘れますね。)ムリして続けようとすれば出来たかもしれませんが、政治家や著名人のアゲアシをとったり、世の中の風潮を嘆いたり、そんな記事を書くのが苦痛となってきて、性格が曲がってきそうでやめました。息抜きじゃないけど、そんな経験もあって、ときおり「CD発掘シリーズ」や古い映画をとりあげています。

ヒトを罵倒することは案外カンタンでして、吐こうと思えばツバはカンタンに吐けるのと同じです。もっとカンタンなこともあります。それはヒトやモノを”持ち上げる”ことで、「アンタはエライ!」や「こんなもの見たことない!」はカンタンです。”罵倒”には”罵倒”が返ってくることがありますが、”持ち上げる”はそんなに突っ込まれることはありませんので、”持ち上げる”のはアリかもしれませんね。

ネットの世界で、まぁFaceBookですが、ここで”罵倒”はほとんど見ませんが、”持ち上げる”はケッコー頻繁に見受けられます。(「いいね!」は”持ち上げる”そのものです。)「イョ!社長」とか「サスガ!」といった言葉ですが、ワタシ、よくこんな言葉を書けるなぁ~っと感心してしまいます。森重久弥の社長シリーズ(古い!)じゃあるましに、「オマエは三木のり平か?」っとなりませんか?

何が言いたいのか?ワタシ、”罵倒”モノはあまり書きたくないし、”持ち上げる”のは苦手です。しかし世の中、悪いウワサと良すぎる話が大好きなようです。悪いウワサはともかく、良い話、良すぎる話なんて実際にはほとんどなく、そんな話には”ウラ”や”意図”があったりします。そう、今のこの世の中、何かに誘導する、なにかを暗に匂わす話に溢れています。これが鬱陶しいし、こんなものと同類と思われるのがイヤです。

Youtube で「こんなものを買ってみた」とか「こんなことをやってみた」というビデオがありますが、Youtuber というのか、なんでこんなものが蔓延るのが不思議です。恣意的に変ったことをやる、強引に話題を作るって鬱陶しいだけじゃないですか?世の中が変わってきているのか、ワタシが古すぎるのか、どっちか分かりませんが、”持ち上げる”をやめませんか?
プロフィール

等閑堂

Author:等閑堂
”ひつじのこ”にようこそ!
あなたの日々積み重なるものはなんでしょう?

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