再び羊羔

羊羔(ひつじのこ)

 このブログを始めたのが2009年の6月で、民主党政権スタートの3ヶ月前でした。まだやめようとは思っていませんので、寄せ集め集(たか)り政治屋集団よりは長命ということで・・。(何の比較なんだ?)

 「ひつじのこ」という可愛いブログ名ですが、漢字で書けば「羊羔」で、これで「ひつじのこ」と読みます。意味は、ワタシが勝手に作った合成写真のような、植物にして動物、中国の古文書に出てくる空想の生き物です。龍や麒麟といったものと同類で、想像の産物ですが、けっして可愛いものではありません。

 どうして「羊羔」にしたのか?それはワタシが空想好きで、妄想ばかり頭に浮かべているからです。ヒトはいろんなことを考えますが、頭に浮かんだことを全て口にしたら、周囲のヒトから”大丈夫か?”と疑われます。だから、ヒトは知らないうちに妄想を引っ込めて、正常な振りを装います。その方が無難ですから。

 3ヶ月ほど前にラジオを聞いていましたら、大竹まことさんが書評家に「一番面白い小説は?」と質問し、書評家がガルシア・マルケスの「百年の孤独」を上げました。早速、大竹さんが読もうとしたところ、どうしても15分以上読み続けられなかったとの話しがありました。これ、さもありなん、なのです。

 「百年の孤独」は、南米のある国のブエンディーアという一族の百年に亘る物語で、同じ名前の登場人物が何度も登場し、奇怪な出来事が頻発し、何年も続く旱魃や長雨があったりします。ストーリーの中で、どこまでが現実なのか、どこからが妄想なのか、グチャグチャな世界が展開されます。現実と妄想(空想)が掻き混ざっていて、その中に寓話となるテーマを潜ませるのがガルシア・マルケスの手法で、読みづらいのも特徴なのです。

 「百年の孤独」では、百年に亘るヒトの営みが無残に塵芥と化しますが、テーマは”愛”なのです。”愛”のない世界では、どんなヒトの営みも塵芥でしかないと説いていて、そんなヒトの愚かな営みを妄想として現しています。「現実」を顕現させるのに、混沌とした「妄想」を描いているのです。

 「現実」と「妄想」。どちらがどうのと区別できないもので、どちらにも”虚”や”仮装”が混じりこんでいます。”絆”という言葉は心地よく聞こえますが、現実を直視すれば”絆”と言いながら、東北の復興は捗らず、原発の収束は、賃金を搾取されっぱなしの労働者で賄われています。これは「妄想」ではなく「現実」で、どこに”絆”があるのか、となっています。「現実」と「妄想」、どちらも変らないでしょう?

 「現実」をとき解(ほど)こうとすると、正と邪、可と否、儲かる儲からない、いろんな思惑が重なり合って沈殿してしまう。そして、上澄みだけで良しとしてしまう。やっぱり掻き混ぜなければ、混沌とした世界は見えてこない。だったら「現実」からだけではなく、「妄想」から見ることもアリではないでしょうか?

 大層な「妄想」のススメとなっていますが、性根が偏屈なもので、裏から、横から、引っぺがして見たくなります。ショーモナイ親爺の繰言です。だから「羊羔」としました。
(本年はこれでおしまいです。お付き合いくださった皆様ありがとうございました。良いお年を・・)
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構想外

2012年12月28日
今日は、2012年も終わろうとする年の暮れ28日です。今日で役所や普通の会社は仕事納めで、週の並びからすれば1月7日が仕事始めで、キレイに金曜日で納まり、キレイに月曜から始まる、愚痴の言いようがありません。

ここ数年来聞かれるようになった言葉に「構想外」というのがあります。野球やサッカーなどのプロスポーツ選手の契約時に出てきますが、これとても便利な言葉です。「アンタもう要らないよ!」とか「給料が高すぎるんだ!」と言わなくとも、「構想外」で同じことが伝わりますから。しかし、この「構想外」って一体誰の構想なのか?戦術的?経営的?構想って何?と、疑問が解決しないのはナンラ変らないのに、どうしてよく聞かれるようになったのでしょう?この言葉が”角を立てない””ことを荒立てない”、この国の人々のメンタリティに合っているんでしょうか?

構想という言葉を聞けば、さも立派な達成可能な計画があるかのように、従来と違った計画があるかのように思えますが、計画なんて計画でしかなく、先のことなんか誰も分からないのは変わりゃしないと、偏屈モノは思ってしまいます。そして、人事なんていつの世もとても恣意的なものと思っています。

「構想外」は経営者や管理者が、外したい人を、外しやすい人をクビにする、そのための新しい方便なのですが、オーナー会社のオーナーから直接言われればグ~の音もないですが、たいして変らない上司や、下手したら年下の上司に言われたりしたら・・・悲劇になっちゃいます。

ワタシの場合、最後に勤めた会社が年俸制でして、年末が近づくと次年度の計画が作られて、当年度の計画数値から遠いものからクビになっちゃうのですが、これだと次年度の構想外とされるのは理解できますが、ホントに成績の悪い順序にクビになるのかといえば違っていて、逆に数値どおりクビにする会社の方が少ないのではないでしょうか?

不幸中の幸いというか、人をクビにするほど偉くなったことがないのですが、決まってしまった、避けようのない人選なら、「構想外」なんて言わずに、”察しろよ”なんて空気を漂わせずに、知っている情報を曝け出すしかないのではと思います。

「構想外」から、サラリーマン時代を思い出してしまいました。さらに思い起こせば、真摯に会社の状況や解雇の理由を語る上司というものに出会ったことがありません。紙一重で立場が入れ変る。人の世はメンドーくせぇ~な~と年の瀬に思っちゃっいました。

ズルズルベッタ

2012年12月26日
今日から自民党安部政権となりました。3年半の民主政権は、国民の政権交代による変化の期待を、閉塞感の打破と言う期待を見事に裏切りました。安部政権は、その裏返し、政治による社会の活性化が望めるのか、いやその前に政治を正常な状態に戻せるのか、どうなんでしょう?

ふっと思い出してみたのですが、小泉純一郎から安部・福田・麻生ときて、民主に移り鳩山・菅・野田と首相は変わりましたが、首相を降りて引退したのは小泉と福田だけで、この2人にしてもしっかりちゃっかり世襲していますが、出たくてしょうがないのに無理矢理引きずり降ろされた鳩ポッポがいますが、後の4人はまだ現役政治家で、再登板までしています。なんで辞めないのでしょう?

これは、なぜ世襲議員が多いのかと同じ答えになりそうですが、そんなに議員という仕事がオイシクて、そんなに首相になれる、再登板できる可能性が見込めるのでしょうか?ホントはこの答えは簡単で、国民が舐められている、国民を舐めているだけなのです。だって、政治家として何の実績もない元都知事閣下とか、マニュフェストはほぼ全滅で、官僚に操られて増税法案だけ無理強いした野田どぜうが当選してしまう国ですから・・・。
 
元政治家の孫や子供達が一度は投げ出しても、失敗しても辞めないのは、彼らを取り巻く利権集団が出来上がっているからでしょうが、原発立地の市町村が、お金(助成金)のために再稼働に固執するのと根っこは同じじゃないですか?(助成金=議員の地位が、既得権益となっているということです。)

しかし、鳩山や菅や野田が辞めないのは、何かとても大きな勘違いをしているとしか思えません。鳩ポッポは、友愛を掲げたシンクタンクでも作ってスポンサーになればいいし、菅は四国でもどこでも遍路に行って行方不明になってもらえばいいし、野田どぜうは・・・できること何もないだろうけど、もう政治に関われる資格なんてありません。ホント辞めなさいよ。

こういうのはズルズルベッタとしか表現できません。何がズルズルで、何がべッタなのかと言えば、国民感覚を失くした政治家が政治に関わるのがズルズルで、政治家としての能力がないのに辞めないのがベッタじゃないかと・・。政治家としてやるべき理念も無いのだから、辞めなさいよ。

象(かたち)を表す

 今日23日は今上天皇の79回目の誕生日です。皇居での祝賀の模様を見てお言葉を聞きましたが、お元気そうでなりよりで・・・。

 ワタシ、特に天皇を崇拝している訳ではないのですが、天皇家の系譜などまったく信じていませんが、男系だろうと女系で血筋が代わろうと気にしませんが、天皇という存在はあったほうがいいのではと思っています。

 以前、ネットで斬新な天皇論を見つけまして、その理屈に「うぅ~ん、そんな見方があったか?」と感心しました。それは、西洋社会との関係から見た、パワーバランスとしての天皇制護持論です。

 この国の天皇家は世界最古の家系と言われています。一体いつから計算しているのか気がかりですが、世界的にはそう見られていて、どこの国に行っても最高の賓位を以って遇されます。ほかのどんな分野においても、芸術でもスポーツでも、文化的な存在でこんな例はありません。

 世界を大別するとしたら、国か、人種か、宗教か、になると思いますが、天皇は、この国家、人種を越えた世界的な存在で、”一つの極”の象徴となっています。宗教的な括りに嵌っていると思うでしょうが、宗教的な神格となったのは国家神道が成った明治期からで、現人神から脱却してからは宗教的な象徴ではなくなっています。(天皇の存在は神道成立よりずっと前からで、宗教=神道と天皇を結びつけたのは明治以降の国家神道からです。)

 この”極”の存在が世界的に見てとても重要です。なぜなら、世界が”一つの極”で囲われてしまったら、それが一方的な思想であったら、とても危ない状況となってしまうからで、この世界的なパワーバランスを保つために天皇の存在を不可欠とする、今までになかった天皇観です。

 具体的に言えば、今の世界の大勢は西洋社会的な思想(世界観?常識?)に傾いています。西洋的な社会の方向性は、”開拓”や”布教”で括られるように思われます。開拓していって行き詰まったら次を”開拓”すればいい、分からないものには”布教”して教え込めばいいとする考えで、地球がダメになれば他の星へ移住すればいいし、世界の警察官ならまだしもで、世界に自分らの道徳を押し付けようとしています。

 こうした西洋的な思想に世界が包まれないためには、もう一つの”極”が必要となります。それが、国を越え、人種に関係なく、宗教に囚われない日本の天皇なのではないか、という考え方です。こう書くと、天皇が世界を統べればいいと思われそうですが、そうではなく、天皇を生み出したこの国の古の思想を顕現させること、古の日本的な思想が重要で、天皇はその表象となるのではと思うのです。

 また具体的に言えば、この国の古来からの思想(生活習慣)では、この国の猟師や漁師は獲物を獲り過ぎることはやりません。常に、次の年、将来を念頭において収穫し、常に再生を考え、行き詰まらない生活を考えていました。そして、違う考え方(仏教など)が入ってきても、大陸や半島から異人が入ってきても排斥することなく、いかに折り合うかに知恵を働かせました。(異人を皆殺しにする考え方はしないのです。)こうした古の思想(生活習慣)を天皇と結びつけるのは強引で、スジが違うかもしれませんが、天皇をこうした古の日本の表象とするのは、西洋社会思想のカウンターパートナーとしてはアリではないでしょうか?共生と協調の表象としての天皇ですね。

 これまで天皇という言葉だけで、やれ”右”だの”神の国”などと言われてきました。それで天皇制を持ち出すことはタブーとされていますが、天皇の歴史は常に担ぎ上げられてきたもので、天皇自身が事を興したことはほとんどありません。だから、”右”や”神の国”などと言い出すこと自体が、君側の奸(くんそくのかん=君子の側にいる悪い奴)の証となるもので、そんな腐った連中には注意しましょう。

 冗長となってしまいました。ただ今日、今上天皇のお言葉を聞いていて思ったのは、天皇制を作り出したこの国の知恵が、西洋社会的な思想に染まらない、共生と協調の社会へと繋がるのではないかということで、それがこんなズラズラしたものになってしまいました。まぁ、妄想ということで・・。

 メリークリスマス!皆様が良いクリスマスを過ごせますように・・イヤミたっらしい?

一陽復セズ

 一陽来復、今日は冬至ですのでこの言葉がいろんな所で引っ張り出されているでしょう。大雑把な意味は、時節が陰から陽へ変わることで、「来復」は元に戻るで、「陽」が戻るという意味です。詳しいことは「冬至」と打ってググッて下さい。

 未だに衆院選の結果が納得できていません。確かに選択しづらい、どこに入れるか難しい選挙でしたが、自・公・維新は増税賛成で、原発推進で、おまけに「国防軍」まで付いているのに、なぜ入れるのでしょう?これで、公共料金と消費税が上がり、原発は次々と再稼働を果たし、徴兵制が復活するかも知れません。いいんですか?原発も徴兵制も”元に戻る”には違いないですが、「陽」ではなく「凶」が戻ってきます。誰がこんなものを望んでいるの?

 次に経済ですが、難しくてよく分かっていないのですが、選挙後は疑問ばかりが出てきます。株価がどうのこうのは全然理解できませんが、為替(円)の高い安いくらいは分かります。そりゃ円高で日本製品を海外に売るよりは、円安で売った方が儲かるでしょう。それで、ず~っと円高に振れていた為替がやっと円安傾向になってきて、単純に景気がよくなると騒いで「アベノミクス」なんて言ってますが、なんのこっちゃじゃないですか?ひょっとして、円安→好景気→給与アップと安直に見ていませんか?

 今日、経団連が「賃金引下げ」を言い出しました。スゴイですね。言われる前に言っちゃえということでしょうか?好景気→給与アップはここ10年以上おアズケ状態となっていて、業績に合わせて給料が上がるのはホンの一握りだけです。おアズケはまだいい方で、給与ダウンやリストラや派遣社員切りと、ちっと景気が良くなってもそれが国民にまで回ることはなく、企業の内部に留保される、一部のCEOだのCOOだのの過分な給与になっているだけです。景気の浮揚が、国民にスンナリと「陽」となって戻ってくる仕組みにはなっていないのです。

 そして、本来もっとも急ぐべき問題、震災復興と原発の収束があります。復興庁を福島だか仙台だかに持っていく話しが上がっていますが、そんなことより民主がやってきた復興と利権のセット化が問題です。ガレキ処理を全国に拡散させたのは処理利権の切り売りですし、放射性廃棄物の中間処理も同様に地域との利権分配を狙っています。結果どうなっているか?復興は遅々として進まず、地元に仕事や資金が回ったわけではありません。で、極めつけが復興資金の横領です。東北に「陽」が復す兆しはありません。

 復興が進まないのは地域差別だと思っていますが、もう1ヶ所で地域差別があります。沖縄です。なぜ国内の米軍基地の75%が沖縄にあるのか?なぜオスプレイは沖縄の空を飛び回っているのか?こうした素朴な”なぜ”に答えようとしたのは、ルーピーとか宇宙人とか言われる鳩ポッポだけです。

 こんなに多くの重大な問題が積み重なっているのに、ニュースのトップに出てくるのは憲法改正であり、国防軍です。この問題どうでもいいとは言いませんが、目の前の火急の問題ではありません。明らかに尖閣より福島が緊急火急です。そう、もう何が優先かすら分からなくなってしまっているのです。

 本当に重要な問題から目を逸らさせ、ことさら必要でもないことに衆目を集める、マスコミ操作にすっかりヤラレテしまっています。で、なんたらオークションの芸能人ステマがどうのって?同じことを国を挙げてやっているじゃないか?そんなこと考えていると今日のタイトルは、「一陽復セズ」となるしかないのです。
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等閑堂

Author:等閑堂
”ひつじのこ”にようこそ!
あなたの日々積み重なるものはなんでしょう?

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