信じる者は・・

2013年7月30日
どうしたことか、ここ3~4日で、同じヒトの言葉がFMとAMのラジオで取り上げられ、偶々双方を聞いてしまいました。ボブ・ムーアヘッドという方の言葉とのことです。

この時代に生きる 私たちの矛盾
ビルは空高くなったが 人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 視野は狭くなり
お金を使っているが 得る物は少なく
たくさん物を買っているが 楽しみは少なくなっている
・・・・もっと続きますが、偏屈モノにはこれで充分です。

FM局は、会話法というか会話術というか、そんなもののサンプルとして上げて、AM局は、純粋に内容を讃えて”名言”というスタンスでした。ワタシだっていい言葉とは思いますけど、この言葉を発したヒトの形(ナリ)と背景が気にかかるのです。

背景?「そんなことはどうでもいい」と思う方が多くいらっしゃると思いますが、ボブ・ムーアヘッドは牧師というくらいしか知りませんが、宗教者の言葉とみれば、せっかくのいい言葉も「だからどうした?」と思ってしまいます。(偏屈モノでしょう?)

天台宗が毎年8月に行っている「戸津説法」をご存知でしょうか?東南寺という寺で行われるもので、お経に関する説法です。(今 東光や瀬戸内寂聴も説法師として講話しています。)ムーアヘッドの言葉は愛することの大切さを語っていますが、とても抽象的で、とてもアリキタリです。そして「戸津説法」の法話も、分かったような分からないお経の話しで、結局は宗教に足を突っ込まなければ理解できない、(それでも理解できない?)同じ類のものじゃないでしょうか?

ムーアヘッドの言葉が価値が無いとか、大したものじゃないと云っているのではなく、ヒトのための言葉でしょうが、宗教への我田引水がベースにあり、一般大衆向けの「だからどうするの?」がないのです。そりゃ聖書やお経を読めとか、洗礼とか帰依とかがどこかに出てくるのでしょうが、○○教とか○○宗といったククリに固執して、いまのこの時代「どうなるのでしょう?」(宗教者の限界でしょうか?)

そう考えると、FM局の会話術としての紹介は、とても的確じゃないでしょうか?ヒトを引きつける会話術ですから・・。玉石混交などとは云いません。信じるものは救われるかもしれませんし、判断するのはいつも一人の自分ですから・・。(宗教はキライです。)
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当事者意識

 あまり積極的にどうのこうの書きたくないのですが、次から次へとクダラナイ問題が増え続ける”お隣の遠い国”ですが、先日、ネットのニュースを見ていたら下の記事を見つけました。

 『正確な数字は手に入らないものの、貧農の親の意思によって身売りされたり、他の手段で募集されたりして、日本兵たちに性サービスを提供していた韓国の女性の数が、日本や中国、他の国々からのそうした女性の数よりも多かったということはあり得る。だが、それは韓国人を対象に絞った計画ではなかったし、戦時中のこの事業で犠牲となったすべての国籍の女性が被った真の苦痛について、日本が心から悔いていることは疑う余地がない。この時代の日本では売春は合法であり、占領期の日本でも性サービスは米軍に提供されていた。起きたことは正しかったとする事実ではなく、当時の規範が現在のものとは遥かに異なっていたということを示す事実である。』

 これは、ヴァンダービルト大学日米研究協力センター所長ジェームス・E・アワー氏の、『日韓の間の「真実の話」をしよう。』という記事です。

 結局は、当時の時代背景、韓国の国内状況や当時の日本の習慣や風習といったものを抜きにして、いまの時代の感覚で、当時のことをアレコレ云っても決着はつかないということです。当時の韓国では”少女”が商品であったこと、そして女性を売買する風習があったということです。だから”少女”として売られた当事者が糾弾すべきは、まずは売った親であり、売らざるえなかった社会状況なのです。

 次は靖国参拝問題で以下のように語っています。『日本政府高官たちが靖国神社に参拝することに関しては、日本の指導者たちは、一部が神社にその名を列せられているA級戦犯をたたえるために行くのではなく、ましてや、日本として他の国々に謝罪した行為をたたえるために行くのではない、と私は言った。それよりも、中国政府がするような外国からの些細な国内批判さえ忌み嫌う国が、国家に尽くして死んだ日本の兵士たちに敬意を表す神社に日本の政治家が参拝するのを批判することは大いなる矛盾のように思う。』

 そして、『韓国の姿勢を改善するために何ができるだろう。生まれたソウルに住んでいて、ヴァンダービルト大を卒業して以来20年以上、ソウルで働いている私の教え子の1人が、日本人は韓国人が劣等感を克服するまで忍耐しなければならないだろうと話した。残念ながら、それは当たっているのかもしれないが、朴大統領は安倍晋三首相と折り合いをつけることができるだろう、と私は期待する。』

 さらにこれが重要で、『これは日本人が決して口にしないことだが、日本が清国と戦って1895年に同国を打ち負かし、ロシアと戦争して1905年に同国を破ったのは同じ理由からだったということは、韓国人にとって一考に値するだろう、と私は思うのだ。日本は反韓国ではなかったが、韓国が清国に支配されることを、あるいはロシアに支配されることを怖れたのである。もし清国が最初の戦争に勝っていたら、韓国は現在、中国の植民地になっているかもしれないし、もしロシアが次の戦争に勝っていたら、韓国はロシアの植民地になっているかもしれない。日本の勝利はとどのつまり、韓国を自由市場経済の民主主義国という今日の地位へ導いたのである。』産経ニュ-スからの引用ばかりとなってしまいましたが、上のアワー氏の意見はどうでしょう?

 ヒトは当事者にも加害者にも被害者にもなり得ますが、なぜか”お隣の遠い国”はいつも被害者です。ちょっとキツイけど、日本に併合された時に李氏朝鮮という国は消滅して、太平洋戦争で日本と共に敗戦国となった。”お隣の遠い国”は、”亡国””敗戦国”となった歴史認識が必要なのではないでしょうか?日本が”敗戦国”から再出発したように・・・。

惨状観光

2013年7月25日
どこかでチラッと耳にしたのですが、なんでも「福島観光地化計画」なるものがあるそうです。福島第一原発の過酷事故を風化させず後世に伝えることを目的とし、2036年頃に現地に展示施設を作ろうというものです。

これ以上詳しいことは知らないのですが、確かに、原発事故を風化させないことは重要で、事故を繰り返さないためには必要でしょう。確かに、早く動き出さないと政府や東電が資料を破棄したり、隠したりするでしょうから、早いのに越したことはないでしょう。でもなんか違うというか、ちょっと待ってよというか、そんな気がするのです。

大きな災害が起きると、その災害を忘れないため、教訓とするために施設を作るのはマァそんなものかと思います。でも施設や記念碑を作ればいいのかと云えば、そんな問題じゃないと思うのです。広島にも長崎にも平和公園はありますが、核兵器は無くなっていませんし、核武装を口にする人々も多くいます。施設や記念碑に、災禍の元を糺す、抑止する力は無いのです。広島・長崎・チェルノブイリ・福島と災禍は繋がっても、原子力の利用は続いています。

それともっと引っ掛かるのは”観光地化”です。おそらく広大な福島原発”跡地”が中心にあるのでしょうが、そんな場所を”観光”するでしょうか?(そのために施設を作るのでしょうが・・)ワタシは、ヒトの野卑な行為の1つは、火事や災害の現場を見に行く野次馬だと思っています。”観光”って言葉はキレイだけど、やることは野次馬と同じ、結局は商売でしかありません。

観光する地が多くのヒトの悲劇的な災禍の跡でも、”観光””物見遊山”でしょうか?忘れないこと、伝えることも重要でしょうが、それが元の生活に戻る”原状復帰”より早く出てくるのがイヤで、それが商売のネタとして扱われるのがイヤなのです。(この「福島観光地化計画」が商売のネタと云っている訳じゃyないですよ。)

数々のモニュメントを残そうとする動きも同じですが、モニュメントで元の生活が戻るのでしょうか?”観光”は惨状を定着させ維持することで、惨状から復帰することじゃない。そんな気がするのです。福島で生活する生活者は、観光地化”を望んでいるのでしょうか?

いまさら消費税

2013年7月24日
参院選挙で自公政権が過半数を占めたため、来年の消費増税はほぼ決定的となりそうです。消費増税にはサンザン反対しましたが、再度、消費増税反対です。

増税派は、増税がなければ社会保障できなくなると云います。しかし、社会保障改革は議論すら始まっていません。今回の分かりやすい”ウソ”は野田どぜう(懐かしい!)が、官僚に丸め込まれて云ったのですが、自民党もそのまま”ウソ”を演じ続けています。(結局は同じアナのムジナです。)

いまの社会保障を維持するためには17%の消費税が必要とか、なにかのニュースで云っていました。これこそ正真正銘の”ステマ”でして、17%の数字をインプットしてまずは8%・・・と刷り込むための情報でしかありません。社会保障は議論もせずに放ったらかしで、増税の環境作りは抜け目なくやる。実にイヤらしい手法です。

消費税は税金としてはとても不平等で、とても不安定で、不確かな税金です。中小業者は正確に納税しているのか?大企業によるムリ押しはないのか?輸出企業に対する還付は適正に行われているのか?そして、なによりも重要なのは、ちゃんと収税できているのかです。

どこかで見た数字ですが、なんでも消費税の収税率は50%だとか?この数字がそんなにハズレていないのなら、こんな低い収税率で、3%や5%税率を上げても何の意味もありません。要は、どれだけ税収が上げるのか分からない、とても怪しい、とても効率の悪い税が消費税なのです。

それじゃ何故そんなものに拘るのか、誰でもそう思います。まぁおそらくは、社会保障改革は難しいし、行財政改革で身を削ぐことはしたくないってとこでしょうか?いまこの国で喫緊の課題は震災からの復興ですが、社会の格差を縮めることも重要な課題で、経済の再興を盛んに喧伝しますが、本当の経済的な課題は社会保障であり、行財政改革なのです。

痛税感たっぷりで、さらに景気を悪化させ、収税効率はサイテーな消費税。いまからでも遅くない。止めなさいよ!いまやるべきことは、常態化した歳入を超える歳出で、増え続ける赤字国債に頼りっきりの財政を改革することです。消費増税なんて次の次の次・・・ですよ。

ベタベタ

2013年7月23日
今日も政治のことになってしまいます。先日の参院選での選挙速報番組で、テレビ東京が一番の視聴率だったらしいのですが、その中で、「公明党の応援は創価学会員の宗教活動の功徳を積むことになるの?」という質問があったとのことで・・・。

公明党と創価学会の”政教分離”問題ですが、なにを今更、そんな感想しかありません。選挙前に住民票を移すとか、党の選挙運動を加勢するとか、そんなことは既知の既成事実であって、ベタベタのマックロです。

ワタシの住む地域は特にこの会員が多く居まして、昔は母親や兄に、選挙となると盛んに声を掛けていました。ワタシは平気で「邪教」とか、「クダラナイ偶像崇拝」と言い放ちますので避けられていましたけど・・。昔から公明党と学会、ベタベタのマックロです。

政治と宗教の2つは、聖徳太子の昔からベタベタで、お互いに利用し合うもので、聖徳太子は仏教で国をまとめようとして、伊藤博文は国家神道でまとめようとした。なにが政教分離だか?分離の反対語は、”合一”なのか”合体”なのか分かりませんが、国家神道で国も国民も辛酸を舐めましたので、特定の宗教を認めるようなことは出来ません。だから本来は、”政教分離”はこの国では常識でなければならないのです。なのに”政教分離”が持ち出される。これがこの国のアイマイさであり現状なのです。

ほとんどの国民が休む”お盆”が近づいています。この国の企業は墓参りで休むことを拒否しませんが、国としては祭日にすることはできず、現実と合致しません。しかし彼岸は、春分とか秋分とかで誤魔化しているわけで、これがこの国のアヤフヤな”政教分離”の実態です。

公明党の政治家をゼロにすることは、無理矢理の”政教分離”はホントはカンタンなのです。今回の投票率は52%くらいでしたが、投票率が65%とか70%になれば公明党候補者の多くは当選しません。本来はとても少数の集団でしかないのですが、存続を許しているのは選挙に行かない国民なのです。

オウム真理教も国政に出ようとしましたし、幸福実現党とかいう訳の分からないのもいますし、天理教にしても、生長の家にしても、霊友会にして、(一緒に並べるのはマズイのかな?)国政に食い込みたくて仕方ないでしょうが、既に大きな影響力を持っているのでしょうが、ベタベタは禁止です。教祖とか会長とか云われるオッサンの言葉を尊べ・・・そんな阿呆な社会はイヤでしょう?
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等閑堂

Author:等閑堂
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