往生しろ!

2017年8月23日
今年はムカッとなるほどの暑さから逃れられると思っていましたが、そんなにアマくない。やっぱりウンと暑くなってきましたね。今回はワタシにしてみれば、とてもとてもクダラナイ話題です。

『福井県労連や福井県高校教職員組合、新日本婦人の会福井県本部など7団体は22日、来秋の福井国体の名称に「明治150年」という冠称を付けることに反対する申し入れを、国体実行委事務局の県国体推進局に行った。』というもので、「明治150年」って何よってことです。

この「明治150年」の冠称を求めてきたのはスポーツ庁とのことですが、なぜこんなクダラナイことを求めるのかと思うのですが、申し入れを行った団体の反論は『国体は戦後に始まったものであり、明治とは無関係。明治150年で真っ先にくるのは「戦争の100年」という記憶であり、冠にふさわしくない』でして、こっちは至極マットウです。

このニュースで感じるのは、改憲論議でもチラチラしている復古願望というか、「昔(明治)は良かった。」「昔に戻ろう!」といった懐古主義です。でも明治の代からご存命な方はほぼ皆無でして、ということは何かの本や資料から明治を推察しているわけで、そこに偏りあれば、その像は歪んでいるのではないですか?それにこの国の体質は「臭いものには蓋」でして、そんなに昔を美化するのは危険なことです。

「焚書(ふんしょ)」ってご存知でしょうか?書籍を焼くことですが、秦の始皇帝が儒教の書籍を焼いたってやつです。この「焚書」はこの国でも、太平洋戦争の終戦時行われています。天皇の玉音放送の後、各省庁が大量の文書を焼いています。この場合の「焚文書」は思想の流布を怖れたのではなく、証拠を隠滅したかっただけですが、堂々と「臭いものには蓋」をやったわけです。

明治・大正・昭和初期がそんなに悪い時代だったとは思いませんが、他国を侵略する、侵略を正当化する思想があったのは確かです。この当時は国体=国の体制でしたが、今回は国体=国民体育大会です。同じ国体だけど、「明治150年」を推奨する底にある意識はオバケの復活以外の何物でもないのです。いい加減に往生して欲しいものです。
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