使用禁止名称

2013年8月30日
「たま」ちゃん、ご存知ですか?ラジオパーソナリティの玉川美沙さんですが、4年ほど前に初めて聞いたのですが、ネットで顔写真見ると、見るほどに容貌と声が結びつかない不思議なヒトです。2年(3年?)ほど前から産休していまして、去年から土曜日の文化放送で復活しました。

玉川美沙さん、アメブロというブログサイトで個人ブログをやっていて時々覗きますが、(アメブロの有名人ブログは何かと問題があるそうですが・・)ちびたろうの名前で出てくる息子中心の育児的なブログですが、先日、「マイナスイオン」というタイトルを見て、思わず「放送に関わるヒトが『マイナスイオン』はNG」と書き込みしてしまいました。

有名人ブログは、有名人が直接返信するシステムじゃないでしょうし、苦言、クレームの類ですから、案の定、スルーされてしまいました。なぜ「マイナスイオン」が駄目かですが、この言葉の意味が、意味するものが確定していない、とても曖昧なものでしかないためです。かなりの歴史のある古いことばですが、現在では商品名でも、説明文でもほとんど使われていないのではないでしょうか?正確に云えば、意味不明な言葉です。有名人(特に放送関係者)が使うのはよくないと思うのですが・・・。

定着している言葉じゃないか・・・と云われそうですが、だからこそ有名人は使っちゃ行けないと思うのです。要するに「マイナスイオン」と使ってしまうと、存在しないものを「在る」と思い込まれてしまうからです。そうすると、健康関連グッズを扱う怪しい業者は、「存在しないことを証明しろ!在るかもしれないじゃないか?」と云います。でもこれ、まるっきりアベコベな論理です。「在る」と主張するヒトが、「在る」ことを証明しなければならないのです。「在るかもしれない?」で商品化するほうがオカシイのです。

だから、曖昧な言葉を使っちゃいけないよと書き込んだのですが、返事なんて要らないけれど、分かってくれたかな?
スポンサーサイト

余計なお世話

2013年8月27日
漫画「はだしのゲン」でいろんな問題が起きています。しかしワタシ、世間のいろんな問題は、怠慢やデシャバリや余計なお世話じゃないかと思うのです。

今日、文科省が、いや下村ナンタラ大臣が、松江市教育委員会に求めていた閲覧制限の撤廃について、「市教委が判断したことで、文科省が指導するようなことではない」と述べました。また、「私としては学校の判断に任せるのも、いかがかと思う」と、「児童生徒の発達段階も考慮し適切な取り扱いを期待したい」とも述べました。

この下村ナンタラという大臣、ただのデシャバリですね。この問題はもともと文科省が出てくる問題じゃないのです。この閲覧制限は、教育委員会の判断ではなく事務局が独断専行したもので、それを「文科省としては」とか「文科大臣としては」なんて、デシャバリでしかないでしょう。さらに「私としては学校の判断に任せるのも、いかがかと思う」なんて、誰も個人のオマエに聞いていないって!

ワタシ、子供の頃、「はだしのゲン」ほんの数ページで見るのを止めました。内容云々じゃなく、漫画としての”絵”が好きじゃなかったのです。その後、チラチラとページをめくった記憶はありますが、特に残酷だとか、政治性とかに影響されていません。

偏屈なワタシが例となるのか引っ掛かりますが、「教育上・・・」とか「思想形成に・・・」とか云いますが、子供を、人間を簡単に見すぎているのではないでしょうか?そりゃ影響を受けることはあるでしょうが、「はだしのゲン」だけで決めつけてしまうほどヒトは安直でしょうか?問題は、「はだしのゲン」を利用する側じゃないですか?”戦争は悪”はいいとして、これで天皇を批判するとか、軍隊全てが悪とするのはどうなんでしょう?

簡単に云ってしまえば、閲覧制限なんて役所や役人の自己満足でしかないでしょう?制限できるのは学校や公立図書館くらいで、そんなのは流通のホンノ一部でしかないのだから・・。制限しようとしまいと、子供だって大人だって、そんなに簡単に感化されたりしませんよ。そんなことより、下村ナンタラ大臣、大阪の市長さん、余計なお世話で顔を出すんじゃない!「はだしのゲン」を利用すんじゃない!と思っています。

Tupelo Honey

tupelo honey-02

 ヒトの記憶はうまくできていて、良かった思い出はさらに誇張されて、悪い思い出は意識せずとも薄れていくようです。そんな思い出が時々、思いもよらず蘇ってくることがあります。キッカケは昔の曲です。

 昔々、とある女性と、彼女は気の強いお嬢さんタイプの女性で、ツェッペリンやホール&オーツが好きで、親の経営する喫茶店を任されていて、なぜだかワタシが買ってくるCDにいつも興味を持ち、さらに、なぜだかザ・バンドの「Last Waltz」のリバイバル上映を一緒に見に行くこととなったのです。

 新宿だか渋谷だか中野だか忘れましたが、映画館に着き重いドアを押すと、まだ上映時間前なのに大音量が押し寄せてきました。上映前にオンエアしていたのはザ・バンドではなく、ヴァン・モリソンの「Tupelo Honey」でした。何度も聞いていた曲ですが、大音量で全身を包み込むこの曲、とても良かったのです。(もちろん、大音量の「Last Waltz」もとっても良かった。)

 そんなこんなで、時々コンサートに行ったり、焼肉にいったりした彼女ですが、酔っ払うと幼児言葉が出てくるのですが、ある時、「パパ、癌なの」と突然言い出しました。そして「そんなパパに私は何もしてやれない。半年、一年後が分からないのに私は何もできない。」と。

 ワタシは突然の話しに面食らってしまって、「何もすることないんじゃない。普段どおりで。」と云うのが精一杯でした。そして、永い暗い沈黙が続いたあと、「うちのオヤジも癌だったけど、オレも家族も皆分かっていたけど、何もできなかった。でも後悔はしていないよ。分からない先は、どうしようもない」と独り言のように・・・それしか云えませんでした。

 それから2~3ヵ月後に彼女から電話がありました。「父親が旅先で倒れた。これから向かう」と。さらに1ヵ月ほどして、「父親が亡くなった」と電話がありました。そして、さらに数ヵ月経って一緒にお酒を飲んでいた時、彼女は、「私が間違っていた。嫌なことは考えなくていいが正しかった」とポツリと呟きました。

 明るく楽しい日々が短いのか、辛く苦しい日々が永過ぎるのか、よく分かりません。そして、いつかは来るであろう辛い運命にヒトは耐えられるのだろうか?備えることなしで、心の中で覚悟するだけで、ヒトは耐えて生きていけるのだろうか・・・。

 「Tupelo honey」は、ヴァンが薬物禍から抜け出すために隠遁した地で、愛する女性を謳った曲です。ラブソングといえばラブソングですが、時々ラブソングを超えて、いろんな思い出を伴って、甘い、苦い思いを伴って聞こえてきます。そして、映画館の闇の中で、圧倒的な「Tupelo Honey」に包まれた二人の姿が、時どき思い出されるのです。

オリンピックの敵

2013年8月23日
雨のお蔭で随分と暑さが鎮まり、やり過ごしやすい一日となっています。天候が、猛暑・大雨と極端すぎるとか、ゲリラ豪雨とか云われていますが、天候を大袈裟に云いつらうのは、ゲリラとかの表現で煽るのは止めませんかね?

何でも9月上旬には、2020年のオリンピック開催地が決まるそうです。また東京を掘り起こして、また東京ばかりにいろんな施設を集中させて、また東京で姦しく騒ぐのはよして欲しいものです。どうしてもスポーツ振興の意味でやりたいのであれば、東北や北海道や九州でやるべきです。東京でやる必要はありません。

オリンピックの開催地は主催者であるIOC(国際オリンピック委員会)が決定しますが、この組織も充分に怪しくイヤらしい感じですが、票をもつ委員の多くは欧州のヒトらしいのですが、ここにきて東京開催に大きな敵が現れました。放射能汚染水です。

先の麻生ナチス発言と同じように、福島第一原発の汚染水漏出問題も日本のマスコミはスルーしようとしています。しかし日本のマスコミの威勢は日本国内しか通用しませんので、海外で汚染水問題がクローズアップされれば、東京オリンピックは簡単に”選外”となります。この可能性、大きいのではないでしょうか?

東北復興は金が掛かる。福島第一原発の事故処理は金が掛かる。過疎地帯の地域振興は金が掛かる。だから目を瞑る。でも、株価や為替を上げれば大企業は儲かる。オリンピックを東京で開催すれば儲かる。そして、放射能で汚染された水はコッソリ海に流してしまえ・・・。政治家や官僚の頭の中はこんなものじゃないでしょうか?

”外圧”という言葉が浮かんできました。そう、「放射能はNO!」といった諸外国からの圧力がオリンピックをキッカケに出てくれば、この国はマトモな事故処理を、本当の原子力政策を考えざる得なくなります。(いいことじゃないですか?)

内から変われないこの国には、時には強烈な”外圧”があったほうがいいようです。外圧依存は元寇の昔からか?そうであれば「オリンピックの敵」は歓迎すべきや、否や?

優秀な日本人

2013年8月22日
昨日21日に、イチロー選手が日米通算で4千本目となるヒットを打ちました。日本で1200本、米国で2800本(なんとも大雑把ですが)で4千本ですが、通算成績はオカシイとか云った論調も少なく称賛されています。

チームメイトや観客から称賛されるのは喜ばしいことで、日米通算というややこしい記録達成で、その報道の大きさにイチロー自身も驚いたようですが、それもこれも彼の普段のプレーぶりや言動が、称賛されるにふさわしいと思われているからでしょう。

イチローのように世界で活躍する一流選手は、日本にいたとき以上に活躍している選手は、なにか常人と違っているように思われます。まずは秀でた技量を持っていることは当然ですが、松井秀喜にしても、イチローにしても、サッカーの本田にしても、香川にしても、とてもとても真面目にその競技に没頭しています。そして、おそらくこれがもっとも重要と思うのですが、とてもとても”常識を備えた人”じゃないかと思います。(ボクシングのナンタラ兄弟や、相撲の元朝○龍なんかとは大違いじゃないでしょうか?)

もうひとつ、上記の4人に共通するのは、彼らはマスコミに振り回されない、確固たる自意識を持っているんじゃないかと思われるのです。秀でて、真面目なヒトは多くいるでしょうが、自意識をもって自分を表現できて、なおかつうまく行っている(成功している)ヒトは珍しいのではないでしょうか?

海外でプレーするということは、簡単に云えば”出稼ぎ”です。”出稼ぎ”のヒトは、特にパイオニアは、そのヒトの言動が後々の後輩達に大きな影響を与えます。そういう意味で、野茂さんいて、イチローがいる野球界、奥寺さんがいて、本田や香川がいるサッカー界はとてもいい状況で、だからこの2つの競技には次々と新しい”逸材”が生まれてくるのではないでしょうか?

*まったくの蛇足で戯言ですが、松井秀喜さん、ワタシのような偏屈モノには、人間が出来すぎていて面白くないのです。あまりに優等生すぎて、ヘマやドジをやりそうになくて・・。(それの何が悪い?)その点、ムネリン(川崎宗則)は、自分の憧れや夢を叶えるために国内での待遇を捨てて挑戦していますが、そんな暑苦しさがなく、アピールの仕方もハチャメチャで、こんな日本人のいるんだ!って感じでとてもいいですね。
プロフィール

等閑堂

Author:等閑堂
”ひつじのこ”にようこそ!
あなたの日々積み重なるものはなんでしょう?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ