百日前の約束

2012年11月29日
寒い日が続いています。天気予報で「12月中旬の気温」とか「年末年始と変らない」と聞かされると、すっかり気力が削がれてしまい、ヤレヤレッと深いため息が出てしまいます。

今日は都知事選の公示日で選挙戦がスタートとなりますが、衆院選が飛び入りしたため、都知事選より衆院選のニュースが断然多くなっています。おかげでステマなのか天然のマヌケなのか、ア~ダコ~ダとどうでもいい当てにならない数字が飛びかっています。

どうしてステマだのマヌケだのと形容するのか分かりますか?先日の「第三の極」で書いたように、衆院選の争点の捉え方が、意図的にしても間違っているからです。野田どぜうは、「増税の際は選挙で国民の信を問う」と言っていました。ということは選挙の争点は「消費増税」でしかありません。そして、一向に進まない震災復興も問題ですが、原発の方向性を示すことも必須となってきます。だから、「TPP」だの「国防軍」だの「世襲」が争点だと言うのは、ステマかマヌケでしかないでしょう?

もともと、増税法案を通してから「国民に信を問う」こと自体がインチキなのですが、インチキの上塗りが選挙戦からの争点はずしで、これを争点としないヤカラは”どぜうのお友達”でしかないのです。そしてこの流れを作っているのがマスコミで、お得意の印象操作(ステマ)を炸裂させているのです。

消費増税法案が可決したのは8月10日で百日位前のことで、この時、社会保障の専門委員会の設置と選挙による「国民の信」を約束しましたが、どうでしょう?どちらも華麗にスルーしているのに、マスコミはじめ誰も指摘しない。どうしてでしょう?たった百日前のことを忘れていて、原発を2030年代にどうにかするって?2030年代に民主党があるのか?野田どぜうが政治家やっているのか?実にバカらしい話しです。

政治家の仕事は将来を見据えた政策作りですが、百日前に言ったことを守られないヤカラは論外です。政治家や役人やマスコミは何らかの利益の配分で”お友達”なのでしょうが、”お友達”になりえない国民は、騙されたことは何十年も忘れません。で、やっと選挙で、消費増税に口を閉ざすヤカラに「ナメンナヨ!」と思い知らせてやりましょう。
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第三の極

2012年11月27日
今日、いきなり第三の極が出てきました。滋賀県の嘉田知事が「脱原発」を主要政策として、「国民の生活が第一」を吸収する形で、「日本未来の党」を結成して衆院選に出るとのことです。

なにやら、最初は「みんなの党」が嘉田知事に打診したが纏まらず、次に一郎クンが声を掛けて、一郎クンが裏方に回る形で纏まったそうです。これを”極”と言っていいのかと思うかもしれませんが、これは立派な”極”です。(ただ、文化人がシャシャリ出てくるのはイヤですけど・・)

なぜなら、「脱原発」(「卒原発」と言っているようですが)は、民主も自民も公明も維新も、どこもアヤフヤな表現ばかりで主要政策とはしていません。まぁ、民主は何を言っても誰も信じないし、公明が踏み込める問題じゃないし、民社や共産では荷が重過ぎます。維新は、代表が推進派で副代表が「脱」で、訳の分からない状況です。要は、まともに考えていないか、まったくの力不足かのどっちかでしかなく、そこそこの政治勢力が主張したのは初めてですから。

もともと今回の選挙は、理屈から言えば「消費増税」がテーマであり、(この是非を巡って解散したのだから)国全体の問題からすれば「脱原発」もテーマとなるべきで、”極”は「脱原発」か「反消費増税」なのです。それをウヤムヤにしたいから「TPP」を出し、「国防軍」を出し、「世襲」を出していて、これらを出す方と受ける方、ともに”極”とは言えない有象無象で、いつ野合するか分からない連中です。これらの野合勢力を一まとめにして無理にでも”極”と見れば、「脱原発」主張派はその”対極”となり得るのです。

簡単に書けば、国民が考えている問題が「TPP」や「国防軍」や「世襲」なのか、あるいは「脱原発」や「消費増税」なのかという選択で、だから、「日本未来の党」は本当の「第三の極」となるのです。(石原閣下や大阪市長は風を見ているだけで、”極”にはなり得ません。)

「日本未来の党」には、「国民の生活が第一」以外にも「みどりの風」や「脱原発」(名古屋市長のやつ)などが合体しそうです。それで、問題はやはり一郎クンでして、一郎クンが民主憎しや役人への意趣返しで、「脱原発」や「反消費増税」を唱えているだけじゃないのかという疑念です。役人を叩くことは賛成ですが、国民のためでなく私怨でやられたんじゃ、スジが違いますから・・。

「日本未来の党」、代表は知事のままの嘉田さんらしいのですが、衆院選の選択肢を増やしていただいて、国民が望むテーマを出していただいて感謝しています。いっそのこと、党三役すべて女性でいってはどうでしょう?女性が引っ張る党、支持しますよ。

生まれ変わる

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 この月の22日は、二十四節のひとつ「小雪」でした。(女優じゃないですよ。)一昨日の23日は「勤労感謝の日」。もともとは新嘗祭で、天皇がその年の新穀や新酒を天地の神に供え、収穫に感謝する日でした。そして、今日の25日は、1970年に三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊で自刃した日です。少し寒さが身に沁みる頃合で、自然の恵みや日々の労働に感謝し、この国を憂えた時節です。

 先の週末に近所をぶらついていたら、「産土(うぶすな)の神」、地元の神社に行き当たりました。ひとっこ一人いない、ノラ猫もいない閑散とした空間を落ち葉がチラチラと舞っていましたが、静寂の中で気がつきました。七五三はどうした、この時期の神社に七五三はツキモノだろう・・と。

 この国に住む我々は、寺は選べますが神社は選べません。全ての国民が地元の神社の氏子なのです。(これを神道と、国家神道と狭く解釈しない方がいいと思いますが・・。)この産土の神社には、鳥居の前に七五三の幟(のぼり)は出ていますが、それらしい神職や巫女は見当たらず、この地域に七五三の子供がいない分けはないのに、桜や銀杏の枯れ葉が散っているだけです。

 地域によっては七五三の祝いを、ホテルで結婚式のように賑々しく騒ぐらしいのですが、こうした人達は産土の神ではなく、大きな○○大社や○○神宮に出張るらしいとのことです。勝手な推測ですが、こうした人達は祝う中身はどうでもよくて、祝う自らを祝っているのでは思ってしまいます。子供をコテコテに飾りつけ、離れた大社や大神宮に参り、ホテルで宴会を催す。大義名分とヒマとカネがあれば、何をやってもそれはそれで結構ですが、雲ひとつない冴えた青空を見ていると清々しさではなく、空々しさを感じてしまいます。

 年越しの初詣も同じことですが、これは産土の神で済ます人がまだ多いようですが、自らの1年の安寧を願うだけの行事となっています。誰しもまずは「御身大切」ですから、それはそれで普通のことでしょうが、果たしてそんな祈願が叶えられるのか、余計なお世話ですね。

 冬に入る前は、冬を越すために収穫した穀物を貯めこみます。だからこの時期に収穫に感謝する、自然や労働に感謝するのですが、儀式の形骸化は仕方ないとしても、自然や他者に対する感謝の念が、自分だけではなく周囲を見やる”慮(おもんばかる)”が失われているような気がします。

 三島由紀夫が自刃して42年も経ちました。彼の絶筆は自刃した日付で上梓した「五衰」で、これは「豊饒の海」4部作の最終章で、輪廻転生をテーマとしています。ざっと書けば、誕生して躍動して自壊して転生するのですが、人は(国も)愚行を繰り返しながら衰退していき、破壊の後から再生の芽は出てくるといったもので、彼はこの国を再生の途に就かせたかったのです。

 確かにこの国は、何度も壊滅的な大災害に遭い、戦禍で壊され、再生を繰り返しています。しかし今の状況は、再生に向かうべき時なのに、平安末期の末法思想が蔓延したかのような時勢となり、権力を維持し奪うために、騙し合いが横行しています。何のためか、誰のためかも定かなでない愚かな戦場となっています。

 たかだか静まり返った地元神社の光景から大層な話しになってしまいましたが、足元を見ずに何ができるのか、東北や沖縄をないがしろにして再生などあるものか思っています。地味で目立たないけど、ブレない地に根ざしたもの、まだ残っているでしょうか?

ルーピーでも

2012年11月22日
昨日、民主党の創設者である鳩ポッポが年末の衆院選には出馬しない、政界を引退すると表明しました。産経新聞のネット版は、「純化を進める民主党には、もはや創設者である鳩山氏の居場所はなかったのだろう。」と、淡々と普通のことのように書いています。(純化ではなく、不純化の間違いですね。)

しかし、民主党執行部は党の公認を得る条件として消費増税やTPP賛同を求めていますが、この2件とも党内で採決したものじゃありません。採決していない政策の支持が条件となる、この方が余程異常なこととは思わないのでしょうか?(産経は思わないのでしょう。)ですのでこの公認問題は、鳩ポッポを追い出すための、他の煩い連中を駆逐するための”いいがかり”でしかないのです。

鳩ポッポという政治家は、カメラや記者の前で「友愛」とか「トラスト・ミー」と言っているようなイメージがありますが、このイメージで、どうしようもないボンボン、ただの夢みるオッサンとしか思われていません。(彼の「友愛」を聞くと脱力する、スリッパで叩きたくなるですが・・・。)でも彼が言っていた、アジア共同体構想や市場原理主義の否定は、理に適ったとてもいい指針と思いますし、なんと言っても「最低でも県外」は傑出した発言だと思うのです。

「最低でも県外」は彼の夢想家ぶりを現すコトバと見られていますが、それじゃ沖縄は未来永劫米軍基地を抱え続けなければならないのか?なぜ、米軍基地の75%も沖縄に集中しているのか?この問いに答えるには「最低でも県外」は、いつかは誰かが言及しなければならない問題なのです。彼が夢想家だから言えたことじゃなく、沖縄を他の国内どこもと同じ目線で見ているから言えたことで、”理”にも”正義”にも適った発言なのです。

産経の記事は、『鳩山氏は「友愛」と「雨天の友」を座右の銘としてきた。後者は「逆境の時に支えてくれる友」という意味である。ところが現在、失意の鳩山氏のそばにかつての「友」の姿はない。』で締めています。これではあたかも、鳩ポッポの人格や政治家としての資質に問題があったかのようですが、産経は政治ではなく政局を見ているだけで、目先の損得勘定で動く政治家しか見ていません。(尖閣問題に火を点けて知らん顔している、誰も指摘しない元閣下より、鳩ポッポの方が遥かにマトモじゃないでしょうか?)

民主党は今頃になって「仕分け」をやっています。「仕分け」の要点は実行性で、実行が担保されない「仕分け」は見世物でしかなく、解散した政権がやる意味はありません。意味のない「仕分け」はスルーして、党内で決定していない事案を金科玉条のように振り回す政権執行部は見ない振りして、沖縄の根源的問題を指摘した政治家を誹謗する。イチャモンどぜうはよくて、高邁な夢想家の鳩ポッポは疎外される。政治家に求めるべきは公明正大であるか、先見性があるか、政治姿勢に一貫性があるかで、役人に操られるよりは、ルーピーの方がいいと思うのですが・・・。

マスコミの役割

2012年11月20日
数日前から、世間では衆院選挙関連のニュースが幅を利かせています。それも、自民が○○%、民主が○○%と支持率の予想ばかりで、数字を出せば信憑性が高まり、ニュースバリューが上がるとでも思っているようですが、こんな数値を信じるほど純真な日本人がどれほどいるのか、と思ってしまいます。

マスコミの狙いはドラマチックな選挙戦で、煽って煽って視聴率が上がればいいのでしょうが、脅迫的に煽るのも腹立たしいのですが、根拠となっている数値は正しいのかと訝しく思っています。正確な政党支持率を出すにはかなりの数のアンケートが必要と思いますが、私自身50数年生きてきて、そのようなアンケートを受けたことはないし、周りの人が受けた話しもほとんど聞いた覚えがありません。そう、マスコミが出す数値は信用できないのです。

選挙はどれほど票を取るかの競争ですから、事前アンケートとはいえ数値の信用性は重要で、その数値で結果が左右されますし、左右するために操作されることもある訳です。最近とみに目立ってきたのが、テレビ・新聞などの既存マスコミとインターネット媒体の調査結果の違いで、まるっきり逆なんてことが往々にして起きています。

この2つの調査の大きな違いは、旧来のマスコミは電話して「支持政党は?」と聞きますが、ネットでは、政治に興味を持つ人が調査サイトを探して書き込みます。この違いはものスゴク大きいのです。回答する人の意識の差と、間に人が関わり恣意が入り込む隙があるということで、ネット調査の方がはるかに確度の高い調査だと思いますが・・・。

マスコミは支持率数値にハマリっきりですが、支持率なんかよりもっと重要な数値があります。投票率です。おそらく今回の衆院選は、投票したい候補者がいないためとても低くなるでしょう。20~30%の投票率ではもはや選挙ではないと思いますが、マスコミがやるべきことは、放って置けば結果が出る当落の予想や支持率調査ではなく、投票率を高めるための国民への呼びかけです。

煽って視聴率を稼ぐより、どこかの党にススリ寄るよりも、国民に投票を呼びかけなさいよ。・・・と思っていますが、そんなマトモなマスコミはまだ生き残っているのでしょうか?
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等閑堂

Author:等閑堂
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