オリンピック不要論

2018年2月19日
え~っと、世間はオリンピックの話題で姦しいのですが、残念ながらワタシはオリンピックは夏季も冬季も興味がなくて、見ようと思ってもTVもありませんが、まったくオリンピックとは関係ない日々を送っています。

でも東京オリンピックには心配していることがあります。未だに東京オリンピック反対ですが、なんで7月の高温多湿期に実施するのか不思議で、まったく選手の体調を慮っていなくて、スポーツの祭典なんてチャンチャラおかしいのです。だって7月開催も、夜間や早朝の競技開始も、これすべてスポンサーの都合です。スポーツの興行化、商業化の極みでしかありません。

もう1つあるのがスポーツの政治化ですが、これはオリンピックが国単位の参加であるかぎり避けられない現実です。北朝鮮がオリンピックを利用して云々と言われていますが、それより先にロシアの国としての参加不可があります。これはオリンピックを利用しようとする政治の思惑があってのことで、オリンピックと政治は切っても切れない関係なのです。

国威発揚、まぁこれが目的なのですが、でもワタシ、小学生でもないのになんでスポーツで国威が発揚されるのか不思議なのです。そりゃ日本人選手が金メダルを獲れば、日本人として「イイ気分」は分かりますが、それでこの国の政治がマトモになるわけでなく、貴方の体調が良くなるわけじゃない。そう、社会も貴方の生活も関係ないのです。

そうひと時の「イイ気分」でしかなく、ひと時日頃のワダカマリや鬱憤をほんの少し和らげるだけでしかないのです。まぁそれだって、無いよりはあった方がイイとは思いますが、ただそれが全てといった騒ぎようはバカらしくて付き合っていられません。マスコミは騒ぐのが仕事ですから仕方ありませんが、なにも付き合う必要はないのです。

ただ選手が無駄なことをやっていると言っているのではなく、スポーツの祭典であるオリンピックなのに、選手が金儲けや政治宣伝の道具になっているのではないかと感じるのです。オリンピックの結果で選手が名声や富を得るのは悪いことじゃないのですが、その騒ぎで、その陰で、企業が巨万の富を得たり、国家の欺瞞が罷り通ったりするのはオカシイのです。企業や国家のヤリスギを防ぐ意味でも、やっぱり今の形のオリンピックは、要らないのではないかと思うのです。
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民は官のために・・・

2018年2月15日
いつも世の中はいろんなことが起きると書いていますが、ホントいろんな事が起きるものです。予測というか、想定できることであればいいのですが、思いもつかない事が起きることもあるようです。イヤ、こんな事くらい想定しなきゃいけないのかも・・・。

森友事件は今も野党が追及しようとしていますが、何か世間的には終わっているような感があります。でも、籠池さん夫妻は今も拘留中です。確かに詐欺罪で起訴されていますが、夫妻ともに拘留し続ける必要があるのでしょうか?また、拘留を続ける法的根拠はあるのでしょうか?(まぁ、根拠があるから拘留しているのでしょうが・・・)とっても異常ですね。

そして今日、またもや異常なことが発覚しました。籠池さんの自宅を競売にかける申し立てがなされていたのです。これは森友学園の管財人が、籠池さんの経営責任として、損害賠償額の査定を地裁に求め、地裁が約10億3千万円と決定しました。これが去年の12月です。そして今日の記事の「籠池被告の自宅の土地と建物の強制競売」となったのです。

シロートの疑問ですが、これオカシクないですか?なぜ夫妻を拘留したままなのかがまずありますが、「籠池被告」とあるのようにまだ被告なのに、なぜ損害賠償が先に来るのでしょう?そして管財人がチャッチャと自宅を競売にかける準備をしています。”超”長期な拘留と素早い損害賠償の準備、この”超”法規的なヤリクチは何でしょう?なにか権力が、個人を社会的に抹殺しようとしていると感じるのですが・・・。

確かに国の損害額はハッキリしていますが、その全責任を既に籠池さんにオッカブせています。起訴したということは争点があるからで、争点が決着する前に賠償するのはオカシイでしょう?森友事件では、不正確な、不適格な発言をした役人が大出世しています。なのに、被告とはいえ民間人は長期拘留と損害賠償です。この違いは何でしょう?

「官は民のためにある」と書くと、この現実からしてムナシイですね。籠池さんの処遇からすると、明らかに「民は官のためにある」のが現実です。籠池さんも、こんなに露骨に、脅迫的に、こんな状況に追い込まれるとは想定していなかったのでしょう?この件での官の対応は常軌を逸していますが、こんな状況で森友事件の真実は解明されるのでしょうか?

いまさらアバター


2018年2月13日
トンでもない映画を観てしまいました。40~50年前のモノがワタシの主流なのですが、これは2009年のモノで、とても新しいのです。ジェームス・キャメロンの「アバター」、とても有名な映画です。

この映画が封切された頃、ワタシ、とある同好会に入っていまして(今も会員ですが・・)、この同好会が3D映像やステレオ画像の同好会でして、「アバター」は絶好の、恰好の、最適最高のモノでして、上映されて3ヶ月くらいはこの「アバター」の話題ばかりで、なぜこのヒット時に観なかったのか自分でも分かりません。

実を言いますと、ワタシ、「飛び出す映像」は好きじゃないのです。ワタシ、ステレオ映像を勉強しようと思ってこの同好会に入ったのです。ところがこの「アバター」で「飛び出す映像」に注目が集まり、少しですが3D映画がモテハヤサレましたが・・・すでにブームは過ぎ去ったようですね。私見ですが、3D、「飛び出す映像」は、長続きしない映像表現じゃないかと思っています。(定着しないモノと思っています。)

6年も7年も経ってやっと観た「アバター」ですが、これは映画としては最上級品ですね。ストーリーがまずイイ!映像がメチャクチャ美しい。迫力がハンパじゃなく、3D化するのも無理ないものです。だてに構想14年、製作4年じゃないです。162分という長めの作品ですが、ダラケタ感じがまったくありません。

映画という表現が、寝ている間に見る「夢」と同じレベルになっている。つまり映像にまったく違和感がなく、「夢」のように映像が流れてゆくのがスゴイのです。そしてストーリー、他の惑星まで侵略していく人類に、人類の一人が惑星の原住民とともに人類と戦う。「愛」や「自然」のために戦う、このストーリーがいいのです。

偶にはこういう”大作”もいいもので、いまさらな「アバター」に感激ッス。えぇ?もうアバター2ですって?

拒否る自由

2018年2月9日
今日、最高裁はホテル運営会社の上告を棄却しました。これはNHKからの受信契約締結と未払い受信料の支払いを求めた訴訟で、1審2審ときてNHK完勝です。

ホテル客室のTVの受信料に関しては以前にも書きましたが、これまったくスジの通らない理屈です。イヤ理屈がありません。再び書きますが、ホテル利用者は国内に住むヒトか海外に住むヒト、まぁどこを見てもこの2種類しか居ませんが、海外の客は受診料を払う義務はなく、国内客はほぼ”自宅”があり、”自宅”で払っているのがほとんどでしょう。受信機(TV)がある所からはすべて徴収したいのでしょうが、国内客だと二重徴収となりますよね?

そしてホテル側は受信料を客に転嫁できるのかという問題があります。利用明細に「NHK受信料」と書かれていたら、ひと悶着が起きるでしょう。それじゃホテルの経費となると、ホテル経営はさらに厳しくなっていき、経営を圧迫して、従業員の待遇にまで及ぶのではないでしょうか?そしてホテルもアルバイトばかりとなる・・・なんて。

これまた以前書きましたが、ワタシの知人はNHKの徴収がくると「見ないから切っちゃっていいよ」と答えます。すると「切るというわけにはいきません」との返事がくる。でも「切れない」のはNHKの事情です。電気もガスも、お金払わなければ止められます。なぜNHKが電気やガスと同じことが出来ないのか?こっちのほうが問題です。お金を払わないヒトは、電気やガスを止められるのは覚悟しているでしょう?なぜNHKは切る、切れる選択がないのでしょう?

経済の原則に反しているのは明らかにNHKです。NHKは必要とか不要とかいろいろ言われますが、全国民、全家庭から徴収したいのでしょうが、その前に国民には押し付けられる理由はないし、見なければならない義務もありません。国民に義務が生ずるのは、憲法と行政機関の決定しかありません。

NHKごとき無くたって困らない存在なのに、なぜエラソーに受信料徴収を強要するのか?まず「見る」「見ない」の選択、それから「払う」「払わない」じゃないのか?そう、国民には「拒否する自由」があるのでは・・・。(司法も腐ってきたのか?)

煽る経済

 先日来、藤原新也さんの「東京漂流」(1983年刊)という本を読み返しています。この本は藤原さんの13年に亘るアジア漂流後の、日本国内での生活から産まれたエッセイですが、この国の80年代の出来事が、筆者のアジアを見てきた目を通して、この国の独特な事象を詳らかに描いています。(昔読んだ本の再読ですが、ほとんど忘却の彼方でして、新刊のように読んでいます。)

 この中で、「大衆の浪費を刺激する10の戦略」というのがありました。これは V.パッカードという経済学者の引用ですが、ちょっと孫引きします。
○捨てさせる  ○無駄遣いさせる  ○贈り物にさせる  ○蓄えさせる  ○抱き合わせ商品にする  ○キッカケを与える  ○単能化させる  ○セカンドとして持たせる  ○予備を持たせる  ○旧式にさせる  ・・・というものです。

 どうです?何か懐かしさを感じてしまいませんか?この国の80年代の景況が浮かんできますね。売り手側の口上で未だに聞かれるのが「セール期間中」という言葉、まるっきり ○キッカケを与える じゃないですか?これ「浪費を刺激する戦略」ですから、もう何十年も我われは刺激、イヤ煽られっぱなしなわけです。

 まるで被害者のように書いていますが、ワタシ立派な加害者で、80年代はワタシもイケイケの販売員だったのです。好調な経済とは、生産と消費がうまく循環している状態をいうのでしょうから、消費を煽るという行為は立派な経済活動です。ただ引っかかるのは、好ましくない経済活動が跋扈していて、ワタシの中に煽っているとの感覚が産まれるのです。まぁ世の中にはブームに乗っかることに違和感がなく、イヤむしろ進んで乗っかることに喜びを感じるヒトが多くいます。ワタシのように煽られることを嫌悪する方が少数でしょうね。

 この冬は記録的な降雪や寒さですが、天気予報で「この冬一番」というフレーズが出てくると恐怖してしまいます。TV局は警戒を促すために使っている言葉でしょうが、聞かされるほうは恐怖でして、これ煽っているとも感じられます。ワタシTV見ませんが、TVというメディアには何かを装った煽りがいっぱい隠れているのではと思うのです。”何かを装った煽り”これ上記の「10の戦略」にあるように、実に巧妙で、実に狡猾です。

 ・・・と消費することばかり書きましたが、世の中消費ばかりで回っているわけありません。我われは消費者であるけど、同時に生産者や販売者であるわけです。”扱うブツ”が見えるものであれば分かりやすいのですが、保険のような”信用”もあるわけで、生産者や販売者も一括りにはできません。そんなわけで世の中、消費も生産や販売も玉石混淆なのです。

 混淆であれば、混淆でいいのです。(イヤ混淆しかあり得ない。)平準化された、偏らない混淆が望ましいと思いますが、世の中ってすぐに偏ってしまいます。安部チャンのように、針のような改憲論を棒のように囃し立てるヤカラもいます。こと経済面からすると、針なのか棒なのかは重要なことで、多くの針で世の中が見えにくくなることもあるのではないでしょうか?(ビットコインの件が多く報道されるのは、短期的にはマイナスな情報でも、長期的に見るとイイ宣伝なのかもしれません。)

 やっぱり経済の話しはワタシでは無理なようです。でもワタシ、基本的に”見えないブツ”を増やすのは良くないと思うのです。電気にしても、電波にしても、保険にしても、仮想通貨にしてもです。だって「うちの電波、うちの仮想通貨はいいですよ」と言われても困るし、同じく真偽不明なコンサルや口利き料なんてものは無いほうがいいと思うのです。 誰にでも分かりやすい価値、金額が想像できるブツだけで、経済が回ってゆくほうがいいのではと思うのです。煽られるのはイヤです。
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Author:等閑堂
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