認識できない歴史


 大阪市長が、自分で収拾つけられない問題を安易に口にしたおかげで、「歴史認識」の言葉があちこちで使われています。でも、本当の「歴史認識」と思われる発言は皆無で、「歴史認識」って何?との思いが強くなっています。(大阪市長はこの騒ぎまで計算に入れて発言したのではなく、ちょっと刺激を与えようと思ったのでしょうが・・・。)

 ワタシ、多国間で「歴史認識」が合致することはあり得ないと何度か書いてきました。今でもそう思っていますが、それは簡単な理屈で、「歴史認識」派は、現状の利害と「歴史認識」を繋げているからで、そんな欲ガラミが合致するわけはないのです。もし本気になって「歴史認識」を協議する、または歴史を見つめ直すとすれば、共通する起点が必要です。それは各国交流の歴史の開始点をどこに置くか、いつの時代から俎上に上げるかです。

 それですぐ連想されるのが、遡れば遡るほど怪しい話しになるということで、100年から1000年、1000年から2000年と遡れば、真実の確度すら判定できなくなってしまい、作り話のオンパレードになります。たかだか60~70年前の戦時のことでさえ既にグチャグチャになっている現状で、開始点を設定することは無理でしょう。ということは、あまりに簡単な結論になってしまいますが、「歴史認識」なんてハナから無理無体な、共有なんてあり得ない、自主自作なものでしかないのです。

 今、世界で通用している歴史は、今、世界で力を持つ国の自己讃美の作り物でしかありません。19世紀の半ば英領インド帝国が成立しますが、インド独立後に英国はインドに対して謝罪や賠償をしたのか?何もしやしないでしょう。第2次世界大戦までの戦争は、すべてが侵略戦争で、すべてが「勝てば官軍」で、それが近代の歴史だったのです。

 話しを特ア3国に限れば、中国・韓国・北朝鮮が特ア3国ですが、この中で戦勝国は中国しかありません。しかしその中国は、周恩来が戦時賠償を断って、賠償の代わりがODAとなっています。韓国・北朝鮮はどうかですが、彼らは戦勝国でなく敗戦国の一部だったのです。この認識がなく、被害国とか戦勝国とか勘違いしていては、そもそも「歴史認識」が誤っています。

 ちょっとヘンな例え話にすると・・。警察に捕まったドロボーは、観念したドロボーであれば正直に犯行を自供しますが、不正直なドロボーは犯行を否定し、「アイツが悪い」「自分は被害者」と言います。この正直ドロボーと不正直ドロボーがまともに話し合えるでしょうか?そんなことはあり得ないでしょう。

「歴史認識」は、「従軍慰安婦」と同じ作られた標語でしかありません。この言葉を口にするヒトはマユツバですよ。気をつけましょう。
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代用シンボル

2013年5月29日
数日前に見たニュースに引っかかっています。「まだこんなバカやっているのか?」と。

東日本大震災の津波に耐えて1本だけ生き残った「奇跡の一本松」。でも自然の成り行きでは枯死で、それじゃ寂しいのか、悲しいのか分かりませんが、陸前高田市が複製を作ることとなったのですが、最初の複製はダメが出まして、再度、複製の作り直しが始まったそうです。震災にも遭わず、地元民でもないモノが口を出すのは憚れますが、なんで複製が要るのでしょう?松の木1本、1億5千万円もかけて複製を作ろうとする根性が理解できません。

流石に税金で複製作りはマズイと思ったのか、複製に掛かる費用は寄付金だそうですが、メモリアル?シンボル?観光の目玉?もしワタシが震災の被災者であれば、「そんなモノは復興の目処がたってからで充分、復興より急ぐことはさらさら無い!」と文句をつけるでしょう。

「復興のシンボル」と考えるヒトが多くいそうですが、この言葉とても説得力があるように思えますが、本当に今複製を作ることが「復興」に繋がると考えているのでしょうか?複製の一本松を眺めて、何が生まれてくる、何の助けになるというのでしょうか?それよりなにより、シンボルというモノは復興が成った後からゆっくり作ればいいんじゃないですか?それともシンボルが出来れば、復興が成ったとでも思えるのでしょうか?

それと、枯死した松の木の代わりに、樹脂で松の木の複製を建てる。そう、プラスチックの建造物を建てることが理解できません。建造物を目当てに観光客が来ると考えているようですが、誰がこんな絵を描いたのか知りませんが、余程ノホホンと恵まれた生活を送っているのヒトじゃないでしょうか?

巨大な自然の暴力ら生き残った自然の松だから「奇跡の一本松」じゃないですか?それをプラスチックで代用して済まそうなんて、そんなに早く忘れてしまいたいのかと逆読みしてしまいます。ワタシには、誰もプラスチックのシンボル(松の木)なんか拝みやしない!・・・としか思えないのです。

ゴッチャ混ぜ

2013年5月26日
数日前にあった、「CJグループが、李在賢(イ・ジェヒョン)会長(53)の海外秘密資金で日本・東京に21億円(約234億ウォン)代のビルを借名で購入して保有していることが確認された。」とのニュース。これだけ読んだら「なんのこっちゃ?」ですね?

ちょっと解説しましょう。まず「CJグループ」なるものですが、これチェイル・ジェダンという社名で、漢字で書けばチェイルが「第一」で、ジェダンが「精糖」で、「第一精糖」という名前の砂糖の会社です。この「第一精糖」、以前はサムスングループの中核会社でした。

サムスンの出来となりますが、エレクトロニクス産業に進出する前は砂糖とか繊維とかの物産事業が主体でして、もっと遡れば、港湾の荷役作業から砂糖の利権を握り拡大していったもので、砂糖事業は母体の中核事業だったのです。創業者(イ・ピョンチョルだっけ?)には3人の子供があり、それぞれが跡を継いだのですが、よくある資産の取り合い、仲違いによる分裂があり、CJグループなるものが膨大な資産を持って存在しているのです。(ちょっと記憶が不確かですが、大体こんなものです。粗雑で済みません。)

サムスンは元々からして、利権を握って拡大していく政商的な利権会社だったのですから、利権を巡る諍いは生まれ持った宿阿(しゅくあ)、持病のようなもので、貯め込んだ資産で”金にモノを言わす”のも、これまたオキマリのパターンです。要は会社も個人もゴッチャ混ぜ、公私の別なんてどこ吹く風、企業資産の個人流用なんてフツーのことなのです。だから、突っ込まれるネタがあり過ぎますので、大財閥はその時その時の政権に対して従順な姿勢を見せているのです。

しかし、政治家側にも必ずゴッチャ混ぜが起きるのが韓国の伝統でして、妻、息子、兄弟、本人じゃなくとも必ず周囲の誰かが、「地位にモノを言わせて」悪事を働いてしまいます。だから今回のニュースも、このパワーゲームの一端でしかないのでしょう。

日本のメディアもオザナリな報道で終わらせずに、利権社会、利権による格差社会、この正体が分かるような報道をして貰いたいものです。

求む、姉御

Pretenders1.jpg

2013年5月25日
先日の「King of Comedy」のサウンドトラックにプリテンダースの「Back on the Chain Gang」が入っていまして、ミュージックビデオのような映像もついていまして、おそらく80年代初頭の風俗でしょうが、出勤するホワイトカラーやブルーカラーの労働者達と、それを睥睨(へいげい)するかのような”姉御”クリッシー・ハインド。なかなか興味深い映像です。

80年代の半ばといえば、丁度ワタシもサラリーマンとして新宿西口の地下道を通勤していまして、当時通勤風景として新宿西口地下道は盛んに流されていまして、そんな顔の無いゲンナリした集団の一員でした。

Chain Gangの映像は、突然と岩山でツルハシを振り下ろすホワイト&ブルーカラーに変りますが、サラリーマン達は彼らの制服であるスーツやジーンズのままで岩を砕いているのです。この映像は時代の閉塞感を表現しているのでしょうが(Chain Gangですから)、80年代初頭からとは、ナント永く続く閉塞社会であることか・・・。(米国は、既に閉塞から分断社会に向かっているようですが・・。)

そして面白いのが、歌っているのが男前の”姉御”クリッシー・ハインドという点で、なにか時代が、社会が煮詰まってくると頼りになるのは女性なんじゃないかと思ってしまいます。逆にみれば、女性が出てこれない社会だから閉塞感から抜け出せない。そんな風にも取れるのではないでしょうか?

もう1つ、このミュージックビデオの面白い点はファッションというか雰囲気でして、昔、毎週楽しみにしていた「ロックフォードの事件メモ」や刑事コロンボの雰囲気があって楽しいのです。さらに個人的な性向なのか、なぜか”姉御”という存在が好きなのです。求む、女性の改革者!求む、女性が進出しやすい社会を!そんな事を考えてしまいました。

泥沼は続く

2013年5月23日
昨日は、端っこと端っこを並べて議論しても折り合う分けがないと書きました。今現在、姦しく報道されるのは”端っこ”の主張ばかりで、いかに過激か、いかに単細胞かを競っているようです。お隣の国の新聞が「広島・長崎の原発投下は神の懲罰」と書いたと騒いでいますが、ちょっと冷静になりましょう。

安重根ってご存知ですか?伊藤博文を暗殺した殺人者です。しかし、お隣の国では”義士”とか言われています。人殺しなのに?対馬のお寺から仏像を盗んだドロボーの罪を問わず、盗んだ仏像を返還しようともしませし、「何百年か前にわが国の寺にあったもの」と国をあげて強弁しています。こうした国と歴史認識なんて、話し合えるわけ無いじゃないですか?

だから、お隣の国に対するこれまでの我が国の対応は、マトモに相手するのじゃなく一歩引いたものでした。この慣例を破ろうとしているのが大阪市長なのかもしれませんが、あまりにも準備不足、あまりにも拙速で、同じ穴のムジナのように見えてしまいます。

慰安婦問題を、竹島問題を究明するのであれば徹底的にやればいい。そう思いませんか?(こと慰安婦に関しては、ワタシは慰安婦はいない、いたのは売春婦だったと思っています。だって彼の国は、未だに多くの売春婦を輸出しているじゃないですか?)しかし実際は、真相を究明せずに歴史認識なぞを持ち出すからややこしくなってしまいます。そして”情”までも持ち出す。そう、お隣の国では”法”よりも”情”が勝りますから、最後には「情はないのか?」となってしまいます。

そして何よりも鬱陶しいのは、彼の国は問題の解決を求めているのではなく、問題の継続を求めているんじゃないかと思えることです。あ~!鬱陶しい!と普通の日本人はサジを投げます。そして泥沼はいつまでも続くのです。
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等閑堂

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