非道なヤカラ

2012年2月28日
あまり個人や、特定の組織を批難したくないのですが、隠れている意図を探ったり、歪んでいるものを指摘するのが好きなのか、書く内容が批難や罵倒ばかりとなってしまいます。これ本人は楽しくないのです。ホントに。それなのに今日もまた、バカ政治家のこととなってしまいました。

福島第一原発事故を調査した報告書が、民間の福島原発事故独立検証委員会から出されました。報告書は、この事故を責任感の欠如した企業と、監視体制をないがしろにした政府による人災としており、大方の予想通りの内容でした。

その中でも、ダメ菅のグダグダぶりは飛び抜けていて、本人を目の前で発表したいほどです。ダメ菅は、戦後日本の失敗した教育や、良からぬ習俗を体現しているようなヤカラで、そんなヤカラが総理大臣の時に、最悪の災厄が起き、最悪の人災となってしまいました。今にして思えば、このタイミングの合致が最大の不幸だったのです。

これでダメ菅は、国に大損害を与えた最低で最悪な政治家として、本人の意向と真逆な汚名を残したわけです。しかし、ダメ菅はやっぱりダメ菅だったで済まされることではなく、この災厄を引き起こしたシステムを、原子力村の支配を放逐しないと何も変わりません。だから今回の報告書は、原子力の管理や運営を見直すものとならなければならないのです。

この原発災禍には事故調といわれる組織が、国関連で2つ、東電が1つ、そしてこの民間で4つあるそうです。4つもあるのが不思議で、国と民間の2つで充分で、後のものは余計なものです。特に東電は主犯で調査を受ける立場なのに、民間の調査には協力しないなどと悪役を貫いていて、保身しか頭にないのかもしれませんが、トンデモなヤカラです。

この報告書がもたらすものが、本来の原因究明と責任の所在であればいいのですが、早くも別のバカなヤカラは、新たな政争の具、倒閣のネタにしようとしています。国民が望んでいるのは国民に向かう政治であり、国難に対峙する政治で、政治家のグループ名は民主でも自民でも何でもいいのです。なぜ日本の政治家として動けないのか、なぜこんな簡単ことがなぜ分からんのでしょう。
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「キ」に非ず

 政府は、来る3月11日に東京で何やら式典を催すとのこと。追悼するだけの式典だろうけど、これを考えていると「キ」という言葉に突き当たってしまいました。でも「キ」を表す漢字が出てきません。

 単に1年ということであれば、時期とか機会の「期」となり、1年を迎えての兆しや分け目とあれば「機」となり、1年を迎えての企てや謀(はかりごと)であれば「揆」となります。それとも過ぎた時間の「忌」、これから始まる「基」でしょうか?いろいろと考えても当て嵌まる「キ」がありません。どの「キ」でもないということは、何のための式典なのかと考えてしまいます。

 まず、3月11日に被災した人々は式典を望んでいるのでしょうか?そんなことより、家族や家や仕事や環境、生活を取り戻すことが最優先で、近親者を失くした人は追悼しますが、追悼は既に生活の中に沁み込んでいて、1年が目処となるものじゃない。現況は、原状回復には遠く、3000人近くが不明なままで、この3月11日に集って追悼する意味合いは、どれほどのものなのでしょうか?

 次に浮かんでくるのが、主催者にその資格があるのかということです。式典の主催者は当然の如く国、政府です。でもこの主催者は、被災者に対してまともに手を差し伸べない、何もやらない人達で、重要な復興の指針を示さず、行政の交通整理もしない、現地の声を聞かない人達です。こんな人達が主催者だなんて、とっても理不尽です。どの顔(つら)下げて出て来るのかと思いますが、厚顔無恥ですから平気でしょう。

 国に拠る被災地の復興が進まない中で、その任に相応しくない人達が催す式典だなんて、とても悪い冗談です。ここでまた、小汚いシナリオが頭に浮かんできます。式典が、名目だけの復興プロパガンダだということです。誰もその目で確認できなくとも、温度計が壊れているとされても、冷温停止状態と言い張る政府が、復興が進んでいると言いたいがための、たんなるプロパガンダではないでしょうか?

 この国の為政者達は式典や記念碑が好きで、大事がある度に催事を行い碑を作ります。3月11日の津波の惨状で、ビルの屋上の船を指して「モニュメントに・・」と言っていましたが、本当に被災者が言ったのか訝っていますが、そんな感覚は要らないと思っています。一本だけ残った松の木を、賞賛したり擬人化する感覚も要らないと思います。なぜなら、催事やモニュメントで復興が進むわけではないからです。

 でも、記念碑や擬人化を否定しているのではなく、まだ時機ではないということで、過ぎた思いこみは、実態をボカシたり、実態の歪曲に使われるのではと思うのです。それが、1周年は終わった。5周年も終わった。10周年も終わった。もう、大惨事は昔のこととなります。今年の3月11日は、まだ何の区切りでもなく、何の時機でもないので式典は要らないのです。

 日本語に多くの「キ」があることを再確認しましたが、3月11日に適した「キ」がありません。これは、1年では時間が足りていないということで、何も急ぐことは無いのです。式典なんて、5年目でも、10年目でもいいもので、いまだ「キ」に非ずと思いませんか?

損得勘定

2012年2月25日
この2~3日は、ちょっと前と変わって暖かくなってきて、「一雨ごとに・・」の表現どおりとなっています。そして、また雨の朝でしたが、どことなく春の兆しが感じられます。

相変わらず事故や殺人や蒙昧な政治家の発言と、姦しい日々が続いていますが、そんな中で、どうでもいいようなニュースが気になってしまいました。携帯電話を使ったカンニングを防止するために、東京工業大学が何やら装置を開発したとのこと。フゥ~ンと聞き流しそうになったのですが・・。

電子機器を使ったカンニングが露見した、だから電子機器に対抗する技術を開発した。一見フゥ~ンです。でも、新たなカンニング手法が出てきて、それらに一々対抗することに意味があるのでしょうか?試験開始前に口頭で、「カンニング厳罰」とやるだけじゃ駄目なのでしょうか?露見したら一発退場、この一言で充分でしょう?

カンニングをやる方は、端から損得勘定を度外視した一か八かですが、対抗製品を開発する方はどうなんでしょう?カンニングに対抗するために製品を開発するなんて、とても無駄なこととしか思えません。開発した技術が他の何かに生かされないかぎり、能力・資金・時間の無駄ですね。

日本人は開発することが好きで、電気で動くものが好きで、何でも開発して何でも自動化しようとします。でもその中に、どうでもいいもの、無いほうがいいものが一杯あるように思えます。例えば、自動で回る回転ドア。人力で回せるものを、電気で回す意味があるのか?自動で回るから、子供が首を挟みこみ死んでしまう。無いほうがいいと思ませんか?

なぜいろんなモノを開発するか?まぁ、必要だろう?便利だろう?売れるだろう?とのことですが、本当に損得を考えているのか、余計なお世話ではないのか、資源の無駄使いではないのか、考えてみるべきでしょう。カンニングが露見した受験生は志望校を失うくらいで済みますが、事業や産業として必要でもないものを作ると、行く行くは大きな損失となります。だから、新たなモノを開発する時には売り上げ計画だけではなく、頭いいんですから、本当の有用性を考えて欲しいと思ってしまいます。(特に日本人は、)やり過ぎないことが大切ではないでしょうか?

場違い弁護士

2012年2月22日
一昨日、光母子殺害事件で被告から出されていた上告が棄却され、被告の死刑が確定しました。死刑制度も前回の天皇制同様に、是か非か、簡単に答えが出ない難しい問題です。ですので死刑制度は置いといて、弁護士のあり様について・・・。

この母子殺害事件は、被告が当時18才だったことで、難しい判断には違いないのですが、いつ頃か、新たに付いた弁護団のおかげで、余計に耳目を集めるものとなりました。注目された原因は、弁護団が出したオカド違いな稚拙な言い分けで、「生き返るのではないか?」とか「ドラえもんが助けてくれる。」といったもので、これを聞いて、バカヤロ-!と思わなかった人はいないでしょう。

弁護団は、「強姦目的も殺意もないことは、客観的証拠や鑑定から明らかにされたのに裁判所は無視した。被告は虐待で成長が阻害されており実質的には18歳未満で、死刑は憲法や少年法に反する」と言っています。殺意のない者が乳児を絞め殺すのか?弁護士資格など無くとも誰にでも分かることで、最後ッ屁にもなりません。

この新たに付いた、途中からくっ付いた弁護団は、自らの無能や世間知らずを晒しましたが、彼らは本当に被告を弁護するために参加したのか、ハナハダ疑問を持っています。彼らは死刑制度に反対したい、もしかしたら名を売りたい、それだけではないでしょうか?誰だって、ドラえもん云々なんて持ち出されたら、真摯にやっているとは思えません。

目を瞑って、彼らは無能でいいでしょう。でも死刑が確定した被告はどうでしょう?死刑から逃れられるという一縷の可能性を信じて、死刑囚となった彼はどうでしょう?(犯した罪の償いですから、罰そのものは当然ありますが。)死刑制度反対の意思は尊重しますが、進行している死刑の可能性が大きい裁判で、制度そのものの是非を問うのは、時も場も相応しくありません。一人の命が懸かっている時と場で、プロパガンダをやっていいわけないでしょう。

彼らの言動で、人権派弁護士は駄目!とは思いません。思いませんが、弁護士という職業は、仕事も報酬も自分で選べるマレな職業で、法とその履行に、その正否や瑕疵に直に関わる職業なのですから、目的と手段を間違えるな、シャキッとせいと思うのです。「これだから弁護士は?」なんて言われないようにです。

神話の継承

2012年2月20日
天皇陛下の手術が無事終えたのが昨日で、今日はICUから出られたそうで、ひとまずは良かったというところでしょうか。ただ、ニュースで垣間見た手術前の姿が、とても焦燥しているように見えたもので、気にかかっていました。

今日、政府は「女性宮家」創設に向けた皇室典範改正を検討するため、ジャーナリストの田原総一朗氏、今谷明帝京大特任教授の2人からヒアリングを始めると発表しました。「女性宮家」は中身がなかなか分かりづらいもので、ヒアリングで解決するとはとても思えませんが。

天皇制となると、いつも出てくるのが万世一系の皇統というもので、男系で繋がっていかないと皇統が途切れるという論です。でも、ここまで聞いていつも疑問に思うのが、いつから?誰から?ということです。皇紀26××年とか未だに仰るかたもいて、そうすると神武から?ニニギノミコトやアマテラスオオミカミ、イザナミ、イザナギまでは遡らないのでしょうか?この出発点がアヤフヤで、どうして議論などできるのかと思っています。

この混沌を解く鍵はありません。なぜなら700年以前の天皇は「神話」の世界だからです。倭の五王や、越後王朝の継体や推古など有名な天皇もいますが、天皇は、壬申の乱前後から実在したのでは言われているようで、神武から舒明(天智・天武の親)までは「神話」ではと見られているのです。

「神話」に基づいた議論は成り立つのかとなれば、否でしょう。信じるか、信じないかですから、「神話」の中の皇統は、議論して解決するものではないのです。そう考えれば、男系の意味は何でしょう?

天皇制の存続は、強いて廃止することはない程度で賛成です。継承問題は、万世一系に拘ることはない、女帝、女系でもいいじゃないか、と思っていますが・・。
プロフィール

等閑堂

Author:等閑堂
”ひつじのこ”にようこそ!
あなたの日々積み重なるものはなんでしょう?

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