2つの愚問

2017年2月28日
日一日と春が近くなってきています。ようやく強い風が吹かなくなってきて、日差しに温もりが感じられる昨今、いかがお過ごしでしょうか?(手紙の出だしか?)

暖かくなることとは関係ないですが、ワタシ、数年前から2つのことに拘っています。それはこれまでのワタシの人生にはなかった疑問でして、一つは「この世の中に同じものは無い」と、「モノは消えてなくなる」ということで、何言っているのというレベルのお話しです。この世の中には同じものはゴマンとあるし、モノが煙のように消えるわけないと思いますもんね。

たぶん、養老(孟司)さんの本にあったと思うのが「この世に同じものは無い」ですが、同質で同等なものが大量に生産できる世の中ですから、同価なモノはいくらでもあります。それじゃなぜ「同じものは無い」のか?ヒトで言えば「同じヒトはいない」は納得で、顔や声や身長や体重、もちろん指紋と違いは多くあるけど、これらは全て細胞の違い。差異は細胞の元である分子や原子の違いで、視点を分子や原子のレベルとすれば、どんな工業製品でも差異はある。すなわち「同じものは無い」・・・。

次の「モノは消えてなくなる」ですが、我々は縄文杉や太古の奇岩などといったものを知っていて、何千年も何万年も消えないと思っている。でも「モノは消えてなくなる」と言う。この疑問は東北大震災の放射能騒ぎの時から、正確に言えば「物質の半減期」との言葉を知ってからです。あるモノは数日で、あるモノは数万年で半減期となり、物質(モノ)はホントに消えてなくなります。

「モノが消えてなくなるものか!」とのセリフはよく聞くもので、「消えてなくなる」は理解しづらいことです。でもナフタリンは1~2年で”消えて”なくなります。平安から鎌倉の時代に、正式な名称は知りませんが、ヒトの誕生時から幼年期、成人、壮年、老年、死、腐敗、消滅を描いた絵図があります。(今でもお寺によってはあるようです。)9つの衰退を表した絵図で、この絵の言わんとすることは、どんなヒトでも”消えて”無くなるということです。

この2つの愚問、なんでこんなことを考えるのか自分でも分かりませんが、「同じモノは無い」と「消えてなくなる」はケッコー重要なポイントではないでしょうか?「どこにでもある」と「いつまでもある」では、生きていく張り合いが全然違うような気がします。な~んちゃって!
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アナクロムジナ

2017年2月22日
アナクロニズム、もう最近では使われない言葉となっていますが、略してアナクロで「時代錯誤」の意ですが、このニュースを聞いて頭に浮かんできたのがアナクロニズムです。

大阪のどこやらかで幼稚園を運営している会社が、9億円以上の国有地を1億そこいらで買ったとのニュースが大きく膨らんできています。国有地ですから国民の財産で、国民の財産をこんなに投売りしちゃっていいんですか?しかも開校の計画時点で速攻で学校が認可されて、土地は市場価格の十分の一で、よくまぁこんなデタラメをやったもんです。

この小学校、開校のための寄付金集めの段階では、ナント「安倍晋三記念小学校」の名前で募金を集めていて、ナント名誉(かな?)校長が安倍チャンの嫁さん。なんだこのスジガキは?どこのアホウがこんなことをやっているのかと思ったら、ナントこのナンタラ学園、教育勅語を教えていると。やっていること、やろうとしていること、デタラメな手法、アナクロニズムですね。

なんでも神道を教育の基本としているそうですが、神道には教典がありません。強いて言えば「古事記」や「日本書紀」か?神道を口にする方は、万世一系とかスメラミコト(天皇)がナンタラと仰るけれど、「古事記」も「日本書紀」も神話です。神話を膨らませて史実を作ろうとするのは勝手ですが、どうして教育勅語が出てくるのでしょう。それ神道じゃないでしょう?それは明治以降に出てきた「国家神道」でしょう?

ワタシの推測に過ぎませんが、おそらく神道復古主義者は「忠」や「孝」を復活させたいのでしょう。「忠」や「孝」は、世界平和や交通安全と同じで否定できない言葉ですが、誰が誰に対して教え諭すのでしょう?これ重大な点で、国家権力が「忠」や「孝」を説くのと、一般庶民が、親から子に「忠」や「孝」を説くのとはまったく違うものです。国家の「忠」や「孝」は、国家に従えと言っているだけです。これをゴチャマゼにしてはイカンのです。

「神道」と「国家神道」は別物で、なんでゴッチャにするかな~?それとこのナンタラ学園は、中国や韓国に対して強い敵愾心をもっているようで、ことある毎に中国や韓国を罵倒しているそうです。さらに、このナンタラ学園は「日本会議」の関係者とのことです。あ~、それで安倍チャンと繋がっているんだ?このアナクロムジナめ!

憶測の塊

2017年2月19日
え~っと、今朝起きて何気なく窓の外に目をやると、庭がうっすらと雪化粧。そんなに寒くなかったし、そんな気配(分かりっこないけど)はなかったし、ビックリです。

なにか前回の続きになりそうだけど、正男さんと引退娘っこの話題がゾロゾロです。マレーシアの警察当局の発表なんてのはいいのだけど、ネットで見つけた「北朝鮮国内で噂が広がっている」という見出し、中まで読まないから見出しだけですが、誰か北朝鮮国内で調査したの?と突っ込みたくなります。また、引退娘の父親に多額の借金とかの見出しもありましたが、引退娘は親の借金の肩代わりに出家するの?ショーモナイ記事で、そんなモノ書いて恥ずかしくないのかと思ってしまいます。

一応ニュース、情報ですから、中身を読まずに書いちゃマズイかもしれませんが、こんな記事読んでられないでしょう?書いている方は「読まれなくともいいや、どうせウメグサだから」なんて考えているのでしょう。まぁ読者から突っ込まれる心配がないからいいのか?ホント、やっつけ仕事の見本ですね。

しかし、やっつけ記事というか、裏付けなんてないような記事が多いですね。そう、憶測の塊のような記事ですね。コレ昔からでして、有名なのはオウム真理教のやらかした「松本サリン事件」で、憶測が膨れ上がって被害者の夫を犯人扱いしました。また近いところでは、スタップ細胞の小保方さんも、真相を探るのではなく憶測だけで騒ぎました。

そうなんです。昔からずっと憶測に憶測を重ねるイイカゲンな記事が、まったく反省されることもなく闊歩しているんですね。この国では。「国民が続報を望んでいる」とイイワケしそうですが、この体質というか、性癖というか、酷いものです。重大事件やヒトの命に関わることであれば、拙速もイカシカタないかもしれませんが、急ぐ値打ちもないことは真相が判明するまで放っとけばいいんですよ。

まぁ引退娘は騒ぎに乗じて本の拡販を狙っているようで、マスコミは操られているだけじゃないですか?まぁ国政選挙の結果が開票前に出てしまう国で、それやったら開票する意味がなくなってしまうと思うのですが、この病、治癒の見込みはありませんね。

狂信者


22017年2月16日
世の中いろんな騒ぎが次々と起こります。すっかり忘れていた正男さんに、ナンタラとか言う若い娘っこの芸能界引退騒動。暗殺と出家ですが、どっちも詳しいことは知りませんが、なんじゃコレですね。

しかし今のご時世に”お家騒動”の暗殺です。しかもよその国で。スゴイ迷惑なことで、”お家騒動”は自国でやれよ!じゃないですか?一説には、正男さんは中国が保護していて北朝鮮一大事の際には中国が正男さんを擁立して傀儡国家を建てるなんてことが言われていましたが、アッサリと暗殺されてしまいました。中国なにやってんのですが、もっとエゲツナイことを考えていたりしますので、分からない話しですね。

なんでもマレーシアには北朝鮮の大使館があるそうで、マレーシアと北朝鮮はそこそこ交流があるそうです。それじゃなぜ正男さんはそんな所に行ったのか?なぜ中国は万全な警備体制をとらなかったのか?分からない話しですね。でもこれだけは確かで、いまさら一族や一家族の独裁が続くわけがないということです。正恩でも正男でも、たった一人で国家の命運を、国家の運営をできるわけがないということです。”お家騒動”そのものがナンセンスじゃないですか?

もうひとつナンセンスなのが出家です。初めてこのニュースを目にしたとき、ワタシ、出家と家出の誤字じゃないかと思いました。二十歳ソコソコの娘っこじゃ、家出の方が似つかわしい言葉ですから・・・。それと幸福の科学ごときが、なにが出家だと思ったのです。出家というのは、それまでの自分の人生をすべて捨てるということで、これからの自分の人生をそれに賭けるということですから、二十歳ソコソコの娘っことは縁遠いことです。

だから出家を口にする娘っこにしても、それを宣伝したい宗教団体にしても、なにバカ言っているんだ・・・そんなレベルの話しじゃないですか?そしてこんな話しで騒ぐマスコミも、なにバカ言っているんだじゃないですか?出家を高尚な行為と言いたいのかもしれませんが、今回の出家はただの金儲けの延長じゃないですか?

家系の温存と教団の営利事業、規模の違いはあれど、どちらもクダラナイ話しです。どちらも狂信者や商売人の妄想、騒ぎ立てないほうがいいと思うのですが・・・。

カポーティと冷血

capote.jpg
2017年2月12日
とっても面白い、いい映画を見つけました。「CAPOTE」というタイトルですが、そうトルーマン・カポーティの「CAPOTE」で、ワタシにしちゃ新しい2005年の作品です。

これ見終わって「いや~いい映画だ」と思ったのですが、アカデミー賞主演男優賞を獲っていますが、「冷血」という映画があるのは知っていましたが、これ知りませんでした。そう、トルーマン・カポーティと小説「冷血」を知らなければ見逃してしまうでしょう。観たとしても「いや~いい映画だ」とならないかもしれません。

1959年、米国南部で起きた一家4人惨殺事件をルポルタージュ風に書いた小説が「冷血」でして、この「CAPOTE」は「冷血」を書くにあたってのカポーティの取材活動を扱った映画です。惨殺事件が起き、その殺人犯を取材し、事件の背景や犯人の心情を解き明かそうとしたのですが、ナント、6年の歳月を費やしているのです。

この6年がポイントでして、誰が見ても1級殺人で早々に「死刑」となる事件なのに、カポーティが弁護士を紹介するといった関与でローカルな事件が全国的に注目を浴び、再審に告ぐ再審で判決まで6年を要したのです。そしてカポーティは殺人犯の心情を掴むために、殺人犯と親密になっていく。しかし「死刑」が執行されなければ、惨殺に至った殺人犯の心情が解明できなければ、小説は完成しない。

個人的に親しくなった殺人犯の「死刑」を待つカポーティ。「死刑」が執行されなければ小説は完成しない。このハザマでグラグラと揺れ動くカポーティ。この葛藤が見事に描かれています。そしてこの後、長編小説を一冊も書き上げられなかったカポーティ。面白そうでしょう?でも「冷血」を読んで「CAPOTE」を観よう!なんてムリでしょうね。
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等閑堂

Author:等閑堂
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