消費税の実態

2012年5月16日
正直言いまして、消費税ってどんな税金かよく分かっていません。年間の売り上げが3000万円を超える業者すべてが払わなければならないのですが、中小企業でこの3000万円前後の業者は、過少に申告して逃れているなんてことは普通でしょうか?

また、よく言われるのが取引での強者と弱者の関係で、弱者の方が消費税を請求しても、強者に「これくらい値引きしろ!」と支払って貰えない状況となったら、弱者は消費税を払わなくていいのでしょうか?こんな状況はいくらでもあるように思われますが。もうひとつ、消費税は徴収率50%とのウワサを聞きましたが、これが事実すれば、消費税は徴収対象すらアヤフヤな税金となります。

先日聞いたのが、国内販売より輸出が多い企業は消費税が還付されるという話。これよく分からないのですが、この還付される金額がナント年間3兆円とのことです。国内消費に掛かる税金だから海外販売分は差し引かれるのでしょうが、納税は相殺(支払わずに)で、ただ還付(戻される)されるのが年間3兆円で、国庫から逆に3兆円払っているのです。

消費税って何かとても恣意性の高い、アヤフヤな税金じゃないでしょうか?払うも払わないも中小企業の裁量だし、輸出主体の大企業はウハウハでしょうし、庶民は逃れられませんし。税額1%のUPで2.5兆円の税収増とか言っていますが、税額を10%にしても還付金が5兆円になってしまえば元の木阿弥で、ワリを喰うのは庶民で、庶民と生産者を苦しめて全然税収が上がらない点で、タバコ増税とそっくりです。

そもそも、歳入以上の歳出、歳入と反比例する官費増を繰り返せば、赤字になるのは当たり前です。オオモトを放置して、見逃して、税制改革なんてないと思うのですが、それを補う切り札とされている消費増税が、こんな訳の分からない税金のままでいいでしょうか?消費増税を考える前に、この税金自体を見直しすべきではないでしょうか?

防災を買う

2012年5月15日
日曜日、あまりにいい天気だったので散歩に出ました。すると、ちょっと遠い、見えない彼方から、ケタタマシイほどのサイレンが鳴り響いていました。2〜3台じゃなく、10台分もあろうかと思えるほどの音量で、いつまでも音が遠ざかりません。で、何だろうと音のする方へ。

道が平坦になり、遠くが見渡せてやっと正体がハッキリしました。河原に10個以上の大型テント、その周囲に消防車が20台ほど、防災演習をやっていたのです。総勢100名以上でしょうか、あまりの物々しさに惹かれ、ちょっとばかり野次馬です。

しかし驚きました。大音量のマイクで作業の指示を出しているのですが、その対応がトロイこと、遅いこと、タラタラしていること、「なんじゃこりゃ」のレベルです。で、よくよく見ていると、同じような紺色のユニフォームでも動かず見ている連中と、タラタラしている連中のユニフォームが違うのです。おそらく見ているだけが本職の消防隊員で、タラタラが地域の消防団員だったのでしょう。

そう見るとタラタラも納得です。そりゃ日頃は本職をやっていて、何かあるときだけの参加ですから、自分が同じ立場であってもタラタラしていたでしょう。

ただ、さらに見ているといくつかの疑問が湧いてきました。用意されていた、スゴイ数のスコップも土嚢の袋も砂利さえも、やたらとキレイな新品なのです。すると余計な詮索癖が出て、100名以上の参加者でして、休日出勤手当は出るのだろうかと浮かび、さらに、弁当代は、打ち上げの飲み会費用は、交通費はと、お金のことばかり浮かんできました。

当地は昭和22年のカスリーン台風被害の発端となった地域に近く、防災訓練の是非をとやかく言うのではないですが、キレイなスコップを見ていると、これは訓練か、恒例行事か、役所の辻褄合わせか、分からなくなってしまいました。そりゃ、日常的な訓練が出来る訳じゃないでしょうが、防災を買っているように見えたのは、私の目が濁っているからでしょうか?

安全を買う

2012年5月14日
大飯原発の地元、大飯町議会が原発再稼働を容認しました。理由は、「安全性は政府の2度に渡る安全確認で済んでいる」というものです。私は原発推進派ですが、こんないい加減な再稼働は全然容認できません。

政府は安全と言っていますが、できうる対策を取っているとは言えないもので、緊急ベントの際のフィルターも付けていませんし、津波対策も、全電源停止に対する備えも充分ではありません。何よりも、新しい原子力規制が決まっていないのに、安全な規制値がなく何を確認したのでしょうか?安全性は何も担保されていない、それなのに安全と言い張る、日本や地球全体に関わる大事故を起こしていながら、何も改善せずに言い放たれる安全って何なのでしょう?

結局と言うか、要はお金の問題でして、補助金が入ってこなければ大飯町は困る、これだけの理由でしょう。だったら安全性云々なんて言わずに、安全より経済が大事とハッキリ言って欲しいものです。安全性を隠れ蓑にしていては、いつまで経っても本当の安全は手に出来ませんから。

これは大飯町議会が言い出したことではなく、政府が先んじて言い出した屁理屈です。しかし、電力会社の負担がどんなに大きくなっても、電気代が高くなるだけじゃないですか?電力会社が負担できない費用は、すべて税金で賄われるのじゃないですか?だったら経済性を優先して云々じゃなく、国民の安全性が優先されるべきじゃないでしょうか?災害に見舞われるのは国民で、災害を賠償するのも国民なのですから、守るべきは経済性ではなく、国民の安全なのは自明じゃないですか?

大飯町はすべての原発関連補助金を詳らかにして、これだけの収入がなくなるとハッキリ言えばいい。そこで喧々諤々やればいい。お金と安全の問題をゴッチャにしていたら、いつまでも何も解決しません。欺瞞に満ちた安全性はもうコリゴリです。

遠い日々

紫の花

 晩春なのか初夏なのか、とても爽やかな朝でした。珍しく午前中から近くをプラプラしていると、河原の土手で、頭上で雲雀が騒がしく飛んでいました。雲もない何もない空で「生きているぞ!」でしょうか、「どっかにいい娘いないかな?」でしょうか、口角泡を飛ばし自己主張していました。

 今日は「母の日」ということですが、いつ頃から言い出したのか分かりませんが、いつの間にか「母の日」です。母は(”ははは”と打ち込むと「母は」に変換されるのですね。)10年近く前に、5年ほどの動けない日々を過ごした後、亡くなりました。とても体が丈夫な人で、とても頑固、頑迷なほど頑固な人でした。

 裁縫が好きで、近所にあった縫製工場が年に何度か布地の特売をやっていたのですが、持ち帰れないほど買い込んで、何度か運び役をやらされました。近所のオバサンの分まで。布地で思い出したのが、小学生の頃、兄弟でお揃いのグレーチェックのシャツと黒っぽいズボンを穿かされ、どこかは忘れましたが小旅行に行ったことです。男兄弟3人と姉ですが、それぞれサイズが違いますので、今にして思えば既製服じゃないわけで、自分で縫ったのでしょう。こんなお揃い家族、今にしてみればお笑いのレベルですが、一人一人のサイズで一つずつ縫ったのは、母なりの家族像がその中にあったのでしょう。今にして思えばですが・・。

 料理とか掃除とかいった家事は、裁縫ほど好きじゃなかった、イヤどうでもよかったようで手抜きばかりでした。中学生の頃か、学校で弁当箱を開けるのがイヤでした。理由は、とても雑な弁当だったからです。まず明らかに米をきちんと洗っていない、すこし黄ばんだご飯だったこと、そして、オカズがどう混ざろうとも気にしない、てんでに詰め込んだ弁当だったからです。だから弁当を包む布は、漏れた汁でいつもどこか滲んでいました。教科書の角までも・・。

 体のアチコチがボロボロでしたが、母の最期の病名は「低体温症」でした。5年も動けず、手も足もコチコチに固まっていましたが、亡くなる寸前まで、胸だけはドクンドクンと強く波打っていました。子供の頃は、村で男の子よりも足が速かったらしい母、大雑把で肝が据わっているようだけど心配性だった母、あなたの息子はいい年して迷ってばかりですが、どうにかやっていますよ。それしか言うことがありません。

 時折、こうして過ぎ去った遠い日々を思い起こす。そして、どこかで時間が繋がっていると思い込む、どこかで思いも繋がっていると思い込む。人が生きていくには思い込むしかない。今日はそんな気がしています。(写真は20年くらい前に撮った母の好きだった花ですが、グータラな息子は名前も知りません。)

国民の意思

2012年5月11日
みんなで決めよう「原発」国民投票プロジェクトってご存知ですか?この国民投票プロジェクトを掲げる市民グループが、32万人の署名を集めて東京都に提出しました。原発立地予定地以外で初めての国民投票となるのか、興味深い運動です。

ただ、原発国民投票と聞くだけで「脱原発」となりそうで、また、国民投票運動そのものが「脱原発」と思われそうですが、脱か継続かを決める国民投票ですから、どちらにも偏っていないのです。しかし、この国民投票の結果がそのまま国策に反映されるかと言えば、そうは行かないのですけど。

まずは民意を確かめようとする、こうした運動は高く評価されるべきでしょう。人それぞれ顔が違うように、意思の表し方も違いますので、「さぁ、意見を!」と言われてスラスラ出てくる方が少ないでしょう。また単純に、声の大きさや内容の過激さの比較じゃない、正味の数を出すことには意味があると思うのです。

今は、国やマスコミが必ず持ち出す情緒的な「経済性」と、脱原発派の何がなんでも停止・廃炉の2方向ですが、この方向を決めることもせず、たった4人の閣僚でウヤムヤにしようとしています。政治の仕組みからすれば、閣僚が決定することはアリなんでしょうが、「そんな簡単な問題じゃない!」と閣僚にも国民にも知らしめるには、国民投票を提案することは重要です。

それでどうなるの?と返されそうですが、どうにもならないかも知れませんが、国民一人一人がどれほどの時間にせよ、原発やこの国の将来を考え、その国民の意思が明らかになるのですから、大いに意義アリと思うのです。まぁ、選挙の投票率が30〜40%の国ですから、そんなに期待は出来ませんけど・・・。