沢山は沢山

2014年9月29日
世の中、国内も海外もいろいろと大変なこととなっています。でもヒトのやることはどこかに原因があるもので、突然ドカーンはなく予測も対策も可能なので、まだいいのかもしれません。予測も対策もできないのが自然災害でして、台風や大雨や津波は予測できろようになってきましたが、地震や噴火はまだまだ難しそうです。

ワタシ、山登りの趣味はありませんのでよく分かりませんが、高い山頂からの眺めはいいんでしょうね。絶頂というくらいですから。下界を眺めることの気分のよさ、広く景色を望めるのは楽しいことでしょうが、ワタシ、そこまでの過程を想像するだけで「登るのはいいや」と思ってしまいます。でも登山を愛好する中高年は沢山いるようで、「心配停止状態」と言う言葉を耳にするたびに気持ちが沈んでいきます。

今気づきましたが、”たくさん”と打ち込むと”沢”と”山”が出てくるのですね。まぁ山があれば沢があるのは当然でして、山がいっぱいあるから沢もいっぱいある。だからいっぱいあるのは”沢山”なんですかね?もうひとつ気づきました。この”沢山”には、もうアキアキするという意味もあるのです。もしかしたら、”沢”や”山”は多くの災難があることを暗示しているのかもしれませんね?

以前、南アルプスの近くの町に行ったとき、山の高さと沢の深さに圧倒された思い出があります。長野の伊那から駒ヶ根、飯田へと繋がる地域ですが、考えてみれば、高い山々は活発な火山活動でできたもので、深い沢(渓谷)は大量の水が抉ったものです。どちらにしてもヒトがどうのとか、国がどうのの問題じゃないということです。

金木犀が、ワタシの場合は座っている位置から2~3mで咲き誇っているため、息苦しいほど匂っています。これも”沢山”すぎて困るほどです。そうか香りも同じで、すぎた香りは金木犀だろうと、ラベンダーだろうと悪臭になってしまいます。”沢山”はもう”沢山”だとばかりになってしまいます。山よやすらかに、川よ穏やかにと願うばかりです。
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接して信ぜず

2014年9月26日
ネットのニュース欄で見つけましたが、旅館の宿泊予約サイトと旅館の間でモメゴトが起きています。発端は利用者がネットに「二度と泊まりたくない」と書き込んだことで、これに対して旅館側はサイト運営者(予約サイトですが)に削除を依頼し、自らのサイトでこの利用者へ反論しているとのことです。

諍いの真相を知る由もありませんので真偽は分かりませんが、インターネットの普及のおかげでこの手の騒動が増えているようです。ゴクゴク普通の感想ですが、名前や素性を明かして書き込んでいるほうが、利用者としか分からないヒトの書き込みより信用できるのはアタリマエですね。こうした素性を明かさないヒトの評価というか、シカエシというか、私怨とかいったものが、普通の顔をして出てくるのは困ったことです。普通にこのサイトを読むヒトは、普通にこの記事を信じてしまいますから・・・。

ワタシなぞも一丁前にブログを書いていますが、政治家や役人などの公人や企業に対しては批難や批判しますが、仔細不明な、よく理解できていないことは書きません。そして間違った理解で、間違ったことを書いた場合は、もうすぐにヒタスラ謝ります。そのためにコメント欄には制限をつけていません。(おかげでスパムコメントがいっぱいきますが・・)

どこかに泊まる。どこかで食事する。なにかを買う。普通の生活ですが、ネットの大手サイトに書いてあることが全て正しいと思い込むのは、とても早計で、とても偏っていると思いますが、どうでしょう?ネットに書いてあることって信用できますか?

偏屈モノの考え方ですが、勝手に送られてくる情報、これは本当の情報ではないのですが、そんなものにロクなものはないと考えています。楽天だろうと、ヤフーだろうと、OCN だろうと、ワタシはセールの情報など求めていません。それなのに”セール中”とかのメールが勝手に送られてくる。まぁこれが昨今のマーケティングらしいのですが、こんなメールはすべてスパムとしか思えません、

レストランや旅館、物販の小売店、中小の製造業者や販売業者が大手の物販ポータルサイトに集まるの仕方ないことでしょう。しかし、物販は大手になるほどきめ細かく慎重でなければならないと思うのですが、これらのサイトをまったく利用しませんので良否を明確に云えませんが、ワタシは大手サイト信用していません。信用する、利用するのはこっちの勝手ですから・・・。(百円で泊まれる旅館の紹介は、顧客をバカにしているし、なにより下品だと思うのです。)

ムニャムニャ

 先日、夜、わが家に帰る中、近所の庭先を歩いていると、外灯に照らされた樹木からヒラリと一筋の光が見えました。釣り糸が風になびいている、そんな一筋の光ですが、すぐに分かりました。外れているかもしれませんが、蜘蛛の糸でしょう?

 汗ばんだ顔にまとわりつく蜘蛛の糸は最悪だと書きましたが、外灯に照らされた蜘蛛の糸は、一瞬のキラメキですが綺麗なものでした。そのとき思い出したのが、どこで仕入れた話しか忘れましたが、蜘蛛が巣というか罠というか、糸をめぐらせるとき、蜘蛛は体を風に乗せてダイブするとのことです。しかし蜘蛛に正確な状況把握や、正確な距離感があるとは思えません。(ないでしょう?)だから、着地点を決めてダイブしているとは思えないのです。ということは、風まかせでしょうか?

 ここから得意の妄想が広がりました。蜘蛛は、どこかへ飛ばされないと巣を広げることができない。巣が広がらなければ、蜘蛛にすれば命の維持に関わってきます。勝手な想像ですが、蜘蛛は運を天に任せてダイブして、ある時はアスファルトに墜落し、ある時は溝に落ち、ある時は車に飛ばされたりしながら、何度もスタート地点に戻ってきてはダイブを繰り返しているのでしょう。ダイブして大きな空間を得れば得るほど、わが身の安泰となるのですから否も応もないのでしょう。

 とても典型的な引喩になって、翻って我は、翻ってヒトはと繋がってしまいます。ヒトは考える。考えるがゆえに成し遂げられることもあれば、考えるゆえに躊躇されることも多い。そしてヒトは、知らず知らずか計算ずくかはいろいろだけど、思考や行動の範囲を、広がりを決めつけてしまう。人間関係や諸々の環境による枠もあるでしょうし、他人の人生観はそのヒトのものだし・・・ムニャムニャ。

 ムニャムニャとしか続いていかないのだけど、だからムニャムニャなのか、だけどムニャムニャなのかと、蜘蛛の糸から妄想が離れていってしまいました。単純思考なのか、もしくは何も考えないのか、用意周到に考えるのかとなるのでしょうが、これまたどちらか決めることができません。だけど一つだけハッキリしているのは、他人の成功の秘訣とかいったものを聞きたくない、マネたくない、頼りたくないという偏屈な性格なもんで、さらにメンドーなのです。自分の成功は自分だけのもので、自分の失敗も自分だけのものですから・・・。

 あ~だめだ!ムニャムニャ沼から抜け出せそうにありません。ただ単純に糸をめぐらす蜘蛛に感心しただけなのに、ムニャムニャ沼に陥ってしまった。でもムニャムニャは失くしてはいけない大切なものかもしれません。

またバカが一匹

2014年9月22日
今日は音楽関連のことを書こうと思ったのですが、こんな記事を見つけてしまいました。『Twitter に「アイヌ民族なんていない」と書き込んだ札幌市議に対する、議員辞職勧告決議が賛成多数で可決された』というものです。

市議や県議に限らず、どうも最近この国の基本的な常識や歴史観に欠けているヒトが多いようです。常識がなく、基本的な歴史知識を持っていない、"とりあえず"政治家が多いのですね?(まぁ安倍チャンからして浅学非才の輩ですが)兵庫の県議がなぜ他県の温泉に頻繁に視察に行くのか、これは常識の範疇ですが、アイヌ民族を日本国民と認めた「アイヌ新法」は1997年に成立したのですが、札幌の市議がこれを知らなかったとすれば、市議どころか社会人失格じゃないでしょうか?

この記事、発言のあった時から知っていましたが、「またバカが一匹」とぐらいにしか思っていませんでした。しかし今回、議員辞職勧告決議が可決されて、この市議の「発言を撤回する考えはない、タブーを恐れず発言を続ける」「辞職の考えはない。来春の市議選に出馬し、有権者の審判を受ける」と言っているの知り驚いています。バカにつける薬はないとはこのことです。

1997年に「アイヌ新法」が成立したと云うことは、1997年にはアイヌ民族がいたと云うことでしょう?民族差別があったということでしょう?たった17年で民族が消滅したと云うのでしょうか?なにが「発言を撤回する気はない」だか、なにが「タブーを恐れず発言を続ける」だか、恥をさらすのはもう止しなさい、としか云えません。まだ九州や四国に住んでいるヒトの発言であれば仕方ないと思えますが、札幌に住む政治家の発言じゃ救いようがありません。

イザベラ・バード(「日本奥地紀行」の著者。アイヌ民族の人間性を絶賛しています。)や柳田国男を持ち出すのは難しそうですので、せめて二風谷(にぶたに)にあるアイヌ文化博物館にでも行ってきなさい。また「バカが一匹」ですね。

ニュースの裏

2014年9月19日
今日はニュースを2つ。ひとつはちょっと昨日のブログと繋がるもので、iPhone 発売の件で、大阪のアップルストアで中国人100人が「iPhoneを売れ!」と騒いで警察が出動したとのニュースです。

中国人の肩を持つ気持ちは全然ありませんが、「iPhone 発売開始」と聞いて買いにきたのに、予約とか品切れと云われて激昂する。あり得る話じゃないですか?iPhone はずっと、事前に情報を大量に流し、予約を促し、店頭で賑々しく予約者に販売するという手法ですが、これ購買意欲を煽る効果的な手法ですが、前宣伝→予約→販売というステップに慣れているのは米国・欧州・日本の購買者くらいじゃないでしょうか?こういう品薄作戦が奏功するのは、こうしたマーケティングに慣れた国だけです。だから、中国人に、団体で騒がれるのは”身から出たサビ”ですよ。(今回の中国人が、純粋な顧客とはいえないでしょうけど・・)

もうひとつのニュースは、癌で余命半年と宣告された女子大生の話しです。肝臓癌を患った女子大生の社会活動を紹介していますが、なぜこんなことを公表するのでしょうか?とても不可解です。彼女の社会活動に対してどうのこうのじゃなく、余命半年の癌ということを明らかにすべきじゃなかったと思うのです。癌患者の闘病話しは確かに説得力があると思いますが、公表することで外しようのないフィルターというか、バイアスというか、そんなものがかかってしまいます。

ご本人は「結婚、出産、孫の顔を見る…。生きているからこそできるさまざまな体験をしたい。人生のフルコースを味わいたい」と健気に語っていますが、この記事を読むヒトは、ほぼ全てのヒトは彼女の癌克服を願うでしょうが、この記事を書いているヒトは、メディアの望む筋書きは悲しい話じゃないでしょうか?悲しい結末のほうがバリューがあると思っているんじゃないでしょうか?昨今のメディアはこんなものと思うのですが、如何でしょう?

ワタシが偏屈モノだからこうした裏読みをするのでしょうか?iPhone の情報を煽るメディアは、予想販売数量に見合う量を確保するのがマットウな商売ということを忘れているし、個人の癌罹病を、本人が明かしているとはいえメディアで流すのを残酷と思わないのでしょうか?記事になればいいのか?ニュース欄が埋まればいいのか?そんな風に考えてしまいました。
プロフィール

等閑堂

Author:等閑堂
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