茶色い世界

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 昼間は秋で、朝晩は初冬かなって感じで季節が移ろっています。散歩の足がだいぶ遠のいて、気がつけば処々の柿の実は土と混ざり合い、ちょっと前まで毛虫が這っていた近所の土手では、土色を装ったカマキリが鎌を振るっていました。

 青々とした草花がいつの間にか黄変して、黄色く黄変して、茶色になり、灰色へとなっていく。毎年々々同じ事の繰り返しなのに、毎年々々繰り返される変化に目を奪われます。記憶は頭の隅っこに積み重なっていくのでしょうが、1年前の風景を振り返るのに毎年々々時間がかかっていく。そんな気がします。

 最近気づいたのですが、世の中の色の基本は”茶色”じゃないかと・・・。”青色”は対比となる色で、白や赤や緑はそれを引き立てるアクセントじゃないかと・・・。もっとも”茶色”を感じさせるのは食べ物で、米の元の籾、パンの元の小麦、肉も魚も焼けば茶色です。茶色をいかに美味しく見せるかで、ご飯は白く、赤や緑の食材が添えられる。自然の”茶色”も分かり易いもので、茶色の大地に緑が生え、白や赤が映え、そして数ヶ月で元の”茶色”に戻る。やはり”茶色”が基本じゃないでしょうか?そんな気がします。

 そして生き物の色、多くの生き物も大雑把にくくれば”茶色”じゃないでしょうか?人間の肌の色も基本は”茶色”で、違いは濃度で、モンゴロイドからネグロイドとコーカソイドに分化したのではないでしょうか?もうひとつ頭に浮かんだのが、自然の5元素というか、易の五行というか、火・木・水・土・金で、この5つ、水が青色で、その他は”茶色”といえば”茶色”でしょう?

 写真の葉っぱも、土から木となり、木から葉(緑)が茂り、葉が黄変し、”茶色”となって土に戻ります。べつに”茶を濁す”ために書いているわけじゃないのですが、べつに”茶化す”つもりもないのですが、世界は”茶色”が元となっている。そんな気がするのです・・・。(どうでもいい”茶飲み話し”でした。)
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恥ずかしい祭り

2013年10月29日
ハッキリした日は知りませんが(31日?決まった日があるのか?)、ハロウィンなるものが日本でも流行っているそうです。・・・となにかの記事を読んだ覚えがあります。市場規模はバレンタインデーに匹敵すると・・・?

このバレンタインデー云々がなければ「そんなものか?」と読み流したのですが、市場規模という言葉で一気に信憑性が疑わしくなりました。だってワタシの近辺にハロウィンを祝うヒトいませんし、ハロウィンで何かを買うヒトもいません。なにがバレンタインデーに匹敵するだか・・・?こういう記事は100%ステマ(スティルスマーケティング)ですね。

日本にはお祭りがいっぱいあって、何故こんなことをやるのかといった奇祭もいっぱいあります。もっとも一般的な秋祭りは神社で神輿を担ぐものですが、秋から冬至に至る時期の祭りは、起源は収穫を祝うためのものでしょう。ほとんどの祭りは、春は収穫を祈念して、秋は収穫に感謝する、そんな動機から生まれたものじゃないでしょうか?

動機も由来も確かでない祭りもありますが、日本の祭りは神社を源とするものがほとんどと思いますが、日本の祭りは宗教色がありそうで無いですね。これ大きな特徴じゃないでしょうか?神社で宗教色が無いってオカシイと思われますが、アマテラスもスサノオも神話で、神輿を担ぐヒトは誰もそんなこと考えていません。宗教色無いでしょう?祭りは宗教以前の収穫の喜び、生きている、喰っていけてることに感謝する、とても原初的なものじゃないでしょうか?

そんな国で何故にハロウィンと思いますが、考えてみればクリスマスは”なんちゃってイベント”でしかなく、バレンタインデーはチョコレートの拡販でしかなく、ハロウィンだって都会人の一時(いっとき)の暇潰しでしかなく、まだ”なんちゃって”にもなっていないのでは・・・。

まぁステマを流す方は商売の一環でしょうが、そんなものに乗せられるのは・・・ただただ恥ずかしい。”なんちゃってイベント”が好きであれば、余人がとやかく云うことじゃありませんけど・・・。

本当のこと

2013年10月27日
数日前に政府は「特定秘密保護法案」を閣議で決定しました。この法律、ウサン臭さいっぱいで、怪しいことばかりで、何故こんな法律が必要なのか分からないですね。

ウサン臭さの元は、この法律の頭に付いてくる”マクラ言葉”です。「特に秘匿が必要な安全保障に関する情報を『特定秘密』に指定し、漏えいした公務員らに最高で10年の懲役刑を科す」というのが”マクラ”ですが、この長ったらしい”マクラ”がニュースでは常に先に付けられていました。(まぁだから”マクラ”なんですけど・・)

何か思い出しませんか?ワタシすぐ野田どぜうによる「消費増税」を思い出しました。「消費増税」のニュースの時も必ず「税と社会保障の一体改革」という”マクラ”がついていました。でも結果は「消費増税」だけで、「税と社会保障の一体改革」は一歩も進んでいません。(進むどころか社会保障はドンドン改悪されています。)

このつい2年前の野田どぜうの例からすると、”マクラ”は逆の方向を示しているんじゃないでしょうか?そう、公務員による秘密保護なんて全く改善されず、『特定秘密』を作り出すための法律じゃないでしょうか?つまり、世間的には公務員に罪を科すと言い、現実にはバラされたくない『本当のこと』を隠す、そんな法律じゃないでしょうか?こんな簡単な騙しのためのレトリック、誰にでも分かると思うけど、なんで新聞もテレビも引っ掛かるのか不思議です。それとも言っちゃいけない『本当のこと』で、マスコミもグルなんでしょうか?

おそらく「消費増税」には「税と社会保障の一体改革」を付けること、「特定秘密保護法案」は「機密を漏らした公務員らへの罰則強化を盛り込んだ」を付けることが政府から強要されているんじゃないでしょうか?そしてその対価がメディアに軽減税率を適用することだったりして・・・。

ウガっている、ナナメに見すぎていると思われそうですが、今の時代「本当のこと」は本当に隠されていると思いませんか?

推進派です。

2013年10月24日
またまた台風が襲ってきていて、明後日くらいに関東に近づきます。被災が続いている伊豆大島も心配ですが、福島第一原発で台風を理由に汚染水を流出させるのじゃないかとも心配です。東電は完全な確信犯で、台風を利用していますから・・・。処理しきれない、処理に金のかかる産業廃棄物などをこっそり捨てる、これは昔も今も、官も民も変わりませんね。

安倍チャンが今日テレビで、「今の段階で(原発)ゼロを約束することは無責任だ」と発言しました。これは火力発電に頼っている現状では、設備や費用の問題で早晩にも行き詰まるとの認識で、やはり原発は必要で近いうちに再稼働したいのでしょう。

「原発ゼロでも十分に経済成長できる。政府や自民党が原発ゼロの方針を出せば、大方の国民は協力する」これは、安倍チャンの師匠だった小泉元首相の発言です。先のことは先のこと、根拠なくともどうにかなる、とってもこのヒトらしい発言です。

かたや経済的な理由だけで維持促進、かたや感情的な理由でゼロを口にしていますが、これって今のこの国の内情そのものです。が、こんな理由で進めたり、止めたりしていいのでしょうか?現状正体不明で、その影響は2万年なんていわれている放射性物質。どう処理するか、どんな性質なのかも不明な放射性物質。お金や感情で決まられるものじゃないでしょう?

お金や感情で判断することは、正体不明を不明なまま放置することとなります。それじゃ廃棄物はどうする?それじゃ周辺国の原発が過酷事故を起こした場合はどうする?現状の問題であり、必ず起こり得る問題にどう立ち向かうのか?お金や感情じゃ解決できません。

原子力の利用は放射線の研究と同一のもので、どちらかを止めると両方がダメになります。廃棄物や汚染水をこっそり捨てるなんて論外で、すでに存在するものを見ないのも無理なことです。もう正々堂々と、「放射線の正体を探るために(管理するために)原子力発電を継続する」と言うべきじゃないでしょうか?

ある訃報

2013年10月22日
今日、知り合いの訃報を見ました。FaceBookで。仕事絡みの知人で、直接の連絡はほぼメールで、年に一度顔を合わせるくらいのFaceBookのトモダチでした。訃報は、もちろん亡くなった当人ではなく彼の残された家族によるものです。

何度かヒトの唐突な死を見てきましたが、当人はともかく、残された家族の精神的なショックはとても大きなものです。通夜、告別式、埋葬に突然対峙して、そして各種の名義変更とかの手続きとなり、肉体的にもクタクタとなってしまいます。だから、亡くなった当人を悼むのはもちろんですが、残された家族をケアすることが大切とも思います。

FaceBook以前であれば、こうした情報は数日とか、数週間とか、数ヵ月後に接していましたが、FaceBook以後の今では即時、即日に伝わります。でも伝わることは大切ですが、伝わる範囲はどうなのかと考えれば、全て良しじゃないような気がします。(案の定、訃報に「いいね!」を押したバカが3人いました。)

何に引っ掛かるか分かりますか?それはFaceBookの”薄さ”や”軽さ”です。FaceBookは明るい陽光の下の健全な人達に向けた社交場で、そこに人生の裏側はそぐわないものです。実際には虚偽や引っ掛けが溢れていても、明るい社交場でなくてはならず、”死”はもっともそぐわないものです。FaceBookにあるのは”薄い”トモダチで、そこでは”軽く”「いいね!」を押すしかないのです。なぜ薄くて軽いのか、そりゃ商売ですから・・・。(この「いいね!」の数を競う意味が理解できません。)

まぁ、FaceBookなんてどうでもいいのですが、この”薄さ”や”軽さ”偏屈モノは耐え切れません。だってヒトは、時には泣き崩れ、怒髪天を衝き、病に斃れ、死んでしまいます。陽光を浴びるばかりじゃない現実がある。そんなの見たくない?それで済めばいいですけどね?
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等閑堂

Author:等閑堂
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