あすへの責任

2012年10月29日
せっかく雨が上がり快晴となったのに、政治を取り上げると精神衛生に悪くてイヤなのですが、今日もまた拙い政治の話しです。

今日、国会が開催され衆院本会議で、野田どぜうが所信表明演説をやりました。(参院では、問責決議を出された身で所信表明はやらせて貰えません。)何のことはない、やる気も能力も無いのに「やる!やる!」と言い張り、「あすへの責任」とキレイごとを並べました。厚顔無恥なだけで、これで演説上手と自惚れられたら堪りませんね。

この国会の目的は赤字国債を発行させる「特例公債法」の可決ですが、ここ数年、この法律を通過させるために”首相のクビ”を差し出していました。しかし、野田どぜうがズルガシコく、自公がヌケサクなのですが、どちらがより国民に迷惑を掛けるか、そんなチキンレースをやろうとしています。

これは、フランケン岡田が「自民は無責任すぎないか?」と前フリしたことで、”首相のクビ”を差し出す気も、解散時期を早める気もないことは明らかです。それでどうなるのかと言えば、補助金や助成金が出てこなくて、国民に多大な迷惑がかかるのです。国民不在の空騒ぎをやりながら、「あすへの責任」もヘッタクレもあったもんじゃありません。

人や組織は、腹の中を隠すため、本当の弱点を隠すため、心にもないこと、本当はもっとも出来ないことを、キャッチフレーズにして喧伝する癖があります。イヤ、キャッチフレーズは元々出来ないことの表明で、願望でしかないのです。(と、偏屈モノは考えています。)

そう考えれば、野田どぜうの「あすへの責任」は納得できるのです。「決断する政治」や「あしたの安心」や「革新的エネルギー・環境戦略」と並べられた文言を見れば、もっとも実現できそうにないことですから。

野田どぜうとその一党は選挙となれば退場となるのは明らかで、今の地位を保ちたくて美辞麗句を並べるのでしょうが、実際は国民の怒りを逆撫しているだけです。体裁を繕ったり、無駄な抵抗や小芝居は止めたほうがいい。アンタラには明日は無いのだから・・・。(彼らもまた、国民を踏み台にしているだけです。)
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踏み台

 朝晩すこし寒いくらいで、とてもいい気候となっています。暑さ寒さも必要と言えば必要ですが、ほどほどの季節も必要なのです。(去年、秋が無かったのは憶えていますか?)

 テポドン慎ちゃんの辞任騒ぎで、新党だ!政界再編だ!と姦しいのですが、このジイサンに何ができるのか?何を期待して騒いでいるのか?いい加減にして欲しいものです。第三極とも言われていますが、民主・自民の次は「国民の生活が第一」ですから、何を寝ぼけているのかと・・。

 都知事閣下が自治体の首長としてどうだったかは、都民じゃないのでよく分かりませんが、オリンピック招致や尖閣購入、新銀行東京や築地の豊洲移転などは明らかな失政で、高圧的な物言いで誤魔化すジイサンに、町内会の頑固オヤジのようなジイサンに何を求めているのでしょうか?

 この都知事閣下の理屈は、政治やイデオロギーが戦後民主主義より重要との妄想に基づいているようです。だから自らの政策に国民は従えばいいと考えていて、妄想の実現のため東京都をベースとして、好きなように散財し、好きなことをノタマッテいた、ただの政治至上ジイサンなのです。

 しかし、そんな考え方は戦前のもの、もう遠い昔の話しで、古臭いの形容も必要です。国民生活を基としない政治は、右だろうと、左だろうと、妄想でしかなく、「都民は分かってくれる」じゃなく、「都民に申し訳ない」でなければ、既に現代の政治家じゃないのです。(まぁ、国中そんな勘違い政治家ばかりですが・・・)

 同じことは大阪市長にも言えることです。先日、偶には大阪市長の言い分でもと思ってYouTubeを探したら、ナント、ビデオの長さが2時間を越えていました。週刊朝日との一連のモメゴトですが、こんな市政と関係ないことで2時間を越す会見って何でしょう?やる方にも、やらせる方にも、「仕事に戻れよ!」と言いたくなりました。

 この大阪市長、政治に進出した時は大阪府知事で、より権限を求めて大阪市長となり、より声を大きくするために政党を作りました。彼が初めから主張しているのは「大阪都構想」で、これは大阪圏(関西圏)の政治力(権限)を高めることを目的としています。どうです?ただの権力志向、都知事と同じでしょう?そう、東京都が都知事の踏み台でしかないように、大阪は市長にしてみれば踏み台でしかないのです。本当に大阪を建て直したいのならずっと大阪市長でいればいいことで、よく口にする地方自治とは真逆を志向しているのです。

 ここ10年来でしょうか、地方自治体の首長が目立っています。ちょっと名を成したものであれば、うまくすれば首長になれる浅薄な世情です。しかし、首長を志した時点で、首長となった時点で、その地域に「骨を埋める」くらいの気概を持っていたのではないでしょうか?そうでなければ国民は浮かばれない・・・。

 勝手な想像ですが、お笑い芸人は売り出すため、テレビに出るためには”職業オカマ”でも、”中学生”でも、何にでもなる(演じる)でしょう。同じような”ノリ”で、世情を騒がせれば中央政界に出られる、国民なんて二の次、三の次、政治までがそんな風潮になっていると思いませんか?

 「すわ!政界再編」と右往左往している議員さんは、”職業オカマ”や”中学生”となんら変わるものじゃないのです。まぁ、こんな連中は国民の生活なんて考えていないでしょうね?同じですよ。都知事も大阪市長も、誰も彼も・・。で、国民は踏まれるだけの存在でしょうか?

唯々諾々

2012年10月25日
昨日の朝、ふっと外に目を向けたら、庭のフチが金木犀のオレンジ色で蔽われていました。一昨日の雨とその後の風でしょうが、毎年のことなのに、目が醒めたら一面の銀世界と変らないほど驚いてしまいました。

今日驚いたのは、やっぱりテポドン慎ちゃん、都知事閣下です。「諸般の事情に鑑みて辞職を・・・」と切り出しましたが、この科白は何も真相を語らない時の枕詞で、文学者のつもりであるなら、この切り出し方では失格です。

何でも、新党を結成して、自ら国政に打って出て復帰するとのこと。
何でも、中央官僚の独善をおし止め、官僚支配を打破するとのこと。
何でも、憲法を改正して教育改革を進めるとのこと。
やりたいことの羅列で、言いたい放題です。(経済政策は?増税は?TPPは?行財政改革は?東北の復興は?原発は?国民が望んでいるのはこっちだよ。)

しかし、「やる!やる!放言」の前に言うべきことがあるのじゃないかと思いませんか?まずは、都政を擲(なげう)つことを都民に謝罪するべきじゃないのか?「都民は分かってくれる」なんて都合のいい弁で逃げるな!です。

さらに、都民の前に国民に釈明すべきことがあるのじゃないのか?アンタが火を点けたおかげで、多くの日本人、多くの中国人が迷惑を蒙り、多くの日中企業が多大な被害を受け、多大な損害を出しています。火を点けた張本人として、責任なんて取れはしないだろうが、言うべきことがあるのじゃないのか?

新銀行東京は?東京オリンピックは?築地の豊洲移転は?その他諸々だろうけど、アンタのやったことは好きなように掻き回しただけじゃないか?「後継は猪瀬副知事が・・」なんて、それじゃ東京都は北の金王朝と変らないじゃないか?

何か腹立たしいことばかりですが、さらに怒りを増すのがマスコミの対応です。なぜ都政の放擲を質さない?なぜ尖閣やり逃げを指摘しない?都政も国政も、アンタのオモチャじゃない!なぜ言わない?マスコミよ!
(「唯々諾々=いいだくだく」とは、従順に言いなりなるという意味です。)

進化のスガタ

2012年10月23日


今日は、おそらく多くの人があまり興味を持たないであろうカメラの話しです。写真のカメラは最近発表された「Go Pro HERO3」というもので、普通のカメラから進化したのではなく、分化したといった方がいいタイプのものです。

これは、クルマに取り付けたり、ヘルメットに着けたり、腕や胸に着けたりして、動画をメインに静止画も撮影できるデジカメです。さらに、ハウジングに入れて潜ったりも出来まして、新しいカメラ遊びを提案しているもので、カメラ屋さんよりも、カー用品店やダイビングショップなどで取り扱われています。

で、今回の新製品からWiFi(ワイヤレス画像送信)機能が内蔵されていて、撮影した画像をスマホやPCに飛ばすことができます。カメラとしても、静止画1100万画素、動画1440p/48fps撮影が出来て、4K撮影も可能となり充分な性能となっています。また、広角170度と127度の画角切り替えができ、防水・防塵仕様で、衝撃耐性に優れていて普通のデジカメとは随分違っています。こうした分化したものと普通のデジカメを比較するのは反則かもしれませんが、この割り切った潔いデザイン、これこそデジタルカメラ、これこそ新しいカメラと思いませんか?

アナログ(フィルム)カメラとデジタルカメラでは、レンズとシャッターは変わりませんが、フィルムと撮像素子では全然違ったものです。フィルムに撮像して現像して紙焼きしていたアナログと、撮像してそのままプリンターへ行く、そのままPCに行くデジタルとでは別物と見るべきと思うのです。しかし、これまでに、今も売られている国産デジカメは、古色蒼然としたアナログ風情のままです。最近では、さらに先祖帰りしたデザインが幅をきかせて、デジタルの特色を強調せずに、古い衣装を着せたままです。これでは進化は遅滞し、デジタルの可能性を潰してしまいます。

「Go Pro」は毛色の変ったカメラですが、WiFiとか4Kとかデジタルの進化をうまく取り入れ、うまくデザインしています。新しいモノを世の中に広めようとするのであれば、新しいメリットを最大限にアピールして、新しい衣装で出さなければと思うのです。既成事実(現実)を壊さなければ、新しいモノは生まれないと思うのです。がんばれオリンパス???(いやソニーか?)

溶け込む

 金木犀が盛りとなっていて、金木犀としか形容できない香りに包まれています。近所の柿の木の実もすっかり色づき、夕焼けのオレンジ色に溶け込もうとしています。

 最近、なんでもデビュー50年とかで、よくビートルズの曲をよく耳にします。ビートルズは馴染みがありますから、どの曲が流れていてもいいのですが、そんな曲ばかりでなく、時には聞きたくない、煩いとしか思えない曲もありますが、こんな時どうしますか?

 フッとそんなことが浮かんだのですが、好まないもの、どうでもいいと思うものは、目の前で流れていても、その音に包まれていても、見てもなきゃ聞いてもいないのです。自分のことを考えてみたら、「サザエさん」や「ちびまる子」ってまともに見た覚えがありません。興味のないものは、見たとしても何も残らないようです。

 音楽も同じで、「ユーミン」も「中島みゆき」も「チャゲアス」も何も知りません。もっとも最近、いい!と思ったのは「元ちとせ」ですから、スゴイ浦島太郎です。それで困るのはカラオケを無理強いされた時で、歌える曲が皆無なのです。(で、仕方なく憂歌団の「おそうじオバチャン」になってしまうのですが・・。)今は、カラオケを無理強いされる環境じゃないのでそういう機会はありませんが、でもこうした世間一般的なことなんて、知らなくとも生きていくことにナンラ支障はありません。

 世間の人が言う、中学・高校生の頃言われた、話題に付いていくためという理由が分からないのです。同じものを見たり聞いたりして、同じ意見で盛り上がることは分かりますが、そんなものはホンの数分のことで、多くの人が見るから話題に乗らなければなんて、気にする必要はないと思っております。

 画一化はイヤとか、自主性を重んじるとかいった大層なものじゃなく、どこかで誰かが言っていたことじゃなく、自分の意見を自分の言葉で喋ることが大切ですから、興味のあるものにだけ集中すればいいのです。だから、どうでもいいものは、見ていても聞いていても何も残らない。それでいいんじゃないですか?

 と、ここまでは偏屈モノの偏屈話ですが、偏屈モノが偏屈ゆえに困ったことがありました。昔の仕事ですが、商材にハローキティを使うとなり、サンリオさんと話し合いを何度かやりまして、何度か本社に伺って使用OKとなり、専用のデザインもできGO!となりました。

 先方の担当者も助手の方もとてもいい方で順調に進んだのですが、何度か社内の展示会に招かれたりしたのですが、私自身はキティはもとよりキャラクターってものに興味がなく、いやキライで、ゆるキャラなんて気持ち悪いだけで、「可愛い!」だの「受けますよ!」だのといった会話に合わせることがとても面倒でした。そう思っていると事はうまく運ばないもので、我々やサンリオの問題じゃなく販売会社の問題で、その事業は頓挫しました。

 自分が潔癖だなんて思っていませんし、性癖が仕事に関係するとも思っていないのですが、自分がキライなものにのめり込めるかと言えばNoで、腹がNOで顔はYESは続かない、なんて思ってしまうのです。要領が悪い上にヘンに律儀でして、それで損するのは仕方ないとアッサリ諦めてしまいます。

まぁ、性癖と仕事は関係ないと割り切れば問題ないのでしょうが、どこかで誰かとうまく溶け込むことができればいいのですが、何か溶け込めない醒めた目が見つめているのです。アニメ嫌いがアニメを仕事にできるのか?キャラクターに興味をもてないものが、キャラクタービジネスができるのか?仕事と自分は違うと、うまく切り分けられるのでしょうか?どうなんでしょうね?秋の夜長か、こんなことを考えてしまいました。
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等閑堂

Author:等閑堂
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