よりしろ

 「よりしろ」というのは漢字で書けば「依代」でして、直截的には神霊が宿るための目標物を意味します。 だから富士山のような山も、筑波山の巨岩も、どこぞの巨大な古木なども「依代」でして、この言葉は仏教も神道も関係ない、もっと古くからこの国に染みついた信仰から出ています。

 山や岩や樹木を神として拝むわけですが、「そんなもの」と思うヒトと、スンナリと頭を垂れるヒトがいます。ワタシは神も仏も拝みやしませんが、大いなる自然、富士山や巨岩や巨木には簡単にひれ伏します。それは、自然の造形物には作為がない、ヒトの小賢しい計算がないためで、素直に目にすることができるからです。

 作為とまでは言わなくとも、仏教寺院の毅然とした容姿や大仏などは「依代」となす為のもので、カソリック寺院の荘厳とした佇まいもその為のものでしょう。そして、靖国神社も同じ類でしょう。しかし、なぜそんなものが要るのだろうか?そんなにしてまで「依代」は必要なのでしょうか?

 以前、日本人の姓には”藤”の字が圧倒的に多くて、これは奈良時代の”藤原氏”の権勢にあやかろうとしたものだろうと書きました。時代が進んで戦国となると、どこの田舎武士も源氏の血を引く家系となり、征夷大将軍なり源氏長者なりを目指しました。内実はただの国盗り物語ですが、天下統一には源氏の名前が必要だったのでしょう。

 そしてさらに時代は進み、明治の開化の時代、太平洋戦争となっていきますが、ここで起きたのは廃仏毀釈であり国家神道の創出で、その為に天皇が「依代」と強引に決められたのです。強引に決めた目的は、富国強兵であり大東亜共栄圏の創設で、要はヒトの欲望の充足のためです。

 こうしてこの国の「依代」的な流れをみると、藤原氏の威勢を借りることや豪華な寺院や大仏や、源氏の血脈の詐称はカワイイものです。しかしこれが、他国を侵略することとに繋がる天皇の神格化は、国家神道を「依代」とすることは、戦争に負けたから言えることではなく、当時が軍事力による帝国主義の時代だったとしても、正当化してはしてはいけないことです。

 それで現代、現在のこの国の「依代」は何かと言えば、そう、何もないのです。逆に言えば、「依代」がないからいい加減な原発が、いい加減に運営され過酷事故を起こすのです。将来を何も考えない、経済性だけの政策が罷り通る。そんな時代になってしまっています。

 現代は「依代」のない時代で、万人が求める「依代」はもうあり得ないのかもしれません。我々一人一人が何を求めるかですが、少なくともワタシは過分な金も領土も求めていません。ソコソコに生きていければと思っていますが、ワタシの「依代」は何だろう?
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ナメネコ再び

2014年1月29日
最近、ネコに関する記事を2つ読みました。ひとつは野良ネコを捕獲して、避妊手術を施し、元の地域に戻すという運動の話で、もうひとつは「ネコは人間を大きなネコと見ている」とする、米国の学者の話です。前者は社会活動の一つとしての野良ネコ救済で、後者は生態観測によるネコの特性を書いたものです。

ワタシ、以前から自説として「野良ネコの多い町はいい町」と考えていまして、それは町中に野良ネコが居住できる適当なスキマがあるということで、野良ネコが生きていける適当な食料があるということで、ヒトに野良ネコを許容する適当な精神的余裕があるということで、そんな町はいい町でしょう?

以前、一番キライな町(都市)はラスベガスと書きましたが、ラスベガスに1週間ほど滞在した経験があるのですが、ラスベガスは野良ネコもフツーの飼い犬もほとんど見かけない町でした。煌びやかなネオンサインと巨大なホテルと、美味しいレストランと華やかなショーの町でとても文化的ですが、ワタシが見たかぎりはネズミやゴキブリの住むスキマはあるのでしょうが、犬やネコが生きていけるスキマはないように感じました。

スキマというのは、物理的な目に見えるものでもあるのですが、一人一人の心の中にもあるのではないでしょうか?自宅の庭を徘徊する、時おり大声で泣く、魚を取る(サザエさんじゃあるましに)、そんなネコを許容する気持ちも大切なスキマじゃないでしょうか?

犬好きなヒトは多く、ネコ好きなヒトも多くいます。ネコ好きなヒトは、ネコを見つけると声を掛け手招きします。犬は尻尾を振っても、ネコは警戒する、もしくは無関心です。そう、だからネコは貴重なのです。甘言や饗応に反応しないし、ヒトには気を許しません。そう、そんな存在が社会には必要なのではないでしょうか?

昔々、「なめんなよ!」というネコが流行りました。そうなんです。「なめんなよ!」という気概が必要なのです。野良ネコの救済は立派なことですが、ネコの生態観察も立派ですが、我々はもっとネコから学ぶことがあるのではないでしょうか?「なめんなよ!」の精神は大切なのではないでしょうか?

世論操作はやめろ!

2014年1月28日
東京都知事選がこれから佳境に入っていくのですが、片田舎住まいのワタシにはなんの影響もありません。新聞もホント偶にしか見ないので、どこの国の選挙だか・・・って感じです。

しかし、ネットで散見されるニュースを見ていると「なんだかな~?」と思うのです。1週間ほど前に見ピーター・バラカン氏の、放送局に対する原発報道の自粛要請があったとする話、なんてものもありました。都知事選中には原発を話題にするなとのどこぞからの要請でしょうが、どこからでしょうか?従うのでしょうか?よくまぁ、こんな主語の無い、ヒトゴトのような話が罷り通っていますよね?

すると、今日こんなニュースを見つけました。細川&小泉コンビの演説に関して、「(細川氏は)報道各社の世論調査で、有権者が関心を寄せる政策が原発問題ではないことがハッキリしたこともあり、軌道修正。」とありました。スゴイ記事です。どんな調査をしたのか知りませんが、有権者が原発問題に関心がないと決めつけてしまっています。自作自演か?どこのメディアだ?(産経です。)

また、続いて小泉元首相については、「一方、全くぶれないのが小泉氏。原発廃止後のエネルギー案がないとの批判には『私1人で代案を出せ、という方が無責任。代案は出さない!』と“逆ギレ”。『批判にこたえる必要はない!』と言い切った。」とあります。

この小泉さんの発言を”逆ギレ”と産経は言い切っていますが、”逆ギレ”でしょうか?政治家の仕事は将来図を描くことで、政治家がその分野のエキスパートである必要はありません。原発問題は、ワタシは「止めるには遅すぎる」と思っていますが、小泉さんが世の中の英知を集めて「脱原発」を目指しているのは、フツーの理解力があれば分かると思うのですが、分からない、理解したくない産経には”逆ギレ”なんでしょうね。

まぁ自民党がマスコミ・メディアを総動員させるのは、細川&小泉が怖いのでしょうが、もっと怖いのは国民が原発問題に真剣になることじゃないでしょうか?でも今この国でもっとも必要なのは、都知事選やオリンピックではなく原発存廃の問題です。マスコミやメディアは世論操作による選挙予報じゃなく、もっとやることがあるだろう?

真っ当な発言

2014年1月27日
エ~ッと2日ほど前にあった、NHKの新しい会長の発言が物議を醸しているそうです。騒いでいるのは、何にでも咬みつく特ア三国と過激な見出しに脊髄反射したヒト達だろうと思いますが・・・。

まずはNHKの番組に関しては、「民放化しているのではないか。NHKでみんながバラエティーを見たいと思っているのか、検討しないといけない。」これスゴク真っ当なことじゃないでしょうか?ワタシはさらに突っ込んで、NHKは報道と教育番組だけでいいと思っています。そう、紅白を含めた歌謡番組、ワイドショー的なものなど一切要らないと思います。

次に問題の「慰安婦問題」で、「慰安婦は、今のモラルでは悪い。僕はいいと言っているのではない。しかし、そのときの現実としてあった。この2つを分けないと分かりづらい。個人的見解だが、韓国だけではなく、戦争地域に僕はあったと思う。ほかの地域になかったという証拠はない。ドイツにもフランスにも、ヨーロッパにはどこでもあっただろう。この問題は、韓国が日本だけが強制連行したように主張するから話がややこしい。それは日韓基本条約で国際的には解決している。それを蒸し返されるのはおかしい。」

これどこがオカシイのでしょう?これも同意でして、ワタシはさらに、慰安婦は親から女衒に売り渡された売春婦じゃないかと書きました。NHK会長はまだ、「親に売られた」とか「女衒」とか言わないぶん、配慮しているんじゃないでしょうか?

そして「領土問題」には、「尖閣、竹島は明確に日本の領土。弁解がましくいうことはない。それを国民にはっきり理解してもらう必要がある。」これはこれでいいんじゃないでしょうか?一般的な日本人の意見ですよ。

これらのNHK会長の発言を、「失言だ!」と騒ぐ方がオカシイのではないでしょうか?まぁ騒がなければTVの視聴率が上がらない、新聞が売れない、と思っているのでしょう。だったら何度か書いていますが、慰安婦問題には「泣く子は餅を多く貰える」を、領土問題には「嘘も吐き続ければホントになる」を、この2つの諺を紹介すればいいんじゃないでしょうか?視聴率は上がるし、新聞も売れまっせ!

盟神探湯

2014年1月23日
「盟神探湯」って書いて「くがたち」と読みます。なんで「くがたち」と読むのか解かりませんが、おそらく「くがたち」という言葉が先にあって、意味を示すために「盟神探湯」という字を当てたのでしょう。神に盟って(誓って)湯を探すとでもなるのでしょうか?

「盟神探湯」は古代から行われていた占いで、物事の良否を判断できない場合、二人や二つの意見が対立や相反した場合、熱湯の中に手を差し入れて火傷を負わなかった方を”良”とする占いです。なんか、ビートたけしがやっていた「TVジョッキー」の熱湯コマーシャルを思い起こさせますが・・・。

でも、この”良”であれば加護がある、火傷を負わないという占いは面白いですね。なにが面白いかと言えば、いつの間にかこの国では、難しい問題、白黒つけにくい問題を曖昧に済ませる習慣がついてしまっていて、戦争責任や天皇制から、原子力政策の方向性や、格差の問題までみんな曖昧なままでやり過ごしていて、誰も熱湯に手を差し入れて白黒をつけようとはしません。もっと良否や可否、白黒を鮮明にした方がいいと思うのですが・・・。

確かに白黒を鮮明にしない方が誰も傷つかないのですが、傷つかない方がいいのか、傷ついた方がいいのかと考えれば、ワタシは早く傷ついた方がいいと思うのです。何故かといえば、早く気づく、早く傷ついた方が、早く戻れる、早く治るからで、早いに越したことないと思うのですが・・・。

東京都知事選が公示され選挙戦が始まりました。ワタシ、右よりな発言をする方が大嫌いで、また威勢のいい発言をする方が大嫌いです。それは一体いつの日本を目指しているのか、またその根拠は何なのか、さっぱり解らないからで、この「盟神探湯」という言葉を見つけた時、真っ先に思い浮かんだのは、こうした”右寄り”な方々に是非「盟神探湯」をやらせた方がいいんじゃないかということです。

もうこの国では言葉は信用できなくなっていて、正確に伝える筈のマスコミも信用できななくなっています。”右寄り”も”中道”もわけ分からなくなっています。だったらもう根性だけ、気合だけでも示してもらえばいいんじゃないかと思うのですが・・・。
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等閑堂

Author:等閑堂
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