小さな諍い

2016年10月29日
えぇ~っと唐突ですが、ワタシ、今期町内会の班長をやっております。15家庭の町内会費を集めたり、祭事の案内や一斉清掃などがあるのですが、一斉清掃は朝8時からでまったく参加できていませんが、それでも今期は班長なのです。

班長の役目でもっとも遭遇したくないのは葬儀です。町内会のどこかの家庭でどなたかが亡くなると、真っ先に班長に連絡が入ります。そしてその家庭にお邪魔して、焼香して、葬儀次第を聞き、町内会全ての家庭に通知して回るのです。その中でタイヘンなのは葬儀で何かの役割が発生した場合で、僧侶の送迎とか葬儀での受付役とかですが、これを誰かに依頼するのはタイヘンです。

しかし、これ以上タイヘンなことが先週起きてしまいました。5~6年ほど前から特養施設に入所していた町内会のお婆さんが98歳で大往生なさったのですが、このお婆さん一人暮らしをしていまして、5~6年不在でして、町内会から慶弔の見舞いとして2万円の香典を出すのですが、今回はどうなるのという問題が起きたのです。

これだけでは誰が葬儀を出すのという疑問が出てきますが、ハナシがややこしくなるのはこれからで、同じ町内会にこのお婆さんの娘さんがいらっしゃるのです。娘といっても70歳過ぎの充分なお婆さんですが、この方に香典2万円を出すのか、出さないのかで揉めてしまいました。それで「班長どうするの?」って・・・。

「どうするの?」なのですが、町内会には町内会費とは別に組合費というのがあり、こうしたお見舞い費用や「赤い羽根募金」などに支出する組合費があるのです。組合費をこういう時のためにプールしているのですが、この緊急時に「出すの」「出さないの」と会合を開くことも出来きません。「ムムッ?」なのですが、ちょっとオカシナことがありました。「出すな」の反対派は、誰かが「出すのはオカシイと言っている」というハナシで、実際に誰が反対しているという実体が見えないのです。

要するにこれは、小さな町内会での○○家と○○家のささやかであっても根深い反目が底に合って、実体不明な○○家が誰かの口を使って反対を表明したのでした。なんともメンドーなことで「このヤロー!」なんですが、反対派の○○家が分からないのでは話しにならず全額出費としました。ホント、メンドーなことですが、でも世の中にはこの手の反目って、確たる理由もない反目ってあるんじゃないでしょうか?小さな諍い、メンドーな諍いですが、なんでワタシに降りかかるの?
スポンサーサイト

集中砲火

2016年10月25日
今日のニュースにちょっとオカシナ現象が見られました。それは確か先の参院選に出馬した、元芸能人の大麻使用容疑による逮捕報道です。

普段見ているMSNのトップページ、トピックスや国内ニュースやスポーツニュースや芸能欄などがあるところに、ナント6ヶ所にも「高樹沙耶」が登場しているのです。「高樹容疑者の同居男性、容疑認める」、「高樹容疑者、謎の同居男性4人の素顔」「高樹容疑者の逮捕にやっぱりの声」「高樹容疑者、押収パイプに使用の痕跡」「高樹容疑者のツイッターは大麻だらけ」「沙耶逮捕、坂上忍が胸中をあかす」・・・スゴイでしょう。

これオカシクないですか?ワタシ、「高樹沙耶」という方にまったく興味ありません。彼女が大麻をやっていたか、否か、興味がありません。「アッそう」という感じです。でもニュースサイトのトップページで6ヵ所にも書かれていると、「なんかヘン?」と思うのがフツ~じゃないでしょうか?

それとこの記事、見出しで推測されるのはほぼ伝聞だろうということで、「誰が」と明らかなのは坂上忍という方だけです。こんなバカゲタ記事、中身までは見ていませんが、中身があるとは思えません。大麻の使用容疑なら、「高樹沙耶逮捕」の1つで充分で、なぜに6つもの記事が出るのでしょう?

これはひょっとしたら「刷り込み」効果を狙っての「これでもか!」手法で、これで「高樹沙耶」という方の社会的なポジションは全否定されるのです。「高樹沙耶」はまだ容疑者の段階ですが、これだけ書かれると社会的に消し去られてしまいます。それが狙いの集中砲火で、「高樹沙耶」が有罪か無罪かはカンケーないのです。

オカシイですね。こんなことをやってMSNに何の得があるのでしょう?どこからか集中砲火のオタッシが出たのでしょうか?オカシイですね。

40年ぶりの邂逅

2016年10月19日
偶然というものはあるのか?偶然と思えて本当は必然だった。そう思うことがよくあります。

今日、ちょっと所用があり池袋周辺に出掛けました。丁度着いた時刻が昼前だったので、所用は東口方面だったのですが、確か西口にトンカツ屋さんがあったなと思い、西口に向いました。何気なく西口に向ったのですが出口を間違えまして、東京芸術劇場に出てしまいました。「まぁいいや」と劇場を出ると多くのテントが立っていました。

「なにをやってるのか?」と近寄ると「古本市」で、10張できかないテントにビッシリと本が積み上げられていました。「やゃ!どうすべぇ?」と動揺してしまいました。ワタシ、古本屋さん大好きで見すごしできないタチで、暫し思案しまして、昼食→所用→古本市とスケジュールを組み替えました。(タイソーですな)

それで所用を済ませ、サッソウと古本市に戻ったのですが、あまりの量の多さ、あまりの似たものばかりでちょっとウンザリしそうになった時見つけた、目が合ってしまいました。何のことはない漫画なのですが、「カムイ伝」第1部の1巻から21巻までのコンプリートセットが、山積みになって目の前に並んでいたのです。

「うぅ~なんてこったい」「なんでここで出会うのか?」「買うしかないじゃん」と結論は簡単で、見つけて3秒で「オジサン、コレ」と声掛けてしまいました。これ初版の発行は昭和42年で、ワタシが買ったものが昭和53年の第22刷で、なんと第一巻なぞは40年ぶりに目にするわけです。ナント、昔々の話であることか!

そうなんです。昔々、これ全部持っていたのに、40年の経過ですべてどこぞへ散ってしまっていたのです。それでやっと邂逅したコンプリートセットで、後先考えずに買ったのですが、「えぇ!どうやって持って帰るべぇ?」とトーゼンなります。すかさずオジサンに「宅急便で送れますよ」と声掛けられましたが、セットを持ち上げて「うぅ~ん、持って帰りますよ。縛って取っ手(持ち手)を付けてください」と言ってしまいました。

「カムイ伝」第1部21巻、第2部22巻で未完状態ですが、白土三平、書きも書きたりという感じですが、こんな昔々の漫画がまだ流通していて、まだ買い求めるワタシのようなものがいる。ヒョンな結論になりますが、嵩張っても、重くとも、古くてボロボロでも、やっぱ実物の本はいいな~ですね。モノがなければ邂逅もないわけで、この出会いは偶然ではなく必然だったのでしょう。

平和賞???

2016年10月18日
ディランが話題となっています。一瞬えっと思うノーベル文学賞受賞ですが、たしか去年、候補に挙がっているようなことを耳にしたような気がしますが、落ちた候補者をノーベル財団が漏らすことはないでしょうから、ガセネタと思っていましたが、ホントだったのですね。でもディラン、なにかバックレてしまいそうな雰囲気となっています。ノーベル賞をバックレるなんてカッコいいですね。

たしかにディランの歌は、イヤ歌詞は文学としても立派に通用すると思います。思うのだけれど文学賞と括られると、「ちょっと違うだろう?」とも思うのです。ディランの歌は、イヤ歌唱といった方がいいでしょうが、歌詞を重視しているように聞こえます。そう、ディラン流の歌唱はラップのようにも聞こえるのですが、ところが別の歌手がディランの曲をやると、どの曲もとてもいいメロディなのです。けっしてラップじゃないのです。

そういえば、ちょっと前にウッデイ・ガスリーやレッドベリーをトリビュートした「A Vision Shared」でディランに触れ、もうちょっと前に、ヴァン・モリソンが歌うディランの「It's All Over Now Baby Blue」も紹介しましたが、なにか今回のマエブレだったのでしょうか?

でもワタシ、ディランはノーベル賞を貰ったほうがいいと思います。シレ~っと受賞会場にギターをぶら下げて登場して、シレ~っと1曲歌って、シレ~っと立ち去る。それでいいんじゃないでしょうか?ノーベル財団にしても、奇をてらって「ディラン」の名前を出したわけじゃないでしょうし、やはり50年以上にわたる彼の一貫した音楽活動を評価しているでしょうから・・・。

ちょっと余計なことですが、北大路魯山人は織部焼(陶器)の重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されたのに辞退しました。写真家の濱谷浩は、文部省の芸術院選奨(だったかな?)を返しています。魯山人は、篆刻家・書道家としてだけでなく、陶器や料理の世界に大いに貢献しました。濱谷浩は、日本人で初めて世界的な写真家集団「マグナム」の会員となったほどの方です。二人とも間違いなく超一流の芸術家です。

魯山人は料理ブームで再認識されていますが、濱谷浩を知っている写真好きは少ないでしょう。そうなんです。この国では、お国からの表彰を断ると世間的に冷遇される、疎かにされるのです。(濱谷浩は「愚かな戦争を起した国から表彰されたくない」とハッキリ言ってましたから、国を挙げて意趣返しされたのでしょう。)

脱線しましたが、やはりディランはノーベル文学賞を貰ったほうがいいのじゃないでしょうか?ん?平和賞なら貰うのじゃないかって?そうかもしれませんね。

タダのものは無い

2016年10月13日
とてもヘンなことが起きています。携帯電話キャリアのキャンペーンで牛丼がタダになり、牛丼屋さんに行列ができるという現象が起きています。ん?何もオカシイことじゃない?でもワタシ、これオカシイと思うのです。

ソ○トバ○クが自社の携帯電話サービスの顧客にキャンペーンを打つ、どんなキャンペーンかは知る由もありませんが、キャンペーンに乗った結果牛丼が「タダ」というメールが送られてくる。そのメールを店舗で見せれば、ホントに牛丼が「タダ」で食べられる。なにもオカシイことはないじゃないか!でも釈然としないのです。

ソ○トバ○クが嫌いな企業という事実は置いといて、なぜこのキャンペーンが嫌いなのかと考えてみると、「無料=タダ」に辿り着きました。食品や物品を業としない企業が、食品や物品を「タダ」で提供する。これは確かに新しいサービスの形なのでしょうが、そんなにまでして「タダ」にする必要があるのか?そう思いませんか?これ問題は「タダ」なのです。

携帯キャリアの現状は非常に潤っています。i-Phoneという携帯電話のおかけで、LINEとやら、ポケモンナンタラやらで通信費が急増してウハウハな状態です。まぁビジネスですから、どんなものでも儲ければいいのですが、キャンペーンが儲けの還元であれば、顧客に対するホントのサービスであれば、牛丼を「タダ」にする必要はないでしょう?通信費を安くすりゃいいだけでしょう?

ヒトは「タダ」に弱いし、「タダ」ほど安直なサービスはありません。そして「タダ」の味をしめたヒトは、次々と「タダ」を求めるようになり、「タダ」はサービスの常道となる。こんな楽な方法はないのですから・・・。そして残っていくのは、牛丼は「タダ」になるもの、アイスクリームもドーナッツも「タダ」になるという感覚です。(今後、アイスクリームやドーナッツもやるらしい)

でもフツ~に考えれば、世の中に「タダ」のものはありません。「タダ」を敷衍させるのは、商売としては禁じ手なのです。「坊主憎けりゃ・・」な理屈となってしまいましたが、ワタシは「タダ」に乗せられたくはないのです。
プロフィール

等閑堂

Author:等閑堂
”ひつじのこ”にようこそ!
あなたの日々積み重なるものはなんでしょう?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ