記憶のリンク

2016年8月28日
ヒトには誰しも”勘違い”とか”おぼえ違い”があります。「確か・・・そうだよな?」とか、どこかで見た覚えがあるが何ヶ月か何年か経ってしまうと、実際とかけ離れたものとなります。

先日のこと、洗面台の上の蛍光灯が切れかかっていたので「取り替えるべぇ」と思い、カバーを外して蛍光灯の品名を見ました。そして点灯管の有無も確認して、近所の電気屋にひとっ走りです。ところが電気屋が開いていないのです。「勝手に潰れやがったか?」と呟き、ちょっと離れたホームセンターへ向いました。(後で気づきましたが、電気屋はまだ開店前だったのですが・・・。ヒドイ決め付けですね。)

ホームセンターで合ったサイズの蛍光灯を買い求め、横目でチラッと点灯管も見て帰りました。それでさっそく取り替えにかかったのですが、新品の蛍光灯に替えても点きません。「ムッ、この野郎」と思いながらも、点灯管をよく見るとかなり黒ずんでいます。「ちくしょうめ!オマエもか?」。でも点灯管を横目で見ながら買ってこなかったのは、点灯管の予備があるとの記憶があったからです。

それで家中の捜索にかかったのですが、ありそうな場所を次々に捜索したのですが出てきません。どこで見たのか記憶を辿っていくのですが発見できません。それで「こんな時は一服すべぇ」と湯を沸かしに台所に入りますと、台所の食器棚に点灯管が2個・3個転がっているのです。「こんなところにありやがった!」「誰がこんなところに置いたの?」。(もちろんワタシなんですが・・・)

コレ、点灯管の予備があるというワタシの記憶は正しかったのです。でもその記憶が、置いていた場所とリンクしていなかったのです。「ある!あるのは絶対ある!」「でもどこに?」。失せものが発見できないのは、ほとんどこの記憶のリンク切れなのです。

年をとるとこんなケースが頻繁になるそうですが、ワタシャまだ大丈夫と思っておりますが、家のドアの鍵を掛けっぱなしで、内側から施錠して安心して寝ちゃうことが2ヶ月に1度くらいの頻度であります。ですのでワタシも自分で思っているほどじゃないのです。しかし、朝、家の中で鍵を探し回っている姿ってとってもコッケイです。皆様もお気をつけ下さい。
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この時代の真実

2016年8月26日
今日は「なんじゃこりゃ?」というニュースがいくつかありました。ちょっと並べてみましょう。

まずは聞きかじったばかりの話。どこかの警察署がどこかの民間人の居宅か会社に、秘かに監視カメラを設置していたのが判明したというものです。なんでも警察は選挙違反に関する捜査だと言っているようですが、そして警察内部で懲戒だの厳重注意だの処分を下したとのことですが、コレなんですか?

警察は捜査目的であれば何をやってもいいのか?警察が民間人を監視することはよくあることでしょうが、秘かに監視カメラを設置するのは明らかな憲法違反。違反行為で得られたモノじゃ証拠になりません。コレ超悪質なデモンストレーションであり、国民に対する示威行為です。

次に、NHKのワンセグ携帯に対する受信料徴収問題です。コレ地裁の判決が出たのですが、もちろんワンセグにNHK契約義務はないというものです。コレ当然のことです。携帯電話のワンセグ機能が「受信設備」に当たらないとの判断ですが、「受信設備」に対してすべて契約義務を持ち出すこと自体が”イイガカリ”としか思えません。

それでもなおNHKは「ワンセグは受信設備に当たり、契約を結ぶ必要がある。」と言っています。契約義務対象を増やすことにチマナコになっているのでしょうが、視聴者に向った正当な放送をやっているのか?正当な会社運営をやっているのか?やるべきことは”イイガカリ”の正当化じゃなく、自省です。

もうひとつ。自民党の2階とか3階とかいう方が「女性天皇を認めないのは時代遅れ」と仰ったのですが、これを即座に否定するかのように官房長官が、「男系継承が古来例外なく、今日まで維持されてきた。この重みを踏まえながら、安定的な皇位継承の維持について考えていく必要もある」と述べ、また「安定的な皇位継承を維持することは国家の基本にかかることであり、極めて重要だ」として「この問題は慎重かつ丁寧に対応する必要がある」と話しました。

「男系継承が古来例外なく・・」というフレーズは安倍チャンも使っていましたが、右よりの方もよく使うようですが、ワタシ、古代史や古事記や日本書紀関連の本が好きで多く読みましたが、そんなこと書いている本は1冊も見たことありません。だからワタシは、男系承継なんて神話でしかないと思っています。神話を事実として話すのはオカシナことで、女系に流れようが気にすることはないと思うのです。

なにか「なんじゃこりゃ?」が、いつのまにか”この時代の真実”となってしまっていくようで、とてもマズイと思うのです。だから、こんな辺境(偏狭?)のブログでも書いてしまうのです。

騒いで儲ける

2016年8月25日
オリンピックが終わり、高校野球が終わり、台風も過ぎ去って(これはまたいつ来るかわからないけど)、ようやっと世間が鎮まってきたようです。ワタシ、こういうこと、オリンピックや高校野球で騒ぐ、”ネコも杓子も”はキライなんですね。

でも世の中は”ネコも杓子も”が大好きです。誰もが口にする、誰もが興味を持つ、そうなればどうなるか?そう、商売の好機到来なんですね。耳目を集めたもの勝ちで、売り抜けたものが勝つ。そう、これが資本主義っていうもので、いまや宣伝・広告企業が世の中を牛耳っているかの様相です。

最近もうひとつ気になっているのが、ワタシのFaceBookですが、これ写真関連の方が多いのですが、特定のカメラメーカーの、特定のカメラの記事が多くなっていることです。とても鬱陶しいのですが、誰かが「いいね!」を押すからなんでしょうが、なぜ特定メーカーの特定モデルなんでしょうか?とっても不思議ですね。

ワタシ、写真やカメラ関連の仕事を30年以上やってきましたが、今でもそうですが、カメラハードってドンドン興味が薄くなってきています。カメラの新製品に興味がないのです。だけど巷に出れば、カメラ屋に、ネットの世界にハードがドッサリです。高性能で精細に撮れる!とですね。

でも、この業界に30年以上いるワタシはハッキリ言いますが、写真はカメラじゃないんです。そう、高性能や高精細じゃないんです。メーカーはハードの違いをことあげますが、楽しめる写真、永く鑑賞することの出来る写真、その時を切り取った貴重な写真にハードは関係ないのです。

ん?何か繋がってきましたね。そう、騒げば商売になる実例となっています。この国の流れがスッカリ、騒いで儲けよう主義になってしまったのですね。ん?・・で誰が儲けるのでしょう?

想像を超えろ!

2016年8月20日
今回のオリンピックは盛り上がっているようで、会うヒト、会うヒト、「イヤ~凄かったね」と切り出します。でもワタシは何一つ見ていませんので、「あっそう」てなもんで、ちっとも盛り上がりません。まぁワタシの偏屈ブリを知っているヒトは問題ないのですが、知らないヒトは「ノリの悪いヤツ」と思っていることでしょう。

ヒトは何に感動するか?何に引き込まれるのか?これ案外簡単でして、自分の想像を超えた結果です。「頑張って銅メダルかな?」が金メダルとなると「ワォッ!」となるのでしょう。こうした予想外、想像してなかった結果が、今回の大会には多々あったということなんでしょうかね?

想像の域を超えることはそうそう起きないことで、フツ~の生活の中では滅多に出くわさないことです。先日ラジオを聞いていたら、若いヒトにインタビューした、UFO、未確認飛行物体の体験談なるものが流れていたのですが、これがまったくの想像内のもので、本人はビックリしたのでしょうが、聞く方はまったく驚かない、平々凡々なものでした。そう、想像の域を超えるのは大変なんです。

UFO体験談が嘘とはいいませんが、想像力がアリキタリでツマラナイのです。想像の域を超えるUFOとは?例えば地平線を覆いつくす超巨大なUFOとか、ハエくらいの超極少のUFOといった、ヒトのサイズ感覚を超えるものじゃなきゃオモシロくないし,、「ワォッ!」とはならないでしょう。

想像の域を超える犯罪は勘弁してほしいですが、想像の域を超える文学や音楽、映画やマンガ、そんなものを体験したいと、誰しもがそう思っているのではないでしょうか?初めてジミヘンを聞いたときや「ねじ式」(つげ義春さんのマンガ)を読んだときの衝撃は、何十年経っても忘れるものじゃありません。そう、これらは完全に想像の域を超えているのですね。

偏屈なワタシは、日本陸上界の偉業、100m×4リレー銀メダルの話しを聞きながら、ジミヘンやつげ義春や葛飾北斎の想像力に思いを巡らしていました。こんなワタシ、やっぱ偏屈モノですね。スミマセン。

葬祭の終わり

2016年8月18日
先日16日にお寺に行ってきました。「送り火」というもので、「迎え火」は姉がやってくれまして、こういう風に役割分担してお盆をやり過ごす、やり過ごすという表現はよくないのですが、ひとまず”お盆”の行事をやり過ごしました。

まぁお寺にヒトがソコソコいる。頻繁にお墓参りに来るヒトがいるのは、この時期と春分と秋分しかないわけで、何回忌と特定の年となっているとお経をあげて貰ったりするのです。ワタシ自身の感覚ですと、年を経るごとに墓参客が減っているとは思えませんが、世間では”寺離れ”が進んでいるそうです。

この”お盆”で思いつくのが、お葬式や何回忌かで僧侶を派遣する”お坊さん便”というサービス(商売)です。仏教界のほうでは運営会社に改善(中止)を求めているそうですが、彼らの意に反して利用客は増えているそうです。以前、”お坊さん便”を取り上げた時、ワタシは「ドンドンやればいい」と肯定しましたが、今も”肯定”です。

ワタシが肯定するのは、仏教が、いやお寺が一般のヒト、庶民の生活のタシになっていないと思うからです。例えば、お寺で福島や熊本の復興に協力しているお寺もあるでしょうが、そうした仏教界からの動きが一般にはまったく見えていません。一般の人々が困窮している時に、動きが見えてこない団体は無きに等しいと思いませんか?

そうなんです。お寺の動きって葬祭しか見えないのです。皆さんの身近に、お寺によく遊びに行くのヒトはいますか?ワタシの親の世代、お祖父さんの世代ではよく寺に遊び行っていたと聞きましたが、いまやそんな話はほとんど無くなっているのじゃないでしょうか?そう、お寺の葬祭以外の活動が見えないのです。

そうなれば、お寺に係わる費用が余分な費用、節約すべき費用と思われるのは必然です。それでワタシ、葬祭しかないお寺は全滅してもいいんじゃないかと思うんです。もともと葬祭は仏教行事じゃないし、あと100年、50年、いや30年で葬祭お寺は消滅するかも知れないと思うのです。元来、仏教はヒンズー教の一派でして、ヒンズー教に葬祭はなく、日本の葬祭は独特なものです。でも、日本式葬祭がいつまでも続くとは思えないのですが・・・。
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Author:等閑堂
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