コゲラ確保

2012年9月29日
コゲラ

「コゲラ確保」といっても、捕まえた訳じゃないですよ。写真に収めたということです。今朝の10時頃、パソコン開いて「さぁ~」と思ったとき、小さくトントントンと聞こえてきました。「ムムッ、コゲラか?」と音の方向を探すといました。小さい可愛いやつが。

で、今回は姿を収めようと即デジカメを出しましたが、私のデジカメは超へタレなズームレンズでちっとも望遠ではありません。で、どうするか?一番の高画質モードにして、ファインダーの中央に捉えて、それだけしかありません。あとはフォトショップに頼るだけです。で、撮れたのがこれです。

で、拡大してじっくり見てみると、この子(鳥)はコゲラ君じゃなくてコアカゲラの雌か、と思われます。鳥に関してはまったくの素人で、手持ちの本は、なぜあるのか分からない「野外観察ハンドブック」で、そこに載っているコアカゲラのイラストにそっくりです。でも、このハンドブックによれば、「北海道の林に少」と書いてあります。どうなんでしょう?

で、さらにこれと同じ時に見たのが、これがまた小さくて素早い子(鳥)で、記憶が薄れないうちにハンドブックを探すと、どうやらヤマガラのようです。シジュウカラはよく見かけますので、ヤマガラが飛んでくるのはあり得るでしょうから、これは正解じゃないでしょうか?

しかし、この国の鳥は多種多彩で素晴らしいですね。ズブの素人がちょっと何種類か見ただけでも、とても楽しめます。バードウォッチングやろうかな、なんて思ってしまいますが、そうすれば2~3日前に書いた羽をただ拾って集める、「羽拾い」と一緒にできますね。やろうかな?
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ナンギな選挙

2012年9月27日
自民党の新しい総裁に”あの”アベチャンがなりました。(”あの”にはカツカレーでも腹痛でも、お好きな言葉を入れて下さい。)

もともと投票権のない政党の選挙など興味がなく、なぜ遊説するのか、なぜTVで討論会など催すのか、その意味すら理解できません。国会議員と投票権を持つ地方議員を入れて千人にもならないと思いますが、それくらいであればどこかで集会でもやればいいのに、と思いませんか?

そんな興味ない選挙で、右から左へニュースは流れていたのですが、選挙経過を聞いていて「なんじゃ?」と思ってしまいました。それは地方議員票で、5人立候補していて、そのうちの一人が55%の票を獲得したのに、決戦投票とかで2位となりました。5人ということは平均すれば20%の得票で、それで55%というのは圧倒的な支持じゃないですか?

これを分かり易く言えば、自民という村があり、村には村民と村議会議員がいて、そこの村長選挙となり、村民票は圧倒的にAさんに集まったのに、議員達が再度投票してBさんにしてしまった、ということです。これは北○鮮ではなく日本での話しで、村民だって自分の意思で村の税金を払って投票しているのです。村民票をすべて死に票してしまう、そんな総裁選挙て何だったのでしょう?

まぁ、地方議員といっても、好きで自民党にいるのですから同情なんかしませんが、これで総裁となり、次期総理なんてなられたんじゃ、北○鮮と変らないような気がします。ルールだからとか、結果的にそうなったとか言い訳するでしょうが、地方議員を入れて水増しして、さも公平な選挙と装うだけタチが悪いです。

しかし、実際にこの国の重要な政策が決定されるのは、どこの党も過半数や2/3を占められるわけじゃないですから、どこが与党になったとしても3党合意になってしまうのかもしれません。そうすれば、なにが政党だ、なにが代表だ、なにが総裁だとなりませんか?

やっぱり、官僚の走狗に成り下がった民主の面々、もともと官僚と仲良しの自民の面々、これからの1年で衆院と参院の選挙がありますので、ヤツラを落とすように落選運動をやるしかないのでしょうか?ナンギな国のナンギな選挙です。

楽しむ自然

2012年9月24日


先日、何気なく庭に出てブラついていましたら、足元に見慣れぬ鳥の羽が落ちていました。先週末の雨の前でしたから、羽もシャッキッとしていてキレイな状態だったので拾ってきました。

部屋に持ち込んでじっくり見てみると、いろんな驚きがありました。まず色ですが、茶色とあずき色の中間のような色で、根元のほうから微妙なグラデーションとなっています。この色は実物があれば再現できるでしょうが、鳥の色としてこの色を、人が創造することはできないでしょう。そして絶妙なグラデーションの具合も、自然ならではのものでしょう。

もっとスゴイのが先端の白い丸です。同じような羽が、同じような位置に生え揃って白い模様を形成しているのでしょうが、こうして1本だけで見ても、とても素敵なアクセントになっています。これもまた真似はできても、人がオリジナルで創造するのは難しいでしょう。

全長7cmほどの羽ですが、色といい、形といい、デザインといい、とても人には作り出せそうになく、これだから自然は、いつだって新しい発見に満ちていて、飽きない楽しいものなのです。

この羽を、小さい写真用の透明アクリル板に挿んで収めると、1枚の羽がひとつの立派な展示物となります。こうした普通の羽や、普通に河原に落ちている石ころなどになぜか惹かれてしまうのですが、これを蒐集しようとすれば、羽を1本欲しいがために鳥を捕まえるわけにもいかず、ひたすら落ちている羽を捜し求めなければなりません。膨大な時間と大変な根性を要する蒐集となるでしょうが、集めることは楽しそうです。

でも、この白い丸のある羽を持つ鳥は何なんでしょう?うちによく来るの中で、大きさが合うのはヒヨドリとムクドリですが、そのどちらかかなのでしょうか?イヤ全然違った鳥だったりして、そんな空想も楽しいような気がします。

島嶼開放論

 この国の四囲に散らばる無数の島々、大きい島、小さい島、これを合わせた言葉が「島嶼」(とうしょ)なのですが、この「島嶼」、ほとんど使われない言葉のようで、民俗学者の柳田国男の著書などで何度かお目にかかった、そんな程度しか見た記憶がありません。

 最近の島嶼に関わるニュースは、竹島は上陸で、尖閣は国有化で、北方4島は譲渡となっていて、続いて出てくるのは要塞化や、奪還とかで、政治的な意図によるものばかりです。そして島嶼の問題は、ただ世間を騒がせるだけじゃなく、対応を間違えると戦争へ繋がってしまいます。そんな厄介事を抱えた、抱えそうな島嶼が、この国にはゴマンとあります。オッカナイ話しです。

 島嶼が重要となるのはほとんどが島そのものでなく、島をとりまく200海里で、この海(領海)を含めた国の大きさでは、日本は世界で10番目くらいの大国となります。島嶼が重要視されるのは領海の資源で、漁業資源はもとより海底に何が資源があるのじゃないかですが、どこだって掘ってみなければ分かりません。要は領土拡大と資源の確保ですから、どの国もどんな屁理屈をつけてでも島嶼が欲しいし、獲られたくはないのです。

 しかし、海に線を引くことにどうして固執するのか疑問に思います。もっとも酷い対応が島の要塞化で、人の生活と関わらない島の利用に何の意味があるのか?普通に生活できない環境を、多くの人員と費用をかけて守ることは滑稽じゃないですか?

 どの国にしても欲しいのは漁のできる海域であり、掘って出てくる資源です。でも冷静に考えれば、まだ獲っていない魚であり、まだ掘っていない資源で、魚であれば漁域を決めればいいことで、海底資源であれば資源化の役割と分配を決めればいいことじゃないですか?(出資と分配ですね。)群れで移動する魚や海底に埋まっている鉱床は、線を引いて分けられるものじゃないですから・・。

 尖閣に船だまりを作るという案があります。台風などで海が荒れた時などはとても重要と思いますが、もっと有効な、もっと友好の助けとなる施設があります。魚市場と加工場を作るのです。尖閣はもちろん、竹島にも択捉にもです。大きな施設は無理でしょうが、どこの国の船でも泊まれて、魚の売買と加工ができる施設を作るのはどうでしょう?

 島の管理や魚市場などの運営は日本がやりますが、どこの国の船でも漁をして売ることができるように島を開放するのです。開放と言えば大袈裟ですが、考えてみれば、おそらく50年60年前までは各地の島嶼で小さな規模で、海外の漁船が停泊して魚を卸すのは、普通に行われていたのではないでしょうか?

 領土・領海の問題を政治で解決させようとしても、何年経っても何の成果も出てこないでしょう。なぜなら、政治家は海を政治として利用していて、漁場、漁師の生活の場としては考えていませんから。問題は、漁ができて漁師の収入が多くなればいいわけで、海底資源にしても、資源を出資に応じて分配できればいいわけで、そのための方策は、簡単、ストレートに考えればいいわけです。政治なんて要らないのかもしれません?

 島嶼を開放すれば、領土問題を解決し、近隣諸国とともに資源を有効に活用できると思いませんか?もともと海に線なんか引けないのですから・・。

10年を経ても

2012年9月20日
今日は9月20日で、以前、社員じゃなくて外部委託という形で関わっていた会社の社長が、突然の事故で亡くなって10年目を迎える日です。10年ひと昔といいますが、この10年は、あの社長との思い出は、まだまだ昔のことになってくれません。

ずっとカメラや写真や映像に関わってきた方で、新しい写真を含めた映像ビジネスを追い求めていて、私も写真屋さんからカメラメーカーに移り、会社を辞してからはネットを使った映像ビジネスを模索していて、初めて会って、小一時間話し込んで、あっという間に「一緒にやろう!」となった方です。

とても細かく気を遣う方で、少しでも社員(IT技術者)が仕事しやすいように、土曜日に出てきてコソコソと倉庫整理をしたり、残業している社員のために夜食を差し入れしたりしていました。

しかし、世の中はうまく廻らないときは廻らないもので、なかなか軸となる事業を見出せず、頼りとしていた社員に足元を見られたり、怪しい、困難な物件ばかり振られたりと悪戦苦闘していました。そんな彼は、世間知らずとか、夢想に浸っているとか陰で批難されていて、彼の新しいモノを創り出したいという夢は、周囲にはほとんど理解されていませんでした。そんな四面楚歌の中でも彼は、会社と若い社員が好きでした。

彼を失った会社は、できるだけ穏便に事業を閉じていく方向となりましたが、その妨げとなったのは、もっとも彼の世話になった古参の社員と臨時契約の技術者で、もっとも状況を理解して協力的だったのは若い社員達でした。

彼が亡くなったのは、いったん退社した彼が、差し入れを持って夜半に会社に戻った後で、その時の彼は、夜食をほうばる社員達を目を細めて眺めていました。(私がこのくだりを忘れられないのは、この時一緒に居酒屋で飲んでいて、焼きおにぎりがとても美味しかったので、「ヤツラに食べさせよう!」となり、一緒に会社に戻ったからです。)

夢は達成できればいいのでしょうが、達成できないから夢なのではないでしょうか?とすれば、達成出来るか出来ないかより、夢があるかないか、こちらの方が大切なこととなります。そういえば、居酒屋で彼が私に最後に言ったのは、「好きなことをやれ」でした。ちっとも昔話になってくれません。
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等閑堂

Author:等閑堂
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