答えは・・?

2016年12月29日
「・・・人間の歴史が始まって以来、地球は100億の人が生まれ、死にました・・・偶然の一致ですが、私たちの住む宇宙、銀河には100億の星があります。この地球に生まれ、死んだ男女の一人一人が星となって輝いているのです・・・」

これはアーサー・C・クラークの言葉です。孫引きなのですが、1968年の映画『2001年宇宙の旅』のパンフレットに載っていると、1988年出版の『2061年宇宙の旅』の解説にありました。(川又千秋という方の解説文です。因みに『2001年』は『2010年』『2061年』『3001年』の四部作です。)

なんで今頃『2001年宇宙の旅』なのか?実は中古ビデオ屋さんで映画DVDを漁っていましたら、『2001年』に目がとまり思わず買ってしまったのが始まりです。ワタシのビデオライブラリーはベータ(!)でして、閲覧を休止して既に20年以上閉鎖したままで、『2001年』も同じく20年以上見ていなかったのです。

『2001年』いいですね。こうしたいろんなことを想像させる、考えられる映画は大好きです。逆に「ワケ分からん」という方もいますが、分かったつもりでもいいんじゃないですか?いい・良くない、好き・嫌いの判断は個々のもので、どのように解釈しようが個々の勝手ですから。ここは泣くところ、ここは笑うところ、ここは怒るところ、なにもキッチリ決めつけることはなく、ヒトと違った解釈でも、トンデモナイ解釈でも構わなくて、多くの解釈があり得るものが「面白い」のではないでしょうか?

つまり、答えが幾つもある。正解なんてない。アナタがそう思うのならそれでいいと思うのです。でも、なにか同じ一つの解釈を押し付ける、解釈を求める風潮があるように思います。「この映画は○○を現している」「この音楽は○○を伝えている」と、答えは一つと押し付けようとしています。簡単な共通理解を押し付け、共通理解を求める。なにもそんなに答えを一つにしなくとも、求めなくともと思うのですが・・・。

冒頭のアーサー・C・クラークの言葉、どうですか?おそらくヒトは亡くなれば星となる・・・と簡単に理解されますが、100億の星と100億の死者、死はどこにでもあるフツーのこととも解することが出来ます。そう、解釈は自由なのです。自由とは”自(みずから)”に”由(よる)”ですから、押し付けられるものでなく、誰かに求めるものでもなく、自分で決めることです。・・・ん、結論は?結論を求めるな!でも結論なんてあるのだろうか?・・・「答えは風の中にある」・・・ディランはスゴイね。

今年も何も得られず、ただ粛々と時を重ねました。どなた様も、よい年をお迎えください。
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数を弄する

2016年12月27日
こんなニュースはどうでしょう?「経済産業省は26日、繊維原料や糸、織物の国内流通量を表す繊維流通統計で、回答数の減少を補うために過去のデータを長期間にわたって流用を続け、実態と乖離した統計結果を公表していた」と発表しました。そう、お役人が国の統計はデタラメですと白状したのです。

統計を出すために各企業の取引量や在庫数の調査を調査会社に依頼していたのですが、回答を得られない企業は過去のデータを使うようにとか、またデータ流用を解消(糊塗?)するために数値を恣意的に減少させるとか、経産省が指示していたとのことです。つまり、データの流用や捏造を経産省(お役人)が勧めたということです。
 
統計データの収集を外部の調査会社に依頼するのは仕方ないにしても、データの流用や捏造をお役所が指示したというのは怠慢どころか、給料ドロボーどころか、公務員として違法行為じゃないでしょうか?つまりこれは犯罪じゃないでしょうか?お役人が虚偽の報告書を税金で作成したのですから、犯罪でしょう?

でも当の経産省は、つまりお役人は罪の意識がないから平気でこんなことを発表します。ちぃっとも悪いことと認識していないのです。それはどうしてか?お役人は何をやっても、やるべきことをやらなくとも、どんな時でも責任を取らされない、罪とはならない”身分”となっているからです。

こうした公務員の罪を負わない身分制度が定着していることが問題なのですが、このニュースではもう一つのことが露呈しています。公務員が罪の意識もなく数値をイジッていることです。そしてそれが通例、慣習となっているということです。ということは、お役人(国)の発表する数値そのもののが信頼できないということです。

政治家がその数値を恣意的に使うことは往々にしてありますが、数値はもともと状況を強調されるために使われますが、その数値がお役人のデタラメ仕事で為っている。なんともスゴイ状況になっていますね。数を弄するのも、国民をナメるのもエエ加減にせい!ですよね?

国よりヒト

 墜落事故からわずか6日で、オスプレイが沖縄の空を飛んでいます。事故当初は安倍チャンも官房長官も「徹底した調査を!」と言っていましたが、たった6日で忘れてしまったようです。そうです。米国サマ、米軍サマには何も言えないのです。それともう一つ、「沖縄ならいいや」と思っているのです。以前、この国ではアイヌと琉球に対する民族差別があると書きました。先の大戦での沖縄の捨てられ方や、その後の米軍基地の集中化はまさに差別です。

 先日、蝦夷(エゾ=エミシ)との言葉を久しぶりに見ました。それは北海道という地名の由来を説明した記事で、なんでも2018年で、命名されて150年とのことです。記事はQ&A形式のなっているのですが、ちょっと気になる部分をピックアップします。

 北海道の名前は、松浦武四郎という方が「北加伊道」と提案したとのことで、「加伊」は「アイヌ」を指す言葉で、「アイヌが暮らす北の土地」で、これで「蝦夷地」から「北海道」となったそうです。そしてこの松浦武四郎という方は探検家とのことですが、明治2年に現地の開拓判官(責任者のようなもの)になったのに翌年には辞職しています。理由は、アイヌ民族に対する差別や暴力をなくしたいとする彼の意見が聞き入られなかったからとのことです。するとどうなったのか?本州からやってきた開拓者に農地や漁場を優先的に与え、アイヌを住んでいた土地から追いやったのです。・・・と記事の要約はこんなもんで。

 ここで気になるのは「アイヌ」と「蝦夷」で、確かに江戸時代は北海道を「蝦夷地」と言っていたのでしょうが、「アイヌ」と「蝦夷(エミシ)」は違います。蝦夷の歴史上の初出は「日本書紀」で、659年(斉明天皇5年)の遣唐使派遣の記事に「道奥(みちのく)の蝦夷男女2二人を以って、唐の天子に示(み)せたてまつる」とあります。古代では白河から北が陸奥(道奥)で、「道奥の蝦夷」は東北に住んでいた民族で「アイヌ」とは違うのです。

 こんなメンドーなことを書いたのは、古代から平安時代くらいまでの日本は関東(白河以南)から熊本くらいまでで、北の民族を蝦夷とし、南の民族を熊襲(くまそ)と呼んでいたのです。この南北を徐々に平定していって、残ったのが北海道と沖縄で、どちらも近代まで日本から放置された地域だったのです。

 「北海道」誕生からまもなく150年とのことですが、プーチンが北方領土を返してくれそうにないとニュースになっていますが、領土問題が出てくるたびに不思議に思うことがあります。旧住民の帰郷を願う気持ちはあるでしょうが、領土を取り返すことや主張することにどれほどの意味があるのかと。それじゃどこかの国と変らないと・・・。

 いまやこの国の中で、ちょっと都市を離れると過疎化が進んでいます。北海道も沖縄も政治的に利用されるだけで、住民は捨て置かれています。政治家は領土を声高に言うけど、肝心の領民(国民)はどうなっているの?いま現在、生活に困窮している国民がいて、地域がある。領土とはいえ誰も住んでいない地域は、後回しでいいんじゃないでしょうか?まずは福島、熊本、沖縄じゃないのか?領土(国)より国民(ヒト)じゃないのか?そう思いませんか?

(しかし、北方領土問題が経済開発案件に切り替わりそうですが、安倍チャンのやることはキナ臭いことばっかりですね。)

ケータイチェンジ

2016年12月15日
とても迂闊な話しですが、ケータイが故障していました。いつからかは分からないのですが、確か今月の初めに誰かに電話してからだと思うのですが、ワタシのケータイ、通話しようとしてボタンを押すと、相手番号を途中までしか表示せず切れてしまうのです。そう、電話かけられないのです。

昨日、知人からの不在着信があり、電話しようとして気づきました。何度試しても繋がりません。なんとも間の抜けたことですが、ワタシ、大凡のこと月に2~3回しか電話かけませんので、こんなことになってしまいます。でもかからないと分かっているケータイでは心許ないので、仕方なくケータイショップに出掛けました。

因みに15年ほど使っているケータイで、ショップで「電話かけられない」と症状を伝えると、裏に持っていき症状の確認です。すぐ戻ってきて、「古い機種ですので、修理にはかなりかかります」とアッサリ仰りまして、「機種変更がいいですよ」と。そんなことには驚きませんので「どんなのがあるの?」と聞くと、製品展示台のスミッコの機種を指して「これです」と。そこにあるのは白と黒のガラケー、そう1機種2モデルしかないのです。(ガラケーは他にも2~3種あるけど、価格帯と操作感が似ている機種が1機種のみということです。)

ワタシの風体と古いケータイを見てスマホを勧めるのを諦めたのでしょうが、1機種2モデルしか選択肢がないのは潔(いさぎよ)くていいですね。「アッ、白でいい」、ほんの数秒、これで終わりです。そう、電話で遊ぼうなどと思っていないので、これで必要かつ充分なのです。

それで、帰宅して、充電して、ケータイの画面を開けると、「はじめまして!ケータイがあなたの執事になるiコンシェルをご存知ですか?」と出ています。まぁ今の世の中、小さなチップひとつで、あんなこと、こんなこと、いくらでも出来るのでしょうが、ワタシはまったく興味がなく、「ホットケ!」としか思えません。

いまどきのケータイは、パソコンでも同じだけど、機能満載でなければ売れないのでしょう。でもワタシが使う機能は電話帳だけで、メールすら不要ですが、偶にメールをくれるヒトがいて仕方なく使っています。すると、充電して1時間ほどして「You've got a Mail」との声(音)。開けてみると、○天から10通ほどのメール。だからメールはイヤなんだよ。金の亡者め!

左折優先

2016年12月14日
世の中には知らないこと、忘れてしまっていることがいっぱいです。先日、元オマワリさんだった知人と話していましたら、えぇ~!と驚くことがありました。

交通法規の話しで出てきたものですが、まずは2段階停止というもの。これ昔々、原付バイクに乗っていた時に捕まったやつだと思い出したのですが、すっかり忘れていました。つまり、枝道から本道に入る際、最初に停止線で止まって、次に合流の確認のために止まるというやつです。これ、バイクばかりでなく4輪車も同じで、停止線と合流確認で2回止まらないと違反になるとのことです。2段階停止ご存知でした?

もう一つは「左折優先」です。駐車場や建物に入ろうとするとき頭に浮かぶのが「左折優先」で、左折車が先に入れると思っていましたが、これ間違いだそうです。元オマワリさんが言うには、「左折優先は3つの場合しかない。(左折優先の)標識がある場合、交差する道路の片方の道路に交差点を横断する中央線がある場合、交差する道路の幅に2倍以上の差がある場合。この3つしか「左折優先」ではないとのことです。

この「左折優先」知っていました?駐車場や建物に入る際、「左折優先」なんてカンケーないのです。イヤ「左折優先」じゃないのです。でも、おそらく10人中7~8人は「左折優先」と思い込んでいるのではないでしょうか?2段階停止といい、左折優先といい、なぜ理解されていないのでしょうか?

まだまだ誤って理解されている交通法規はいっぱいあると思いますが、この理解度の低さは大問題じゃないでしょうか?理解していないということは、違反じゃないと自信を持って運転しているということです。そういうヒトが多いと、本当の交通法規を順守するほうが危ない運転となってしまいます。

運転免許更新の際は交通事故のビデオばかり見せられますが、警察はこうした交通法規の誤解例を良く知っているでしょうから、まずは誤解を解く、正しい交通法規の啓蒙に注力するべきじゃないでしょうか?ただ知人の話では、交通法規はあまりにも細分化されていて、オマワリさんでも覚えきれないと・・・。取締り側が理解できてなく、ドライバーは誤解している。怖ろしい現実ですね。
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Author:等閑堂
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