牧畜悪者論

 桜は最高の見頃となっているようで、年度末を向かえているこの週末に、天の配剤はとても冷たい雨。見事な肩透かしですが、桜を崇拝する者は風邪にもインフルエンザにも怖れず、花見強行でしょうか?

 ワタシ偏屈モノのせいか、昔の話し、古代の話しが好きで、特に縄文時代が好きでそういった類の本が好きなのですが、そんな中で、時折目にするのが「騎馬民族襲来説」です。この説は、縄文と弥生のハザマで、文化(分化?)の転換点で、騎馬民族がこの国に襲来したのではないかというものです。

 この説自体はオモシロイのですが、騎馬民族が来襲したのなら、馬に纏わる文化が到来しなければなりません。そして、牧畜がこの国でも始まっていないければなりませんが、牧畜はこの国に定着していません。世界中でもとても稀な、牧畜が根付かなかった国がこの国なのです。

 牧畜が根付くとどうなるか、お存知でしょうか?まずは、カッコよく言えば「バースコントロール」が始まるのですが、これは牛・馬・ブタ・羊などの生産コントロールです。そして、これがヒトの性のコントロールにまで繋がり、唐突ですが「宦官」を生み出します。「宦官」という生殖能力を持たない男は世界中に見られますが、この国には根付きませんでした。

 もう一つの牧畜の特徴は土地の砂漠化で、何百年にも亘る牧畜の後には土地の砂漠化が待っています。背の高い草は馬や牛が食み、背の低いものは羊が食み、根っこはブタが食みます。これが何百年も続くと、土地はアフリカや中央アジアのような砂漠となります。この牧畜による砂漠化、これもこの国には縁の無いものです。騎馬民族の2大特徴が、この国には残っていないのです。

 牧畜の中には、自然はコントロールでき、使えないものは捨てればいいという2つの考え方があります。牧畜が普通に広がっている国々では、この2つの考え方は普通のものですが、牧畜はこの国には根付かなったため、この国とこの国以外には大きな差異があるのです。

 なぜこんな話しを持ち出したのか?TPPにしても、領土問題にしても、そして世界経済にしても、この差異が潜在しているように思うのです。第一次産業がダメなら第二次産業で、それでもダメなら第三次産業で稼げばいい。使うだけ使えば、後は捨てればいい・・とはワレワレは考えない・・ですよね?

 この国は第二次世界大戦でコッピドイ敗戦を経験し、すべてに自信の無い数十年を過ごしてきました。そしてやっとここ10年ほどで、この国の文化や考え方に自信が持てるようになり、やっと文化や思想を世界に発信できるようになったんじゃないかと思います。

 ワレワレが本来持っていた自然を尊ぶ生き方や、モノを捨てない、大事にする文化はとても重要な思想です。だから、徒な国際化なんて不要で、まずは身近な自然との共生を目指すべきじゃないかと思うのですが・・・。余計なことをしないシンプルな世界、それを具現化して牽引できるのはこの国なのじゃないのか、なんてタイソウなことを考えてしまいました。(要は、西欧諸国のシリウマに乗るな!ということで・・・)
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みんなで酔えば

2013年3月28日
日本全国じゃなく、関東以西というか以南というか、そんな地域で桜が満開となっています。今日、ちょうど上野を通る予定があったので、上野公園のホンの隅っこを横切ってきました。すでに酒盛りが始まっていまして、(お昼頃ですよ)流石に泥酔したオッサンはいませんでしたが、なんとも平和な国というか、まだ木曜日だぜ!というか、まぁどうでもいいですけど・・・。

上野公園で思い出したのが10数年前のことで、その頃は外資系の商社勤務でしたが、ちょうど韓国人の知り合いが来日していて、ちょうど上野近辺で仕事が終わり「どこかで一杯」のタイミングで、「ちょっと上野の花見見物でも?」と誘いました。

ワタシ自身、上野の花見は初見だったのですが、夜の8時過ぎ、宴会が最高潮に達した頃で、赤い電球に照らされた狂態に「なんじゃコリャ?」と怖れ慄きました。韓国人の彼も「スゴイ!」と感じ入っていましたが、彼の「なんじゃ?」は疑問形じゃなく、この大規模な宴会に素直に驚いていました。

今日、チラチラと見ていて花見の謎に気づきました。なぜ桜に集まって酔い痴れるのかですが、これは人間関係の再確認と日常から解放されるための行事じゃないかと思うのです。要するに、生活環境をお互いに確認しあっている、そんな行事なのです。

だから、暗い顔や暗い話しはタブーで、あくまでもバカを通さなければならないのです。あくまでもヒマであり、あくまでも浪費でなければならないのです。そして何よりも大勢、多人数で、混んでいなければならないのです。さらにみんな同族であり、みんな同病でなければならないのです。

こんな国民だから、自民党が勝ち、石原閣下が当選し、東電はモタモタして、官僚はワガモノ顔で跋扈して、不平等な選挙制度は放置され、他にもいっぱいあるけど、社会全体が、現実から逃避していくばかりじゃないかと思うのです。みんなで酔えば怖くないってか?

遠い隣国2題

2013年3月26日
京都府議会が今日、旧日本軍の慰安婦とされた女性に謝罪や補償をするよう国に求める意見書案を賛成多数で可決しました。これに対して、民主と共産が賛成し、自民は反対したとのことです。とてもバカげた話しです。

この意見提案、「被害女性の声を聞き、調査分析を進め、理解ある補償を行い、名誉と尊厳を回復することは日本政府の残された責務」と言っています。しかしこんな法案を通したら、子供から老婆まで何万人もの韓国女性が賠償を求めるでしょう。なんせかの国は、嘘でも何でも、言い続ければホントになると思っていますし、対馬まで韓国領と言ってますし・・。

かの国への戦後補償は5億円の復興資金援助で終わっていますし、慰安婦そのものが、あの当時の、あの国の事業、ビジネスだったのですから。以前も書きましたが、ともに韓国人の、子供を売る親がいて、仲立ちする女衒がいて、スポンサーの日本軍がいただけです。それで、日本が国として補償が終わったものを、いつまでも引きずる必要があるのでしょうか?(今でも、かの国の産業の中で売春は大きな割合を占めています。売春が”業”として成り立っている国なのです。)

もう一つのバカな話しは、朝鮮総連中央本部の土地と建物の競売の件です。入札結果が発表され、宗教法人「最福寺」が45億円ほどで落札したとのことですが、この「最福寺」が怪しさいっぱいです。住職の顔写真がネットで出ていたのですが、あまりにイメージのままなので載せるのが怖いくらいです。

この土地、不動産鑑定士の評価による売却基準価額は27億円程度なのに、最福寺の入札額は45億円で、この差は何なのでしょう?そしてこの寺の、この住職(法主と書かれているが、単なる住職でしょう。)の怪しさも大したものです。この住職、金正日総書記が死去した際には「朝鮮の大いなる指導者、金正日総書記閣下が地方指導に向かう途上で亡くなられたのは、とても痛ましく悲しい」と哀悼の意を示していたそうで、金王朝を治世者と見ている時点でオカシイでしょう?

どうも、この国では(日本ですよ)朝鮮や韓国を特別視する風潮があるようで、オカシイのです。ワタシなぞは、韓国や朝鮮は”遠い隣国”としか思っていませんが、そうじゃないヒトが多いようでオカシイのです。距離感はともかく、隣国は隣国で、それもかなり滑稽な隣国で、それでいいんじゃないでしょうか?特別視は止めましょうよ。

悠長な商品

ハッセル

2013年3月24日
写真のカメラを説明しましょう。スウェーデンのハッセルブラッド社とイタリアのフェラーリ社がコラボしたもので、「H4D-40 フェラーリエディション」と名付けれたもので、499台限定で2,856,000円也のデジタルカメラです。

1990年前後のバブル期でもこんな強気な商品は無かったような、まぁ売れないと思っているから499台なんでしょうが、無理無体なバカげた商品です。そして、こんな少数限定品をメディアが取り上げるのが恥の上塗りとなっています。だって、ハッセルにしても、フェラーリにしても既存顧客にDMを出すだけで499台なんて売れちゃうでしょう?なんでニュースリリースが必要なんでしょう?ひょっとして売れ残っちゃう?

元カメラ屋として言わせて貰えば、古い機械式のハッセルマニアはいるでしょう。でもデジタルのハッセルマニアなんてほとんどいないでしょう。フェラーリマニアはいるでしょう。でもフェラーリとハッセル両方好きなマニア向けなんて、そんなコアなヒト向けの限定商品なんて、本当にバカげた商品です。ニュースの見出しとなるのが価格と生産台数だなんて、バカげたブランド戦略じゃないでしょうか?

もうひとつ大きな考え違いあるように思います。それは「普遍性」です。限定品であること、高額な価格であることはコレクターズアイテムの条件ですが、蒐集品であるには10年20年を平気で超える「普遍性」も必要じゃないでしょうか?でも残念ながら、デジタル機材にはそんな普遍的な価値などなく、コレクターズアイテムにはなり得ないのです。

確かに日本人はヨーラッパブランドのカメラが好きで、高名なフェラーリに弱いのでしょうが、フェラーリに乗っている高級カメラ好きを対象とした商品、そんなものバカげているとしか言えません。こんな商品、要はネタが無く、新しい技術を開発する力も無いと白状しているようなものなのです。

そして、そんな実情とは思いもせずニュースとして載せてしまうメディア。どっちもどっちと言えばその通りですが、こんなのに乗せられて買うヒトがいるかと思うと、幸福なのか不幸なのか分からなくなってきます。見せびらかすしかない商品、そんな悠長な時代じゃないでしょう?

映るモノは

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 暖かさの中に寒さを織り交ぜて、季節が慌しく変っていこうとしています。先週までは蕾さえ気にしていなかった桜が、もう少しで開花しようとしていて、ナントこの花はこの国民と似かよっているのか・・と思いませんか?

 何が似ているって、皆してワレサキニ咲こうとして、理屈よりは感覚が優先していて、じっくり考えるなんて、ゆっくり結論を出そうなんて、そんなことはキライなことです。でも現実には短期決戦は少なく、世の中は株価や為替のようには行かないようです。

 遠い隣国である中国や韓国では国内問題でヤバくなってくると、国民の目を逸らすために海外問題を無理にでも俎上に上げます。そして口では「歴史認識」と言いますが、歴史を弄んで何を言っているのかと思いませんか?彼らと共有できる「歴史認識」なんてありえない、と思いますが・・・。
 
 以前は気づかなかったこと、見えていなかったものを見つけることがあります。ワタシの場合は、水面に映った景色で、同じ場所で、同じような時間で見ていた景色なのに、今となって水面の像に気づきました。そこで感じたことは、水面に映った景色の方がキレイだということです。

 どうして映った景色の方がキレイに感じるのでしょう?ワタシの答えは”現実ではない”からで、映ったものは映ったもので、そこの樹木に触れることも登ることもできません。虚な像ですから。虚な像は脚色や着色が勝手にでき、それで虚な像を膨らませています。でもこれって今のこの国のメディアを、テレビや新聞を連想させませんか?

 ”煙霧”という言葉を初めて目にしました。先日、関東を襲った景色を黄変させた現象ですが、花粉やPM2.5だけでなく、なんでもそこそこの放射線を含んでいたとか。放射線云々を報道しないメディアに問題はあるのですが、対処できない現実に放り込まれるのはとてもシンドイことでもある訳で、虚な像でもイイヤなんて思ったりもします。(しかし、”煙霧”といい、”事象”といい、”建屋”といい、聞きなれない言葉にはロクなものないですな~。) 
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等閑堂

Author:等閑堂
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