忖度は難しい②

2017年3月29日
本来、忖度はいい意味の言葉であって、忖度は分別のついた大人がそれとなく行うもので、善行の類となるものじゃないでしょうか?ですから忖度で特別扱いすることはあっても、それによって制度を捻じ曲げるものじゃないでしょう。

カゴイケ事件の要点は、国有地を破格の価格で、破格の条件で入手できたことと、カゴイケ氏自身が口にした安倍チャンからの百万円の寄付金疑惑です。この2つに忖度が微妙に絡みついているからメンドーです。国有地の件では、安倍昭恵名誉校長にビビッて大ダンピングと通常あり得ないオーアマな条件を付与しました。これがビビッた役人がヤラカシタ忖度と言われるものですが、こんなものは忖度じゃなく、たんなる顔色ウカガイです。

忖度で法律を曲げたとなっていますが、実はたんなる役人の顔色ウカガイ。思いやったのは他者ではなく、自己の地位の保全でホントは情けない話しなのです。重要なのは、なぜそんな雰囲気になり、そんな対応となるのかです。簡単に答えを出すと、自主性の欠乏、責任感の欠如、つまり役人の欠陥です。上(うえ)の受けしか考えていないから、そんなデタラメが出来るのです。

しかし、なぜか安倍チャンはこの証人喚問には強気でして、カゴイケ氏を偽証罪で告発しようとしています。でも告発にはもっと確固とした証拠が必要でして、証拠を得るにはさらなる関係する人々、もちろん安倍チャンの嫁を含めた人々の証言が必要となります。嫁の喚問はイヤ、それでもカゴイケは許せない。そんなワガママは通らないのです。

これ「裸の王様」と同じで、役人は総理の権威を、間違った権威を相手にしているのです。そしてその対応を忖度と言っているのですが、前に書いたようにこんなもの忖度じゃありません。政治、イヤ行政には忖度はあり得ず、忖度を強いるモノ、忖度を図るモノ、どちらも勘違いでしかありません。まぁ役人が顔色をウカガウのは哀れだと思いますが、忖度を強要するよう計らうバカ、安倍チャンとその嫁ですが、「早く消えろよ!」と思うのはワタシだけじゃないでしょう。
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忖度は難しい①

2017年3月28日
忖度という言葉が俄かに注目を集めています。忖度=ヒトの心を思いやるの意で、言葉としてはとてもいい言葉だと思います。しかしなぜかヘンな手垢がついてきて、印象のよくない言葉になりつつあるようです。しかし、忖度で法を曲げて・・・いいわけないでしょう。

今回は、「御用になったドロボーは嘘をつかないか?」について書いてみたいと思います。昔々、ワタシがまだカメラ屋さんにいた頃、ある日突然警察署から電話があり、「先月のことですが、そちらのお店でレンズの盗難はありませんでしたか?」と聞いてきました。3フロアーある中規模カメラ店でして、対応した部長さんは即答できず「確認して連絡します。」となりました。

部長さん、すぐに3フロアーの主任さんへ同じことを聞きましたら、どこからも「盗難はありません」の返答でした。しかし、本当は2階フロアーで盗まれていたのです。2階の主任さん、在庫台帳を誤魔化していたのです。まぁ彼の当惑や狼狽も分からないではありませんが、この場合、御用になったドロボーは嘘をつかなかったのです。ドロボー氏のせっかくの自供がダイナシになったわけですが、警察も困ったでしょうね。

なんでこんなことを書くかと言えば、カゴイケさんです。カゴイケさんはもう御用になったも同然の状況ですが、その彼の言葉はどう判断すればいいのでしょうか?すでに彼がどんなに熱弁をふるっても、彼の学校が開校することはなく、土地は返却で幼稚園は閉鎖となるでしょう。それだけじゃなく、名誉や信用といったものも失くしたでしょう。そんな彼に嘘をつくの理由があるのか、フツーはそんな風に考えますよね?

しかしカゴイケさん、頭の回転は速く、肝が据わっていて、何やら策がありそうです。でもやっていることはデタラメで、やはりドロボーでしかないんですけどね。それで彼の言葉の真偽ですが、この場合の真は「死なばもろともの玉砕作戦」です。でも玉砕するとは思えませんので、おそらくどこかで手を打つのでしょう。手を打つ?そう、同じムジナですから、政治家転身が彼の狙いじゃないでしょうか?そう、この騒ぎで名を売るのが目的じゃないでしょうか?

もう教育者も実業家もムリでしょう。あと彼に残っているのは怪しい政治家で、一連の騒ぎは壮大な売名行為なのかもしれません。

他人の権利

2017年3月22日
ノッケから謝りながら書き出します。今回も古い映画の話しで申し訳ないのですが、1969年の米国映画「イージー・ライダー」です。60才前後の方なら「オォ!」となり、「どんな映画だっけ?」となります。観たようで観てないような、とても不思議な映画です。

ワタシも同様でして、観たような記憶があってもストーリーが思い出せません。ステッペン・ウルフの「ワイルドで行こう!」を聴くとさらに「ウン、ウン」となるのですが、ストーリーが脳ミソに残っていないのです。お店でDVDを手にして、「いまさら」と「観たっけ?」が錯綜して、「エィッ買っちゃえ」となったのです。(後で調べたら観ていました。ワタシのベータコレクションにありました。)

でもこの映画とてもよく出来ています。でも衝撃的なラストシーンで、コマゴマとした、チリバメられた言葉を見逃してしまうのです。それとジャック・ニコルソンが出ていて(なんでこれ忘れるか?)、作中、ジャック・ニコルソンとデニス・ホッパーの会話があり、ニコルソンのセリフがこの映画のテーマを語っています。ちょっと抜粋します。

「(アメリカが)怖がっているのは、君が象徴しているものさ。君に自由を見るのさ。」「自由を説くことと自由であることは別だ。カネで動くものは自由になれない。」「アメリカ人は、自由を証明するためには殺人も平気だ。」「個人の自由についてはいくらでも喋るが、自由なヤツを見るのが怖い。」と野宿の焚き火の前で喋っています。

「イージー・ライダー」は自由なヒッピーを描いています。自分の自由は尊重されるべきだが、ヒト(ヒッピー)の自由は煩わしくて、自由なヤツを見るのが怖い。恐怖が暴力となって噴出する物語です。自分の自由じゃなく、ヒトの自由、ヒトの権利を尊重できるのか、これ未だに人類のテーマですよね。しかし、50年前のアメリカ南部がそんな状況だったとするだけではなく、50年で世の中は変ったのかが重要です。例えば、ネット世界でときおり見られる炎上には、ヒト(他人)を認めない偏った自由が氾濫しているようですが・・・。

この映画、アメリカン・ニューシネマの最高峰との宣伝文句や非情なラストシーンで印象が薄まってしまいますが、映画そのものがとてもイイ出来です。映像も、セリフも、音楽も、役者も、どれも見事です。(因みに、監督はデニス・ホッパーなんですね。)しかし世の中は、ヒトの認識は50年くらいでは変らないということでしょうか?

ゴチャゴチャ

2017年3月16日
え~っと、先日、まったく縁のない地域を訪ねる用事があり、トーゼン土地勘のない所に行くわけで、事前にちょっと調べて向いました。大げさなマエフリですが、青山一丁目という場所に初めて行って、ちょっとした展示会に顔を出してきました。

展示会そのものは、ちょっとじゃなくダイブにサボっている同好会の作品展示会でして、顔を忘れられないために出掛けたようなものです。小一時間、イヤもっと短い時間在廊しまして、会場を後にしたのですが、なにせ初見の街でどうやって帰ろうかと・・・。

イヤ、調べた会場までの道を逆に行けば問題はないのですが、ここで悪い性癖が出てきてしまいました。ワタシ、知らない街をテキトーに歩くのが好きなんです。時間に余裕があると偶にやるんです。上野から池袋までとか、代々木から秋葉原までとか、2時間前後であればフラフラと歩くのが好きなのです。

それでこの日、青山一丁目からフラフラ歩いたのですが、何せ知らない街、端から方向を間違えまして、渋谷に向ったのが見えてきた街は乃木坂でした。そう見たことのない乃木坂ナンタラで有名な乃木坂ですが、ここは幅の広い道路と青山墓地しかないアジもソッケもない街でした。

あまりにも面白くない街だったので、1時間以上もフラフラしていたので、速攻で脱出しようと地下鉄に乗りました。乃木坂から明治神宮前(原宿)で、これまた普段まったく利用しない千代田線という路線です。原宿なんて街は見たくないので、これまた速攻で、山手線で池袋まで逃げました。

東京の街は、特に台東区とか真ん中の千代田区などはケッコー見るものがあるのですが、橋場の白髭橋付近とか、九段下の俎(まないた)橋付近とかはそれなりに面白いのですが、乃木坂は空腹だったこともありツマラナかったですね。うぅ~ん、何が違うのかと考えてみたら、乃木坂にはヒトの生活のゴチャゴチャがないんですね。古い店、新しい店、古い家、新しい家、古い道、新しい道、たいていの街には新旧入り混じりのゴチャゴチャがあって、ゴチャゴチャが楽しいんですね。

整然と生きて行きたくとも、いつのまにかゴチャゴチャな人生となっている。どうもワタシの人生にはゴチャゴチャが似合っているようです。

まあだだよ

まあだだよ

2017年3月7日
までまだしつこく寒いですね。でも、もう暖かくなるはずという期待感というか、先入観みたいなものがありまして、分厚いコートはもう着たくないのです。軽やかなカッコーにしたいのに、それじゃ寒すぎる。メンドーくさい時期です。

最近、古い映画を探してきて楽しんでいますが、これは中古屋さんで買っているのですが、ちょっとヘンなことに気づきました。新品の映画DVDはどこで売っているのかとの疑問です。ワタシ、最近はレコード屋にも行きませんし、新品のDVDを売っているお店知らないのです。えぇっレンタルショップで売っている?ホント?以前書きましたが、ワタシの映画ビデオ鑑賞はベータマックスで完結していますので、レンタルショップも無縁でして・・・まぁ中古屋さんでいいや。

洋画が好きなので洋画ばかり探しますが、興味を引くものがなくて、まぁ邦画でもと棚を眺めていましたら黒澤明作品「まあだだよ」がありました。さらに見回していたら「姿三四郎」がありまして、まぁ観てみるべぇと買ってきました。帰宅して「さぁどっちから」とジャケットを見て気づきました。この2つ、「姿三四郎」がデビュー作で、「まあだだよ」が最後の作品だったのです。

「まあだだよ」は名作ですね。ヒトの生活の理想が描かれていますが、喜劇映画ではと思うほど可笑しくて面白いのです。喜劇映画でないのは笑いを誘ってもバカ笑いじゃなく、可笑しさがクスッとした微笑ましいものなのです。そして明治人の、明治時代の日本人の”気骨”と”清貧”が漂っているのです。

”気骨”と”清貧”。この2つは現代人が、明治から戦前までの日本人と比して、失くしてしまったヒトとしての特性じゃないでしょうか?”気骨”を装うのは”右寄りのバカ”ばかりだし、”清貧”は言葉として存在するだけで実在例は消滅しています。”貧”は多くあっても、”清”は見当たりません。おそらく”清”であることを尊いとする考え方、生き方が失われたのでしょう。

”貧”の反対語、”富”がまったく”清”と噛み合わない世の中となっていて、”富”と”気骨”が手を結ぶ世の中となっています。それじゃイカンだろうと警鐘を発しているのが「まあだだよ」です。”貧”な生活は誰も望まないけど、”足るを知る”生き方が大切と思うのですが・・・難しいね。
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等閑堂

Author:等閑堂
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