ゴンドラの唄

2015年9月30日
先日、何気なくラジオを聞いていましたら、森重久弥の「ゴンドラの唄」が流れてきました。この曲、一曲まるまる聴いたのは初めてで、平板で優しいメロディにとても似つかわない歌詞で、興味を惹かれてしまいました。

命短し恋せよ乙女/赤き唇褪せぬ間に/熱き血潮の消えぬ間に/明日の月日はないものを
命短し恋せよ乙女/黒髪の色褪せぬ間に/心の炎消えぬ間に/今日は再び来ぬものを
なんですかこのヤブレカブレな歌詞は?「明日の月日はない」「今日は再び来ぬ」、なんと刹那的な歌詞であることか・・・。

どうやらこの歌詞は、1915年に出された曲ということで、大正モダンの風潮と関係しているのでしょうが、この歌詞が受け入れられた時代、ちょうど100年前ですが、どんな時代だったのか想像できません。たった100年前なんですけど・・・。(やはり、明治末・大正・昭和初期の歴史が軽んじられているのはダメですね。)

もうひとつこの曲の不思議なのは、メロディラインが歌(歌詞)の流れとちょっと合っていないような気がするのです。沖縄民謡の「十九の春」も同じような印象を受けるのですが、メロディだけ聴いているとほかの歌が聞こえてくるように思えてしまうのです。(ついでになんで「ゴンドラの唄」と云う曲名なんでしょう?)

ワタシが普段聞いているロックやブルースやジャズは、名曲と言われる曲の多くは40年、50年の年月を経ていて、おそらく100年経っても聴かれるでしょう。そして、知らなかったけど日本にも100年を経る名曲があるんですね。ちょっと歌詞が理解できない「ゴンドラの唄」ですが、なにか惹きつけられてしまいます。

余計なことですが、YouTubeで聴ける森重久弥や森山良子やちあきなおみの「ゴンドラ」はいいですが、シャーロット・ケイト・フォックスのは、意味不明な、過激な映像のおかげでダイナシです。(趣味が悪い)
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国民連合政府

2015年9月29日
「国民連合政府」、ちょっと前、安保法制案が参院を通過した後から出てきた言葉です。言い出したのは日本共産党です。ざぁっと平たく言えば、安倍政権に対抗できる野党連合を作ろうということです。

まぁ、安保法制に限らずどんな法案だって、今の自公体制であればろくすっぽ審議せずに通過させることができます。こうした状況から、いまさら自民党に自浄は望めず、公明党が本来の政策に戻ることも叶わないでしょう。これが今回の安保法制案の強行採決で鮮明になったのだけど、現状の各々の野党では、各々の諸事情を持ったままの野党では、百年待っても対抗できないということを共産党は考えたのでしょう?

安倍政権打倒で団結しようというですが、こうなると出てくるのが、共通した政策もなく、共通した基盤もなく、ただただ集まるのは”野合”だとする批判です。”野合”と批判するのは簡単です。確かに寄せ集め”野合”集団である民主党が、政権を運営して大惨状を呈したのは事実です。ただこれは、民主党が”野合”のままで政権を運営したからで、共産党の言う連合政府とは違うのではないでしょうか?

共産党の連合政府は、ワタシの感想ですが、「安倍政権を倒すためには全野党が連合する」ということで、全野党連合で政権運営をやることじゃないでしょう?もっと分かりやすく書けば、120万人がデモしても聞く耳を持たない安倍政権を、その政権に寄り添うマスコミを倒すためには、この国の方向性を元に戻すためには、これくらいのパワーがなければダメということじゃないでしょうか?

ニュートラル、なにがニュートラルかと聞かれれば、これまた返答に窮しますが、自民政権の末路と思える安倍政権で、徹底的に歪んでしまった多数による”手前勝手”政治を原点に戻す、ニュートラルに戻すためには、全野党が一時的に”野合”することはアリじゃないでしょうか?

安倍政権打倒がなった後、この”野合”政権が、またまた”手前勝手”政治をやらかす可能性はありますが、そんな先を心配するよりはまずは「打倒!安倍政権」じゃないでしょうか?もう一度、この国の政治を”混沌”に陥らせたほうがいいんじゃないでしょうか?”混沌”の中から本当に必要なものだけを取り出す、そうしなければこの国の政治は再生できないのではないでしょうか?

非ネット民

2015年9月28日
面倒くさいことはダイキライ。知らないことは避けて通りたい。これワタシの性向ですが、誰でもも多かれ少なかれ持ち合わせているでしょう?だから必要に迫られないかぎりやらなくて済むことは、ど~でもいいものとなっちゃいます。

インターネットの利用が進んできていますが、このインターネットも必要に迫られないヒトにはど~でもいいものです。テレビを見る。ラジオを聞く。新聞を読む。直接会って話す。電話で話す。これだけで充分に生活できるので、インターネットは必要ない。そんなヒトもケッコーいて、「メール?なんで電話でメールするの?電話しろよ!」ってなものでしょう。

まぁ今のご時世、こういうヒトは少数派でしょうが、そういう統計を目にしたことはありませんが、少数派といってもケッコーいらっしゃるのでは?それで、今年から始まったインターネットによる「国勢調査」ですが、町内会のオジサンが配って集めていたアレですが、どうなんでしょうね?

「国勢調査」と行政の信頼性なんて考えていたら話が進みませんので、そっちのほうは置いといてですが、ネットによる「国勢調査」やってみました。チャチャッと5分もかからず終了でした。まぁ捻くれたオジサン一人ですからそんなものでしょうが、一人の情報はそんなものでしょうが、これが何万人、何十万人、何百万人と集まれば、どこかの誰かには価値のあるものとなるのでしょう?そして、一瞬にして何百万件のデータ消失や流出というのは、インターネットの得意技でもありますよね。

だから、ネットによる「国勢調査」はちょっとどうかなと思うのです。潜在的にネットを必要としないヒトがケッコーいて、データの扱いにしても、ネットの安全性にしても、どこを取っても不完全、問題多しじゃないかと思うのです。だからといって町内会のオジサンやオバサンでいいとも思いませんが・・・。

あっ!それともっと重要な問題がありました。それはこうした情報を扱う役人の資質と姿勢です。住基ネットはモレモレだったし、年金機構の漏洩はまだ収まっていない。「国勢調査」するのはまぁいいけど、運営方法は通り一遍の世情に乗るのではなく、もっと智恵を出せ、もっと汗を流せと思うのです。そして、なんでもインターネットと考えないことじゃないでしょうか?非ネット民も一杯いるのです。

コントロール

2015年9月24日
ヒトは多かれ少なかれ、自分に甘く、他人に辛いものです。自分でいくら失敗しても気づかないのに、他人の失敗はすぐ指摘してアゲツライます。特に世間に露出する、頻繁に出てくるヒトは一挙手、一投足、「あ~だこ~だ」とやられるワケです。

これはヒトのみならず、組織やメディアなどでも同じで、「だから政治家は」とか「だから警察は」とか「だからマスコミは」とコキオロサレルのです。そして今やネットがあり、誰もが好きなように書き込みでき、誰もが他を攻撃する術を持っているワケです。

そうした現状なのに腑に落ちないことがあります。ワタシの認識では、安倍チャンや現政権に対する誹謗はもっともっとあっていいと思うけど、そんなに目にしません。偶に知人からこの「ひつじのこ」を「過激だね」と言われますが、自分ではちっとも過激と思っていません。それより、ホントに過激な記事の露出が少ないのをオカシイと思っています。

逆のパターンもありまして、辺野古の基地建設反対派のキャンプ地が暴漢に襲われた事件がありましたが、これはほとんど露出がありません。同じように、基地反対派もネットを使って情報を発信しているでしょうに、ネット上で垣間見ることはほとんどありません。

なのに、安倍チャンのスピーチがワタシのFacebookに出てくる。沖縄県民の間の不協和音、意見の分裂のような記事は出てくる。(基地反対派に対するネガティブな情報ですね。)これってオカシクないですか?ひょっとして、もう既にネット上の書き込みもコントロールされているということでしょうか?時々ニュース項目に、SNSの中に「えっ?」と見直してしまう記事が増えたように思えるのですが・・・?

ちょっと前から、安保法制に反対するデモ参加者やデモ自体を揶揄する書き込みが散見されました。しかし書き込みの総量として、安保法制反対派と賛成派の書き込みは反対派の方が断然多いと思うのですが、目につくのは賛成派らしき(立場が判然としていない)ものです。これって不思議だなと思っているのですが、ひょっとして安倍チャンの大嘘アンダーコントロールと違って、ネットの世界は既にアンダーコントロールなのでしょうか?

扇情禁止

2015年9月22日
またまた今日もFacebookからのネタです。安保法制が強行採決された翌日ですが、Facebookに安倍チャンのコメントが出ていました。(なんで出るんだろう?ワタシの近辺の誰かがシェアしたから?)

『本日未明、平和安全法制が成立しました 戦争を未然に防ぐ力、すなわち抑止力は間違いなく強化され、これによって次世代に平和な日本を引き渡す事が出来ると確信しています。これからもこの法制の意義を粘り強く説明して行きます。』というものです。

多くの詐欺師が同じような言葉遣いをしますが、安倍チャンももう一度しっかり国語を習ったほうがいいと思います。戦争を未然に防げたら、戦争の準備は不要でしょう?戦争の準備を抑止力というのは論理が、スジが違っていて、次世代に残すのは戦争の恐怖です。そして強行採決しながら、「これからもこの法制の意義を粘り強く説明していきます」というのは、進行が、優先順位が逆だろうと誰もが思うのではないでしょうか?

それでFacebookですから当然「いいね!」がつくわけで、「いいね!」4万ちょっと、「コメント」2000、「シェア」1500という数字がついていました。その後の数字の推移は知りませんが、ワタシはこの安倍チャンの文言が「いいね!」とはまったく思えませんが、本当に「いいね!」と思ったヒトもいるのでしょう。ヒトそれぞれだから仕方ないのだけど、こんなプロパガンダは百害あって一利なしと思うのですが・・・。

そして今日またイヤなコメントを見つけてしまいました。昨日、国会周辺をドライブしていたヒトが映像つきで流したもので、「まだデモしている奴がいたよ、趣味なの?バカなの?連日のデモには近所の人はうるさすぎて迷惑なのが分からないの?反対派は大声で叫んで気持ちが良いんだろう、本当に自分勝手な連中の集まりだ┐(´д`)┌」というものです。

これあきれかえるより悲しくなってしまいます。すくなくともデモに参加するエネルギーは、Facebookに書き込むエネルギーよりも遥かに強いわけで、この強さも理解できないヒトが非難できるものではありません。・・・で思うのですが、Facebookやtwitterで政治を扱うのは止めたほうがいいんじゃないでしょうか?そんな勢いや印象付けで政治を語るのは、たんなる扇情でしかありません。ん、扇情したいのか?バカヤロー!
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等閑堂

Author:等閑堂
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