他人の権利

2017年3月22日
ノッケから謝りながら書き出します。今回も古い映画の話しで申し訳ないのですが、1969年の米国映画「イージー・ライダー」です。60才前後の方なら「オォ!」となり、「どんな映画だっけ?」となります。観たようで観てないような、とても不思議な映画です。

ワタシも同様でして、観たような記憶があってもストーリーが思い出せません。ステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう!」を聴くとさらに「ウン、ウン」となるのですが、ストーリーが脳ミソに残っていないのです。お店でDVDを手にして、「いまさら」と「観たっけ?」が錯綜して、「エィッ買っちゃえ」となったのです。(後で調べたら観ていました。ワタシのベータコレクションにありました。)

でもこの映画とてもよく出来ています。でも衝撃的なラストシーンで、コマゴマとした、チリバメられた言葉を見逃してしまうのです。それとジャック・ニコルソンが出ていて(なんでこれ忘れるか?)、作中、ジャック・ニコルソンとデニス・ホッパーの会話があり、ニコルソンのセリフがこの映画のテーマを語っています。ちょっと抜粋します。

「(アメリカが)怖がっているのは、君が象徴しているものさ。君に自由を見るのさ。」「自由を説くことと自由であることは別だ。カネで動くものは自由になれない。」「アメリカ人は、自由を証明するためには殺人も平気だ。」「個人の自由についてはいくらでも喋るが、自由なヤツを見るのが怖い。」と野宿の焚き火の前で喋っています。

「イージー・ライダー」は自由なヒッピーを描いています。自分の自由は尊重されるべきだが、ヒト(ヒッピー)の自由は煩わしくて、自由なヤツを見るのが怖い。恐怖が暴力となって噴出する物語です。自分の自由じゃなく、ヒトの自由、ヒトの権利を尊重できるのか、これ未だに人類のテーマですよね。しかし、50年前のアメリカ南部がそんな状況だったとするだけではなく、50年で世の中は変ったのかが重要です。例えば、ネット世界でときおり見られる炎上には、ヒト(他人)を認めない偏った自由が氾濫しているようですが・・・。

この映画、アメリカン・ニューシネマの最高峰との宣伝文句や非情なラストシーンで印象が薄まってしまいますが、映画そのものがとてもイイ出来です。映像も、セリフも、音楽も、役者も、どれも見事です。(因みに、監督はデニス・ホッパーなんですね。)しかし世の中は、ヒトの認識は50年くらいでは変らないということでしょうか?
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ゴチャゴチャ

2017年3月16日
え~っと、先日、まったく縁のない地域を訪ねる用事があり、トーゼン土地勘のない所に行くわけで、事前にちょっと調べて向いました。大げさなマエフリですが、青山一丁目という場所に初めて行って、ちょっとした展示会に顔を出してきました。

展示会そのものは、ちょっとじゃなくダイブにサボっている同好会の作品展示会でして、顔を忘れられないために出掛けたようなものです。小一時間、イヤもっと短い時間在廊しまして、会場を後にしたのですが、なにせ初見の街でどうやって帰ろうかと・・・。

イヤ、調べた会場までの道を逆に行けば問題はないのですが、ここで悪い性癖が出てきてしまいました。ワタシ、知らない街をテキトーに歩くのが好きなんです。時間に余裕があると偶にやるんです。上野から池袋までとか、代々木から秋葉原までとか、2時間前後であればフラフラと歩くのが好きなのです。

それでこの日、青山一丁目からフラフラ歩いたのですが、何せ知らない街、端から方向を間違えまして、渋谷に向ったのが見えてきた街は乃木坂でした。そう見たことのない乃木坂ナンタラで有名な乃木坂ですが、ここは幅の広い道路と青山墓地しかないアジもソッケもない街でした。

あまりにも面白くない街だったので、1時間以上もフラフラしていたので、速攻で脱出しようと地下鉄に乗りました。乃木坂から明治神宮前(原宿)で、これまた普段まったく利用しない千代田線という路線です。原宿なんて街は見たくないので、これまた速攻で、山手線で池袋まで逃げました。

東京の街は、特に台東区とか真ん中の千代田区などはケッコー見るものがあるのですが、橋場の白髭橋付近とか、九段下の俎(まないた)橋付近とかはそれなりに面白いのですが、乃木坂は空腹だったこともありツマラナかったですね。うぅ~ん、何が違うのかと考えてみたら、乃木坂にはヒトの生活のゴチャゴチャがないんですね。古い店、新しい店、古い家、新しい家、古い道、新しい道、たいていの街には新旧入り混じりのゴチャゴチャがあって、ゴチャゴチャが楽しいんですね。

整然と生きて行きたくとも、いつのまにかゴチャゴチャな人生となっている。どうもワタシの人生にはゴチャゴチャが似合っているようです。

まあだだよ

まあだだよ

2017年3月7日
までまだしつこく寒いですね。でも、もう暖かくなるはずという期待感というか、先入観みたいなものがありまして、分厚いコートはもう着たくないのです。軽やかなカッコーにしたいのに、それじゃ寒すぎる。メンドーくさい時期です。

最近、古い映画を探してきて楽しんでいますが、これは中古屋さんで買っているのですが、ちょっとヘンなことに気づきました。新品の映画DVDはどこで売っているのかとの疑問です。ワタシ、最近はレコード屋にも行きませんし、新品のDVDを売っているお店知らないのです。えぇっレンタルショップで売っている?ホント?以前書きましたが、ワタシの映画ビデオ鑑賞はベータマックスで完結していますので、レンタルショップも無縁でして・・・まぁ中古屋さんでいいや。

洋画が好きなので洋画ばかり探しますが、興味を引くものがなくて、まぁ邦画でもと棚を眺めていましたら黒澤明作品「まあだだよ」がありました。さらに見回していたら「姿三四郎」がありまして、まぁ観てみるべぇと買ってきました。帰宅して「さぁどっちから」とジャケットを見て気づきました。この2つ、「姿三四郎」がデビュー作で、「まあだだよ」が最後の作品だったのです。

「まあだだよ」は名作ですね。ヒトの生活の理想が描かれていますが、喜劇映画ではと思うほど可笑しくて面白いのです。喜劇映画でないのは笑いを誘ってもバカ笑いじゃなく、可笑しさがクスッとした微笑ましいものなのです。そして明治人の、明治時代の日本人の”気骨”と”清貧”が漂っているのです。

”気骨”と”清貧”。この2つは現代人が、明治から戦前までの日本人と比して、失くしてしまったヒトとしての特性じゃないでしょうか?”気骨”を装うのは”右寄りのバカ”ばかりだし、”清貧”は言葉として存在するだけで実在例は消滅しています。”貧”は多くあっても、”清”は見当たりません。おそらく”清”であることを尊いとする考え方、生き方が失われたのでしょう。

”貧”の反対語、”富”がまったく”清”と噛み合わない世の中となっていて、”富”と”気骨”が手を結ぶ世の中となっています。それじゃイカンだろうと警鐘を発しているのが「まあだだよ」です。”貧”な生活は誰も望まないけど、”足るを知る”生き方が大切と思うのですが・・・難しいね。

On The Board

 春を待ちかねているのに早々とはいかず、まだまだ冷気が身を包む昨今です。もう寒いのはアキアキなのですが、何事もイッショクタにはいかないようです。

 先日、ボォ~と考えるでなく、物思い(妄想)に耽っていると、随分昔のこと、30年以上前のことを思い出しました。新宿住友ビルでカメラ屋にいた頃のことです。30年前の新宿住友ビルは活気がありまして、5Fだか6Fだかにはビル内の従業員用の食堂がありました。ある時、昼過ぎに行くと、数人の女子社員に囲まれて和やかに食事しているケッコー年配の恰幅のいい男性がいました。斜向かいから観察していましたら、ワイシャツのカフスボタンがとても変ったものでした。

 カフスの正面に、○の中に”田”の字が見えるのです。島津家かと思うところですが、周りにいる女性は顔見知りのマクドナルドの社員でして、この男性は日本マクドナルドの藤田社長でした。この藤田社長、名前が”田(でん)”で、藤田田で”田”のカフスなのです。昔の大人はこんなオシャレだったのですね。壮年の男性が若い女性に囲まれて和やかに食事している。これはケッコーいい風景でした。

 なんでこんなことを思い出したのか分かりませんが、もう一つ思い出したのが同じ住友ビルに入っていた ITT(インターナショナル・テレフォン・アンド・テレグラフ=米国の大手通信会社)の部長さんです。この方、同じ紺色のスーツを一度に6着買って、曜日ごとに替えてくるという変った方でして、「僕くらいになると周りが服装を気にするので、同じカッコーで通す」とのことでした。それでこの方がよく言っていたのが「ボードに名前が載るまで頑張る」で、これは重役になることだそうで、自意識過剰気味でしたがカワイイ人でした。

 一般社員と昼食をとる社長と重役を目指す管理職ですが、”ボード(On The Board)”に引っかかりました。なんでも欧米では”ボードランチ”(パワーランチだっけ?)という昼食があるようで、有名レストランに予約を入れて、そこで重役連中が昼食をとる習慣があるそうです。欧米人らしいと言えばそうでしょうが、実にバカげていますね。日本の社長は、社員食堂で一般社員と一緒に食べるのが普通です。幹部と一般社員、報酬の違いだけで充分なのにさらに差別を助長したいのか、食事で差をつけるなんてイヤラシイですね。

 妄想の結末が、日本と欧米の両極端な習慣の違いとなってしまいました。ワタシ、日本の良いところはこの差別をなくそうとする意思、差別をイヤラシイとする感覚だと思うのです。実際に差別がないとは言えませんが、日本人には平等であろうとする意思があると思うのです。それが欧米化の波、情報化社会の進展で変わってきているのではと思うのです。会社のお金で少人数で贅沢な食事をとるなんて、ミットモナイ、アサマシイ行為とするのが日本人だと思うのですが・・・

 30年前といえばバブル時代の初期であり、欧米的な価値観の萌芽期でもあった時代です。そんな時代を思い起こしていたのですが、ワタシはどうしても、社長と女子社員が和やかに食事している方が理想の会社と思うし、向うべき社会だと思うのです。でも現実には社会は少数の欲望を満たす社会に向っていて、主人と奴隷の社会に回帰しようとしているように思えるのです。こうした現状もワタシの妄想であればいいのですが・・・。(因みに、BoardがBoardsとなると舞台の意となり、On The Boardsで舞台に立つとなります。)

印象操作

2017年3月9日
「印象操作」という言葉が聞こえてきました。ワタシはテレビ見ない、新聞読まない生活ですが、偶に聞くラジオから「印象操作」が流れてきました。口にしているのは、かの安倍チャンです。

嫁さんのアッキーが公人か私人かと姦しいのですが、公務員が5人も帯同して、5人分の交通費を自腹切ったとも思えず、いまさら私人なんて誰も思いやしないでしょう。そんな論争で、安倍チャンは「印象操作している」と仰っているのですが、ホントは「印象操作はオレの十八番(おはこ)だ!」と言いたいのではないでしょうか?

ワタシの友人で、地方在住で世間の情報はテレビと新聞という一般的な庶民がいます。2~3週間前に彼に森友事件を話したら、「えッ、そんな問題があるの?」と言っていまして、1週間ほどして「あの問題新聞に出ていた」との報告がありました。地方在住とはかぎらないけど、この世情ではテレビと新聞に頼っていると、いつの間にか情報弱者になってしまいます。

なぜ情報弱者になるのか、それは安倍チャンの「印象操作」が行き届いているからです。安倍チャン主催の食事会に、マスコミの社長連中がホイホイと参加する。おそらくご本人たちは「呼ばれて良かった」と思っているのでしょうが、マスコミには政権の監視という役割があることを忘れてしまっています。監視役がエサを貰って尻尾を振っているんじゃ・・・。ナサケナイ。

森友事件、これボロボロと疑惑が出てきて、自公はどうやっても黙殺できないでしょう。だって、これだけ騒がれても理事長さん、まだ学校を開校できると思っていますから・・。今後さらにこれまでの諸疑惑が掘り起こされ、これからの一挙一動が注目されます。そして、あの理事長ですから燃料不足はあり得ないでしょう。

さらにこの理事長、大阪府が学校の認可を取り消したら「賠償問題」になると、行政に脅しをかけています。これだけ怪しさ、バカさが世間に広まって、まだ森友学園を維持できると思っているようです。安倍チャンも大変な”お仲間”を持ったもんです。また別の”お仲間”のマスコミも大変です。いつ安倍チャンを見捨てるか決断しなければなりませんから・・。そう安倍式「印象操作」が瓦解する・・・かもしれませんよ。
プロフィール

等閑堂

Author:等閑堂
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