朝鮮と倭寇

2017年7月13日
先日、本棚をゴソゴソやっていましたら古い新書が出てきました。20年ほど前に買ったらしい、読んだらしい、岩波新書の村井章介著「中世倭人伝」です。ワタシの読書の半分近くは新書で、そこここに散らかっているのですが、パラパラとめくると、倭寇と李氏朝鮮に関わる「倭人」の話しで、ついつい読み返しました。

読み返してすぐ思い出したのが「三浦の乱」の章で、「三浦」でなく「三浦(サンポ)」で、富山浦(今の釜山)、乃而浦(ネイポ=今のチェホ)、塩浦(ヨンポ)が三浦です。浦は港のことで、韓国南部の慶尚南道のこの三浦に、15世紀初頭ですでに2千人近い倭人(日本人)が住んでいて、1509年からの「三浦の乱」の頃は3千人を越えています。

なぜこの時代に倭人が韓国に居住していたかとても不思議ですが、国の使節、対馬島主の使節しか朝鮮には入国できないのが原則なのに、この二者以外にも商人が混ざっていて、それが「船の修理」とか「風待ち」とか理由をつけて長逗留を続け、居座った日本人が3千人にもなっているのです。しかし、当時の足利将軍はほとんど朝鮮に使節を出してなく、この使節のほとんどは対馬島主か、対馬の実力者の関係者だったのです。堂々たる騙しですね。

倭寇そのものが、倭人(日本人)あり、朝鮮人あり、琉球人あり、明(みん=中国)の沿海人ありで、特定された人種や民族ではなかったのですが、この対馬関係の倭人のやることはかなりアクドイです。逆に李氏朝鮮政府の、優柔不断さやヒトの良さは異常です。使節への返礼で国家予算が破滅寸前にまでゆくのですから・・・。(使節といっても日本でなく対馬ですよ。)

この本を読んでなかなか納得できないのが、倭人は悪党ばかりですが、朝鮮人はオヒトヨシばかりで、朝鮮は騙されっぱなし、ヤラレっぱなしで、これでどうやって現代の韓国とつながるのか、これが分からないのです。そこで、知人の韓国人が、「日本は韓国のお世話になったことを忘れている」と話していたのを思い出しました。でも現代日本人が忘れるも仕方ないことで、当時朝鮮が相手にしていたのは日本じゃなくて対馬だったのですから・・・。

日本人の韓国に対する理解不足はある程度分かりましたが、分からないのは朝鮮人から韓国人への変遷でして・・・世の中分からない話しは多いですね。なにか唐突に、昔の韓国や倭寇の話しになってしまいました。
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