考える余地

 ワタシは余計なお世話と思いますが、インターネットでよく覗くページ、買ったもの、クリックしたページに関わるものが、こちらの意図に関係なくページのあちこちに顔を出す技術キライです。例えばお米を買えば、お米を売っているページの案内がアチコチに・・・といった具合となっています。ホント余計なお世話で、決めつけるな!と思いませんか?

 ワタシ、あまりYouTubeに嵌らないようにクリックを控えていますが、最近YouTubeを開くと1/3ほどがネコの動画となってしまっています。ネコには勝てません。そう、ネコは見てしまうのです。ここに出てくるネコは、自分のことをネコではなくヒトと勘違いしているかのようにヒトっぽくて・・・ネコには敵いません。

 ワタシ、ネコが好きで、鳥が好きで、遭遇するとつい見入ってしまい、時間が許す限り観察します。すると、ヒトと他の生物との違いは何だろうとたまに考えたりします。もっと近い存在で、ヒトとサルはどう違うのかと考えます。アフリカで誕生しサルから進化したヒト科の生物と、進化しなかったサルとの違いはと考えるのです。

 とある本に、バラバラの分野の本を濫読しますので、どの本にあったのか不明ですが、面白いことが書いてありました。それはヒトの特長についてです。ヒトがジャングルを歩いていて、妙な形の木を見つける。何に使えるか用途は不明だけど、何かの役に立ちそうだとヒトは考える。それですぐには使えないものを持ち帰る。これがヒトの特長だそうです。

 これは要するに、将来的に使えるかもしれないという”考える余地”を持つか、持たないかじゃないでしょうか?ネコは隣家のスリッパを咥えて帰ってきますが、ネコが将来的にスリッパの利用を考慮しているとは思えません。冬眠する熊が食物を蓄えるのは将来的に食べるもので、必要なものだから”考える余地”はありません。ヒトには蒐集癖というものもありますが、これは欲望と二人連れですので、これも対象外です。

 何でもため込んでしまう性癖のヒトは多くいて、「これ何?」と親に叱られた経験を持つヒトも多くいます。モノを捨てられないヒトも多くいて、おそらくこれは、後々の”考える余地”に期待を持っているためでしょう。拾ったものが、ゴミと思われたものが役に立つ。これは楽しいことです。

 こう考えてくると、”考える余地”って重要なことですね。”考える余地”があるから、ヒトは争うことなく物事を解決できます。”考える余地”があるから、他人を慈しむことができます。”要る””要らない”、”やる””やらない”、”スキ””キライ”。単純明快で分かりやすくていいけど、そこからは何も生まれないでしょう?”余地”を持つことが大切なのではないでしょうか?ヒトですもんね。
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国よりヒト

 墜落事故からわずか6日で、オスプレイが沖縄の空を飛んでいます。事故当初は安倍チャンも官房長官も「徹底した調査を!」と言っていましたが、たった6日で忘れてしまったようです。そうです。米国サマ、米軍サマには何も言えないのです。それともう一つ、「沖縄ならいいや」と思っているのです。以前、この国ではアイヌと琉球に対する民族差別があると書きました。先の大戦での沖縄の捨てられ方や、その後の米軍基地の集中化はまさに差別です。

 先日、蝦夷(エゾ=エミシ)との言葉を久しぶりに見ました。それは北海道という地名の由来を説明した記事で、なんでも2018年で、命名されて150年とのことです。記事はQ&A形式のなっているのですが、ちょっと気になる部分をピックアップします。

 北海道の名前は、松浦武四郎という方が「北加伊道」と提案したとのことで、「加伊」は「アイヌ」を指す言葉で、「アイヌが暮らす北の土地」で、これで「蝦夷地」から「北海道」となったそうです。そしてこの松浦武四郎という方は探検家とのことですが、明治2年に現地の開拓判官(責任者のようなもの)になったのに翌年には辞職しています。理由は、アイヌ民族に対する差別や暴力をなくしたいとする彼の意見が聞き入られなかったからとのことです。するとどうなったのか?本州からやってきた開拓者に農地や漁場を優先的に与え、アイヌを住んでいた土地から追いやったのです。・・・と記事の要約はこんなもんで。

 ここで気になるのは「アイヌ」と「蝦夷」で、確かに江戸時代は北海道を「蝦夷地」と言っていたのでしょうが、「アイヌ」と「蝦夷(エミシ)」は違います。蝦夷の歴史上の初出は「日本書紀」で、659年(斉明天皇5年)の遣唐使派遣の記事に「道奥(みちのく)の蝦夷男女2二人を以って、唐の天子に示(み)せたてまつる」とあります。古代では白河から北が陸奥(道奥)で、「道奥の蝦夷」は東北に住んでいた民族で「アイヌ」とは違うのです。

 こんなメンドーなことを書いたのは、古代から平安時代くらいまでの日本は関東(白河以南)から熊本くらいまでで、北の民族を蝦夷とし、南の民族を熊襲(くまそ)と呼んでいたのです。この南北を徐々に平定していって、残ったのが北海道と沖縄で、どちらも近代まで日本から放置された地域だったのです。

 「北海道」誕生からまもなく150年とのことですが、プーチンが北方領土を返してくれそうにないとニュースになっていますが、領土問題が出てくるたびに不思議に思うことがあります。旧住民の帰郷を願う気持ちはあるでしょうが、領土を取り返すことや主張することにどれほどの意味があるのかと。それじゃどこかの国と変らないと・・・。

 いまやこの国の中で、ちょっと都市を離れると過疎化が進んでいます。北海道も沖縄も政治的に利用されるだけで、住民は捨て置かれています。政治家は領土を声高に言うけど、肝心の領民(国民)はどうなっているの?いま現在、生活に困窮している国民がいて、地域がある。領土とはいえ誰も住んでいない地域は、後回しでいいんじゃないでしょうか?まずは福島、熊本、沖縄じゃないのか?領土(国)より国民(ヒト)じゃないのか?そう思いませんか?

(しかし、北方領土問題が経済開発案件に切り替わりそうですが、安倍チャンのやることはキナ臭いことばっかりですね。)

戦死者のいない国

 いま、この国は民主的な国なのか、人々は自由気儘に暮らしているように見受けられますが、本当に自由気儘なのか?イヤ、自由気儘な暮らしがが民主的な国なのか?そんなことを思うでもないのですが、一人のヒトがツラツラ考えても埒が開かないような気がします。ちょっと興味深い文章を見つけました。 原典を読んでいない孫引きですが、原典は「マッカーサーの二千日」というものですが、以下に記します。

 『まず軍事力を粉砕する。次いで戦争犯罪者を処罰し、代表制に基づく政治形態を築き上げる。憲法を近代化する。自由選挙を行い、婦人に参政権を与える。政治犯を釈放し、農民を解放する。自由な労働運動を育てあげ、自由経済を促進し、警察による弾圧を廃止する。自由で責任のある新聞を育てる。教育を自由化し、政治的権力の集中排除を進める。そして宗教と国家を分離する。』

 これはダグラス・マッカーサーが日本に上陸する前に、マニラからの機中で語った「日本改革案」です。軍事力・戦争犯罪者・政治形態・憲法・選挙・婦人参政権・戦中の政治犯釈放・農地改革・労働運動・自由経済・民主警察・公正なマスコミ・教育・権力の集中排除・信教と国家、天皇制を除けばほぼすべての民主的な要件が羅列されています。そして、もういまやこれらの全ての要件がこの国で定着していて、人々は初めから民主化は備わっていたかのように思い込んでいます。

 でも太平洋戦争で敗北するまで、この国にはこれだけの民主的要件が欠けていたのです。ですので、70年をかけてこの国は民主的な国家となったのですが、このことが忘れ去られているんじゃないか、そういう認識のないヒトが増えているように思うのです。この国の民主化の発端は敗戦で、何百万人もの犠牲があって得られた国の体制(国体)転換だったのです。

 それほど大切な民主化の要件を、政治家は党利・党略で、マスコミは無責任に営利と保身のために壊そうとしています。そういう雰囲気(空気)を充満させようとしています。おそらくこの国のヒトは、自らの手では民主化は出来なかったでしょう。でも他者から与えられた民主化であっても、この国は70年間戦死者を出していません。戦死者のいない国、これは世界的に稀少です。この希少性を保つこと、この希少性を稀少としないことが政治とマスコミの仕事じゃないでしょうか?

 先の悲惨な敗戦は、政治家とマスコミの共謀の結果です。悲惨な敗戦の結果得られた民主的な国家、これをまた政治とマスコミが壊そうとしています。歴史は繰り返すといいますが、戦後体験は皆無ですが敗戦はイヤです。絶対に敗戦しないのは、ぜったに開戦しない、戦争に加わらないことです。カンタンだと思うのですが・・・。

same is lame

 先日のこと、電車に乗っていてボォ~っと窓の外を眺めたり、車内を見回したりしていたら、灰色がかったブルーというか、灰色がかったブルーグリーンというか、そんなアイマイな色のTシャツを着たヒトが突っ立っていました。そのTシャツの背中の高い位置、肩の下ほどに「same is lame」と書かれていました。こんなTシャツ、既製品じゃないですよね?

 「same」「lame」と韻を踏んでいますが、「lame」って何だっけ?少しばかり考えて「レームダック」の「lame」じゃないかと思ったのですが、辞書を引いてみたら正解でした。「lame」は、足が不自由とか歩行困難とかが直接的な意味ですが、それじゃ「same is lame」はどう訳するのか?

 「lame」の別の意味を探すと、「下手な」とか「まずい」とか「時代遅れ」とかが出てきました。これですね。「same is lame」は、「同じものはダサい」とか「ほかと同じじゃカッコ悪い」としたほうがいいんじゃないでしょうか?そう読めば、なかなかスルドイ指摘ですね。

 「same」とはいわば「流行(はやり)」で、世の中の食べ物にしろ、ファッションにしろ、思想の傾向(簡単にいえば風潮ですが)にしろ、波のように寄せたり引いたり、風のように吹いたり止んだりしています。ただきょうびの「流行」は、世間に大量に露出することでチカラワザで広められるものが多く、社会的な影響を考えれば害悪と思われるものまであります。(何のことかは想像におまかせしますが・・・)

 昔、バブルの頃、ワタシ写真屋さんでカメラを売っていました。よく売れましたが、お客さんに「どんなものを撮りますか?」と聞くと、「えぇ?」と考え込むヒトが多くいました。カメラを買う動機が友達が持っているとか、お隣さんが買ったとかで、何かを撮りたいじゃなかったのです。

 とても不純な動機じゃないでしょうか?でも流行っているカバンや時計を買う。カッコいい服を買う。こうした動機を不純と言い出したら、純粋な買い物って何なのとなってしまいます。誰が何を買おうと勝手でして、カメラを1~2度使っただけで押入れに押し込んでも咎められることはありません。

 でも、だから「same is lame」なのじゃないでしょうか?「流行」とは字の如く流れて行くもので、流れてどこかへ消えてゆくもので、その中に自分の思いと自分のおカネも一緒に消えてゆく。「イヤ、オレの思いは消えないよ!」そんな生き方をしたいのなら、やはり「same is lame」じゃないでしょうか?

こっぱずかしい話

 去年の9月末から先月末まで、半年以上ですが歯医者に通っていました。やっと先月で終わったのですが、何度か書いていますように義理の兄のところでして、10年ちょっと前にも通ったことがありますが、虫歯の治療でしたら2ヶ月ほどでOKなのですが、なぜか今回は半年以上かかりました。

 フツーの虫歯の治療は、虫歯の周囲を削って、神経を抜いて、歯形に合わせた被せものを付けて一丁あがりです。この神経を抜いてがワタシの場合ヤッカイでして、これまで麻酔が効かなかったことが2度ほどありまして、笑気麻酔で寝ている間にやってもらいました。麻酔が効かないことを医者に理解してもらうために、ワタシがどれほどの苦痛を、地獄を味わったことか・・・。

 まぁそれはイイとして、今回の治療法は虫歯の周囲を削って、消毒して、薬剤を注入して、仮に塞ぐ、これを3ヶ月ほどジミに続けまして、虫歯がブリ返さないと確信(?)して、被せものをして終了となったのです。(間違っているかもしれないけど、おそらくそのような事を言ってました。)

 まぁ治療法は痛くなければなんでもいいのですが、ちょっとばかり気まずいことがありました。義理の兄のところですから、トーゼンの如くそこにはホントのお姉ちゃんがいるのです。これがチョコチョコと口を出すし、なんたらかんたらとオシャベリのアメアラシ。勘弁してよ!でした。

 あたり前のことですが、幾つになってもお姉ちゃんはお姉ちゃんで、弟はずっと弟です。治療が終わっても、お姉ちゃんの指示で助手のオバサンが歯石をとってくれるとか、歯の磨き方をこと細かく教えてくださるのです。そして、大量の歯ブラシ、歯間ブラシ、細い糸が出てくるもの、フッ素歯磨きなどを持たされるのです。さらにあろうことか、次の診察時にちゃんと磨いているかチェックするとノタマウのです。

 先日の、今回最後の治療の際、実際にチェックされまして、オバサン曰く「ボチボチってところですかねぇ~」と。「ボチボチってなんやねん?」と関西弁が出掛かりましたが、抑えて、抑えてです。そんなとこで反論しようものなら、二人がかりで説教のアメアラシとなってしまいますから・・・。

 そしてキワメツケが歯ブラシ以外のお土産でして、セーターや靴下、煎餅にドラ焼き等々を持たされてしまいます。帰途「なんでドラ焼きやねん?」と思うのですが、やっぱりお姉ちゃんにはカナワナイ。まぁ誰に笑われるわけじゃないのですが、ワタシだってもう立派なオジサンですので、こっぱずかしいのです。
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Author:等閑堂
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