記録と記憶と

2017年4月13日
ニュースのヘッドラインを見ただけですが、なにやらデジタルカメラ市場がスゴク縮小しているらしいです。そういえばワタシもデジカメ7~8年買ってませんし、購買意欲そのものが湧いてきません。なんでもピーク時の5分の1らしくて、ワタシ仕事としてカメラハードから離れてよかったのかな?

こう見えても(見えないけど)ワタシ、カメラコレクターでして、コンパクト・一眼・中判・大判カメラまで100台を越すカメラを所有していました。それがコレクター期の終わりの頃には、蒐集することの虚しさのようなものを感じていました。100台あっても物理的に、時間的に使えるカメラは数台で他はただ持っているだけです。所有している喜びより、使えない虚しさの方が大きくなってヤメました。

その時もう一つ考えたのが、写真にとって重要なのはハードなのか、ソフトなのかという問題です。ハードはもちろんカメラそのものですが、ソフトはプリントの作り方もあり、プリントの飾り方や見せ方もあります。簡単にカメラハードとアルバムや額縁では、どちらが写真を楽しむために重要なのか?そんなことを思ったのです。

この考え方でカメラ市場を見ると、この国の市場はカメラハードに大きく偏っているのです。高い一眼レフで撮影して、数百円のプラスチックフレームに飾る。数十万円のカメラはあっても、数千円の額縁はなかなか無く、あっても売れないのです。でも飾られる写真とは、その方にとって大切な家族だったり、恋人だったり、好きな場所だったりします。そんな写真を飾るのに百均のような額縁でいいのかと思い、重要なのはソフトじゃないかと思うようになったのです。

これは現状のデジカメ時代では、さらに甚だしい偏りとなっています。ワタシはデジタル過信の時代と思っていますが、写真は記録であり記憶であるのですが、記録や記憶とデジタルはホントは遠い存在なのです。理由の一つは記録媒体で、媒体(フロッピーやCDやフラッシュメモリー)は時代とともにイヤでも変りますし、大量記録はいつだって大量記録喪失と隣合せで、永続性があるワケもないのです。

そして記憶ですが、モニターで見た画像は記憶から簡単に消え去ります。昔見た映画を再度見ると、ナント記憶違いが多いことか?ヒトの脳は記憶を都合よく捏造しますので、とてもアテにならないものなのです。それじゃどうするのとなりますが、記憶を保つには、やはりモノとして、形を伴ったモノじゃなくてはダメなのではないでしょうか?

デジタル機材は電気と電波がなければ何の役にも立ちません。デジタル全盛の時代ですが、プリントして飾る習慣が消え去ろうとしていますが、ワタシは今の時代こそアルバムや額縁が必要で、飾るモノが広がることがカメラ復権に繋がるのではないかと思っています。ゴメンナサイ。業界人としての意見を開陳してしまいました。
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コメント

No title

カメラマニアの赤瀬川原平氏が「デジタル写真は通電しなければ見られないので、趣味ではなく業務という感じがする」と書いていたのを思い出しました。

撮ったデジタル写真のほとんどは縮小してネットに掲載しておしまいなので、元のサイズで保存しておく必要はないのですが、なにかの時に必要かもと、つい残してしまいますね(笑)。本当に残しておきたい写真はKGサイズにプリントしています。

No title

瑞閏さん、こんばんわ~。

現状では、残したい写真は紙焼き(プリント)しておく、これしかないですよ。さらに、お気に入りは額縁に入れて飾る。これが本当の写真の楽しみ方なんですね。

飾りたくなる写真を撮るのが写真の楽しみと思いますが、これには本当はカメラハードjじゃなく、飾りたくなる額縁が大切なのではないかと思っています。それでワタシ、額縁の意匠登録(デザインの特許)を取りました。商品化できたら紹介しますね。

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