骨のある漫画

2016年1月28日
ちょっと前の音楽DVD、「OUT OF IRELAND」を見つけたのは大手の中古品ショップでして、歯医者の帰りに寄り道するのに絶好の位置にあります。それでついつい寄ってしまうのですが、このショップのスゴイ点は中古本(古本ですね)、中古マンガの量の多さです。

最初にこのショップで、このマンガコーナーを見て回ったとき、不覚にも店内で迷子になりそうになりました。それほど量が、種類が多いのです。それこそ「のらくろ」から最新の・・・最新のマンガが分からないのですが、ここにないマンガは無い!そんな感じですが、無いマンガがありました。

マンガ探しには一つの目的がありまして、ワタシの在庫に白土三平の「カムイ伝」第2部17巻が欠品していまして、「カムイ伝」第一部も散逸して欠品なのですが、もう10年ほどどこかにないかと、大きな本屋や古本屋があると探しているのです。しかし、この巨大中古本ショップを以ってしても、ナント16巻までしかないのです。なんとも残念な現実です。

もう4~5回通って気づいたのが、他にも重要な欠品があることです。「つげ義春」が、「バロン吉元」が一冊もないのです。つげさんの作品は、大きな本屋で文学本的な扱いで売られていますからある程度納得なのですが、作品の種類が多いバロン吉元が一冊もないのは不思議です。バロン吉元で探しているのは「柔侠伝」シリーズの「昭和柔侠伝」と「現代柔侠伝」でして、これも数度の引越しで散逸してしまったのです。

「なんだ漫画か?」と言わないで下さい。「カムイ伝」は有名ですから説明の必要は無いでしょうが、「柔侠伝」シリーズも負けず劣らず貴重なのです。「柔侠伝」は明治から昭和30年代、40年代までの歴史を、歴史書並みに詳しく描いています。だからとっても貴重なのです。

まぁ何も以って貴重かは難しい問題です。でもワタシには「鉄腕アトム」や「ドラえもん」よりは貴重なのです。ワタシは漫画にも”骨”があったほうがいいと思う性質で、”骨”のある漫画、”骨”のある主張があったほうがいいと思うのです。でも現代は、そんなものどうでもいいのかな?
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蹉跌の原因

2016年1月27日
「日本は閉鎖的な市場で、 輸入車は販売された新車全体の6%でしかない」。これは自動車メーカーのフォードが社員に送った電子メールでして、フォードの日本市場撤退発表ですね。

この記事の中に他の外国車メーカーとの販売量の比較があり、メルセデスベンツが年間6万5千台、BMWが4万6千台に対してフォードは5千台弱となっています。この数字からすれば日本が閉鎖的な市場ではなく、単にフォードの車が魅力的じゃなかったと誰もが判断するのではないでしょうか?フォードは昔、Kaという小型車で大失敗しています。やっと日本市場に適した小型車を作ったのに、仕様がMTだけだった。完全なマーケティングの失敗です。ちっとは反省しろよと思いませんか?

この記事で思い出したのがサムスンでして、サムスンも数年前に日本国内の家電販売から撤退しました。昔々、まだ日本営業の苦戦中の時代に、ワタシはサムスン電子の家電チームのスミッコにいました。正確には日本サムスンの家電営業チームに、カメラの営業として間借りしていました。

居候していたのですが、時々会議にも顔を出していまして、閉鎖的な日本市場の開拓という難題に向き合っていました。居候の身分ですから会議に突っ込むことは遠慮していましたが、販促費をバラまいて、量販店の顔色を窺うような営業をやってましたね。

それと、量販店にコネがある元東芝とか、元パナソニックとかの営業畑のヒトを引っ張ってきて部長に据えてやってましたが、なにか中途半端でした。それでワタシが「安売りすれば?」と言うと、「サムスンは安売りするメーカーじゃない」と否定するのです。これ完全に考え違いです。まずはブランド(社名)を知らしめなければ売れるわけはなく、端から高く売れるメーカーなんてないのです。

蹉跌の原因は思い違いです。蹉跌という言葉をなぜか彼らは使うのですが、自らを一流メーカーと誇るのは勝手だけど、日本市場から見れば単なる新参者。日本市場が閉鎖的なのではなく、売る姿勢が腰高で、視線が上からじゃ売れるわけありません。フォードもサムスンもどっちが閉鎖的なんだか?そんな昔のことを思い出しました。

歪んだ国

2016年1月23日
やっぱりこの国の政治家やマスコミはダメですね。焦点がまったくズレています。政治家とマスコミ、ともにフツ~の商売となっているようで、保身と金儲けしかないようで、その典型的な例が露になりました。

参議院の決算委員会で、安倍チャンは「税収というものは、国民から吸い上げたもの」とノタマイました。「国民から吸い上げた」、スゴイ表現です。言葉というものは、特に衆人の前で咄嗟にでた言葉というものは、その本人の本音です。だから安倍チャンは、税収(税金)は吸い上げるもので、収めてもらうものとは考えていないのです。

ところがこの「吸い上げた」発言に野党が噛みつくわけでもなく、マスコミが取り上げるわけでもありません。実際、このニュースはほとんどスルーされていて、このまま消えていくでしょう。でもこの発言は主権在民を蔑ろにし、政治不信どころか政治と国民の敵対化にまでいっちゃう暴言です。民主主義が保たれていれば、まともなマスコミがあれば、安倍チャンの首が飛んじゃう暴言ですよ。

そんなマスコミが熱心に流しているのは、某アイドルグループの解散騒動です。この騒動を某俳優が「アホラシ」と言ったとか、その俳優が非難されているとかありましたが、こんな騒動「アホラシ」以下で「どうでもいい」ものです。それなのになぜ騒ぐのか、騒ぎが商売となるからじゃないでしょうか?

しかしこの騒動、中身なんか全然知りませんが、相当にアヤシイですね。要は芸能人の芸能活動の場の問題で、どんなに大手芸能プロであれ、どんな大物芸能人であれ、芸能の場を制限できるの、制限されるのなんてオカシナ話しじゃないですか?「干される」という芸能界村の村八分、する方も、される方も、騒ぐ方も、ただの金の亡者でしかないですね?

政治家の仕事は立法で国民の生活を安定させることで、マスコミの仕事は正確な情報を国民に知らせることで、芸能人は芸でヒトを楽しませることじゃないですか?こんな簡単な原理原則がどこでどう変わってしまったのでしょう。まぁこれが、この国の歪みなんですけど・・・。

それだけでいい

2016年1月20日
ちょっと前に書いたように、ワタシ、古くとも良い映画や音楽を求めてDVDを探すようになったのですが、とても面白いものを見つけました。タイトルは「OUT OF IRELAND」、副題は「ヒストリー・オブ・アイリッシュ・ロック」です。

アイルランドのロックの歴史なのですが、まず貧しかったアイルランド・ロックのスタートが描かれていますが、すぐに出てくるのがヴァン・モリソンのゼムであり、ロリー・ギャラガーであり、シン・リジーのフィル・ライノットです。ロリー・ギャラガーもシン・リジーもまったく知らないのですが、ヴァン・モリソンは大好きでして、ヴァンのおかげである程度当時のアイルランドのロックが窺い知れました。

アイリッシュ・ロックといっても、アメリカのロックやブリティッシュ・ロックの焼き直しじゃないかと思われるかもしれませんが、ワタシ悲しいかなヴァン・モリソンしか詳しくは知りませんが、明らかに開放的なアメリカン・ロックやビートルズの音楽と違ったものがあります。なにか土俗的というか、なにか職人的な音やメロディがあるように感じています。

アイルランドといえばケルトでして、ケルトといえばヨーロッパ最古の文化でして、このとても古い文化とロックという新しい文化が融合して、独特な音楽が生まれているんじゃないでしょうか?そしてとても奇異に感じるのが世界的な音楽イベントなった”ライブ・エイド・コンサート”が、ボブ・ゲルドフというアイリッシュの発案だったということで、米国とも英国とも違った音楽の価値観が感じられるのです。

ゼム/ロリー・ギャラガー/シン・リジー/ブームタウン・ラッツ/U2/シンニード・オコーナー、そして多くのアイリッシュバンドが出てきて、さらにダンスのリバーダンスまで登場してくる「OUT OF IRELAND」はケッコー楽しめるDVDです。

そして最後に出てきたのはやはりヴァンでして、ヴァンは「一生懸命やってきてダメな時もある。でもそれでいいんだ」とノタマウのです。ワタシ、この諦観が、ダメならダメでいいじゃないかという諦観が素晴らしいと思うのです。一生懸命やる。それだけでいい。・・・いいですね。

無間ループ

2016年1月19日
ふと気づいたら10日以上も更新をサボっていました。些かブログにも飽きているのですが、時間があるときはネタがナッシングで、時間がないときばかりネタが湧いてきます。そして時間が出来るとそのネタが出てこない。一種の負の連鎖ですね。

2016年も世の中はいろんなことが起きていまして、安倍チャンも相変わらず身勝手な政権運営をやってまして、マスコミはどうでもいい芸能ネタは煩くやるのに、この国の先行きは何も考えていません。ムリヤリにブログネタを捜すと、無間ループ的にアラサガシなことばかり書くこととなります。

先だって何日か覚えていませんが、また長距離バス事故が起きました。数年前には3名ほどの死者を出した事故がありましたが、(裏覚えで済みません。)今回の事故は14名のヒトが亡くなっています。原因は格安運行のための、スケジュール管理や人員手配やルート選定などでムリがあったためと言われています。

でもそんな理由は数年前の事故の際にもさんざん指摘されたことで、事故のたびに安全運行が声高に言われるのに、たった数年で同じ事故が繰り返されます。ということはヒトが亡くなろうが、重傷を負おうが、危険な長距離バスの運行状況は何も変わっていないということです。どうしてでしょう?

長距離バス事故でヒトが亡くなり、再びより大きな事故が発生したことを、バス運行会社の「人命よりも儲け優先主義」を非難するだけでいいのでしょうか?国土交通省は何を監視し、何を指導したのでしょう?そしてマスコミの役目は、事故被害者のプライバシーを晒すことではなく、事故の背景に焦点をあて、事故を未然に防ぐために社会を啓蒙することじゃないでしょうか?

こんなことでは事故のネッコを絶つことはできず、何度も悲惨な事故が起き続けることでしょう。同じ過ちを繰り返さないことがヒトがヒトたる所以なのに、この過ちもまた無間ループするのでしょうか?
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等閑堂

Author:等閑堂
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